阿弥陀仏の本願は悪人を救うことが目的であり、悪人の自覚を持つ者こそ往生するにふさわしい機根(きこん)であるという説。
お気づきの方も多いとは思うが、四字熟語シリーズはググって出てきた中から適当に選んだサイトの「あ」から順番に書いている。
とにかく「悪」という字を使っている四字熟語が多くて、ネガティブをポジティブに書くというパターン化していることを指摘された。
こういうときに思うのが、昔のいわゆる若いときの自分なら少なからずイラッとすることもあっただろう。
もちろん、今でも耳の痛い意見は辛いので怒りで巻き返そうとすることもある。
でも、圧倒的に減った。
人の意見を受け入れるというよりも、自分に関心を持ってくれている人を大切にするようになったからだ。
考えてみて欲しい。
自分のことに興味のない人に対してエネルギーを割くだろうか。
無視するだろう。
自分に関心を持っている人は、わざわざ時間を割いてくれているのだから無下にするのはもったいない。
これ以上書くと、また同じようなことをといわれてしまうかもしれないが、この「悪人正機」という四字熟語の解説を見て困惑した。
よく意味がわからないと。
そもそも、往生するという言葉と機根の意味がよくわからない。
調べると共に仏教の言葉らしく、往生するとは往と生にわけて考えるそうだ。
往の往は極楽に行くことで、生の生は極楽で生まれ変わることらしい。
機根とは仏の教えを聞いて修行しえる能力のこととのことだ。
自分なりに解釈すると、悪い人間だという自覚や懺悔の気持ちがないと、そもそも仏の教えを受ける資格がない、つまり救いようがないということだろう。
そう考えると、自分は人の意見を受け入れるのにイライラする悪の部分があることを知っているので、救いようがあるということだな。
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