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2021年1月24日 投稿:ueda

悪因悪果(あくいんあっか)

悪い行為には必ず悪い結果や報いがあるということ。

悪いことにもレベルがあるが、小さなことであっても悪い結果や報いはあるだろう。

同じような戒めの言葉は多々ある。

つまり、それだけ良い人であれということだ。

ただ、悪いという概念は時代によっても変わるし、個人によっても感じ方が異なる少々ややこしいものである。

 

たとえば、モノを盗んだり、人を傷つけたりすることが悪なのかを考えてみよう。

当然、それは悪いことに決まっているというのが一般的だろう。

でも、貧困により空腹で空腹で仕方がなくモノを盗んだ場合や自分の大切な人を傷つけられた悲しみや怒りから人を傷つけた場合でも同じように悪だと決めつけていいのだろうか。

結論からいうと、それも悪だ。

弱者だからとか報復だからといっても善ではない行為である。

とはいえ、同情の余地があったり、根っからの悪ではないように感じてしまうという悪の中にもランクが生まれる。

 

では、1939年9月1日〜1945年9月2日に起こった第二次世界大戦時を考えてみよう。

戦争をすることの善悪を考えたときに善だという人は圧倒的に少ないはずだ。

戦争が必要であるという声を聞くことはあるが、戦争が善だという声は少なくとも周りから聞くことはない。

悪という位置づけに納得する人が大半だということだ。

ところが、戦時中は悪だとされていなかった。

仮に悪だと主張する人がいても、その人が悪だとされた時代だ。

正義をかざすときには悪が隠れてしまうという矛盾が生まれることもある。

 

戦争の話は違うという声があるかもしれないが、時代によっての悪がわかれるのはコロナ禍の今もまさにだ。

医療業界に身を置く人やコロナを警戒する人からすれば、不要不急の外出をする人たちは悪となる。

反対に過度に不要不急な外出を取り締まるような自粛警察と呼ばれるような人たちは、サービスが成り立たなくなる外食産業や旅行業界などで働いている人からすると、悪となる。

立ち位置によって悪が変わる。

 

このように善悪という概念には変動がある。

だから、個人的には悪いことをすると悪い結果や報いがあるよという言葉よりも、人間の本性は基本的に善であるとする性善説の方がタイプだ。

 

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植田 振一郎 Twitter

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