悠悠自適(ゆうゆうじてき)
→ 俗事に煩わされず、自分の思う通り、静かな暮らしを送ること。
悠悠自適というこの言葉を聞いて、あなたはどんな人生を想像するだろうか。
「世間のことに煩わされず、自分の思いのままに暮らす」
辞書にはそう記されている。
しかし現代において、この理想を本当に実現できている人は、いったいどれくらい存在するのか。
日本経済新聞の調査によれば、働く500人のうち78%がFIRE(早期リタイア)を「したい」と回答している。
8割近くの人が憧れながらも、実際に行動に移せている人は極めて少数だ。
さらに注目すべきデータがある。
パーソル総合研究所の調査では、20代男性就業者のうち、50歳以下でリタイアしたいと答えた割合が2017年の13.7%から2024年には29.1%へと倍増している。
若年層の間で、早期リタイアへの関心が急速に高まっているのだ。
今回は、「悠悠自適」という古来の理想が、現代においてどれほど実現可能なのかを、データに基づいて徹底的に検証していく。
「悠悠自適」という概念の起源と歴史的背景
悠悠自適は、「悠悠」と「自適」という二つの漢語が組み合わさってできた四字熟語だ。
「悠悠」は「優優」とも書かれ、ゆったりとして落ち着いているさまを指す。
「自適」は心のおもむくまま、何事にも束縛されずに暮らすという意味を持つ。
この言葉の起源を辿ると、特定の故事成語に由来するものではなく、中国の古典的な漢語表現が日本に伝わり、明治期以降に広く使われるようになった。
精選版日本国語大辞典によれば、「悠優自適、以て彼の仁義を楽しむ」という表現が1874〜1876年の『東京新繁昌記』に登場しており、これが日本における初出の実例とされる。
明治維新を経て近代化が進む中、西洋的な勤勉思想と東洋的な隠遁思想が交錯する時代に、「悠悠自適」という言葉は一つの理想として受け入れられていった。
興味深いのは、この言葉が「優遊自適」「優游自適」「悠優自適」など、複数の表記で使われる点だ。
いずれも「ゆったりとした自由な暮らし」という同じ意味を持ちながら、微妙なニュアンスの違いを含んでいる。
現代に至るまで、悠悠自適は単なる怠惰ではなく、「俗事に煩わされず、心のおもむくままに生きる」という積極的な人生観として尊重されてきた。
そして今、FIREやセミリタイアという新しい形で、この古典的理想が再び注目を集めているのだ。
早期リタイア願望の急増という現実
データは明確な事実を示している。
働く人々の間で、早期リタイアへの願望が急速に高まっている。
AlbaLinkが2023年に発表した調査では、10〜60代の働く500人のうち、FIREをしたいと「とても思う」「まあ思う」と回答した割合は78%に達した。
理由の最多は「仕事・会社から解放されたい」(35.1%)だ。
これは単なる憧れではなく、現代の労働環境に対する深刻な不満の表れと言える。
さらにパーソル総合研究所の継続調査からは、興味深い傾向が浮かび上がる。
20代男性就業者において、50歳以下でのリタイアを希望する割合が2017年の13.7%から2024年には29.1%へと7年間で2倍以上に増加した。
30代男性でも、55歳以下でのリタイア希望者が2017年の14.3%から2024年には28.1%へとほぼ倍増している。
注目すべきは、この変化が女性ではほとんど見られず、男性特有の現象である点だ。
従来、女性の方が結婚や出産を想定して早期リタイアを希望する傾向が強かったが、2024年にはその男女差がほぼ消失した。
男性の早期リタイア願望が急増し、女性に追いついた形だ。
さらに重要な発見がある。
同調査では、20代の学生アルバイトと社会人を比較したところ、学生時代から早期リタイアを希望していたわけではなく、社会人になってから意識が変化することが判明した。
つまり、若者が固定的に持っている価値観ではなく、実際に働き始めてからの経験が早期リタイア願望を生み出しているのだ。
この背景には何があるのか。
早期リタイア希望者の理由を見ると、「仕事のストレスから解放されたい」「時間を自由に使いたい」「人間関係の煩わしさから逃れたい」といった声が多い。
現代の労働環境が、若年層に大きな精神的負担を強いている実態が浮き彫りになる。
早期リタイアを実現した人はわずか数%という厳しい現実
では、実際に早期リタイアを実現している人はどれくらいいるのか。
残念ながら、日本における早期リタイア実現者の正確な統計データは存在しない。
しかし、いくつかのデータから推計することは可能だ。
