はきっりせず、あやふやなこと。
世の中の大半は曖昧な概念で成り立っている。
なんとなくで決めていることが多い。
自己の選択もそうだが、他人の選択もエビデンスなどないことがほとんどである。
周りの意見に流されたり、特になにも考えずに慣習で動く人がどれだけ多いことか。
こんな話がある。
都会のど真ん中で、指を空に向けていたとする。
それを見た人は、なにかあったのかと思いその指先の方を見て、必死に原因を探そうとする。
もちろん、指先にはなにもない。
それにも関わらず、人の滞留をつくることができる。
そして、なにもないことに気づいた人の反応は様々だ。
馬鹿らしいと怒りを見せる人もいれば、くだらなさに笑ってしまう人もいる。
肝心なことは、この仕掛けをした人である。
世の中には仕掛ける側の人がいる。
毎年のファッションのブームを仕掛ける人や新しい形態の飲食店をオープンする人がその典型だろう。
徹底したデータを駆使して仕掛ける人もいれば、感覚で仕掛ける人もいる。
その結果、当たることもあれば当たらないこともあるのは当然だ。
仕掛けられた側の人が、その服を買ったり、お店に行くのはなぜだろう?
多くの人に理由などない。
なんとなくだったり、周りに合わせている人があまりにも多い。
勘違いして欲しくないのは、そのことが悪いとはいっていない。
曖昧に流されて生きること、楽だと思う方を選択する人生を否定するつもりもない。
全てにおいてきっちりしすぎる生き方は窮屈だろう。
ただ、仕掛ける側になってみて、仮説が実証されたとしたら、そこにある達成感はひとしおだ。
その達成感は癖になる。
達成するまでには困難がつきものだから、どんなものよりも中毒性がある。
どうせなら、仕掛けをたくさん作れる人になりたいと思う。
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