日本経済新聞の調査によれば、会社員が投資の目的として「早期リタイア」を挙げる比率は年齢が若いほど高い。
ただし、「目指している」のと「実現した」のでは天と地ほどの差がある。
日経ビジネスの記事では、海外移住を含むアーリーリタイアを1年以上続けられる人は約1割程度だと指摘されている。
つまり、実行に移した人の中でさえ、9割は1年以内に元の生活に戻っている計算だ。
では、そもそもどれくらいの人が実行に移せているのか。
複数の資産運用会社や金融機関のレポートを総合すると、30代〜50代の就業者のうち、実際に完全リタイアまたはセミリタイアを実現している人の割合は推定で2〜5%程度と考えられる。
78%が「したい」と答えながら、実現できているのはわずか数%。
この圧倒的なギャップこそが、悠悠自適な生活の難しさを物語っている。
なぜこれほどまでに実現が困難なのか。
最大の理由は、必要資金の大きさだ。
日本経済新聞が生活経済研究所長野の塚原哲氏と行った試算では、35歳で完全リタイアする場合に必要な資金は約1億2,000万円、50歳でも約6,200万円(独身の場合)とされる。
50歳で妻子がいる場合は約9,900万円だ。
40歳で完全リタイアするケースでは、別の試算で約8,000万円〜1億円が必要とされる。
これは、大学卒業後の22歳から40歳まで18年間、毎年320万円〜500万円以上を貯蓄し続けなければ到達できない金額だ。
平均年収552万円の会社員が、税金や生活費を差し引いた後にこれだけの金額を貯蓄することは、現実的にほぼ不可能に近い。
FIREという新しい選択肢とそのリアル
ここで登場するのが、FIRE(Financial Independence, Retire Early)という概念だ。
FIREは、従来の早期リタイアとは異なり、「年間生活費の25倍の資産を築き、年4%の運用益で生活する」という戦略を取る。
この「4%ルール」は、米国トリニティ大学の研究に基づいている。
過去の米国株・債券の値動きを検証した結果、年間生活費の25倍を用意し、株式50%・債券50%で運用すれば、年4%ずつ引き出しても30年間は資産が枯渇しない確率が高いというものだ。
例えば、年間生活費が240万円(月20万円)であれば、必要資産は6,000万円となる。
完全リタイアで必要とされる1億円以上と比べれば、かなり現実的な数字に見える。
しかし、ここにも落とし穴がある。
この4%ルールは米国の税制や為替を考慮していないため、日本で適用する際には調整が必要だ。
また、年4%の運用益を安定的に得続けることも、決して簡単ではない。
それでも、FIREは若年層を中心に支持を集めている。
クリスティー・シェン氏らの著書『FIRE 最強の早期リタイア術』は、2020年3月の日本語版発売後、Amazonレビュー数が2,000件を超えるなど、高い注目を集めた。
実際にFIREを達成した事例も存在する。
30歳で約7,000万円を貯めてセミリタイアしたケース、41歳で不動産投資により月120万円の収入を確保してリタイアしたケース、32歳で貯金2,500万円でセミリタイアしたケースなど、多様な実現例が報告されている。
ただし、これらの成功者に共通するのは、極めて高い貯蓄率(収入の50%以上を貯蓄・投資に回す)、投資に関する深い知識、そして生活費を徹底的に抑えるライフスタイルだ。
誰にでも真似できる方法ではない。
セミリタイアという現実的な選択肢
完全リタイアやFIREのハードルが高すぎる中、より現実的な選択肢として注目されているのがセミリタイアだ。
セミリタイアとは、フルタイムの仕事は辞めるものの、アルバイトやフリーランスなど負担の少ない仕事で一定の収入を得ながら生活するスタイルを指す。
必要資金は完全リタイアよりも大幅に少なく、3,000万円〜5,000万円程度で実現可能とされる。
例えば、年間生活費300万円のうち150万円を副業で稼ぐ場合、資産で賄うのは残りの150万円だけでよい。
4%ルールを適用すれば、必要資産は約3,750万円(150万円×25倍)となる。
40代や50代であれば、十分に現実的な目標だ。
セミリタイアのメリットは、資金面だけではない。
完全に仕事から離れるのではなく、社会との接点を保ちながら自由な時間を増やせる点が大きい。
日経ビジネスの記事で紹介されたファイナンシャルプランナーの杉山氏も、「将来への不安はないのに、リタイアして5年もたつと何らかの形で世の中とつながりたくなった」と語っている。
人間の幸せは「愛されること、褒められること、役立つこと、必要とされること」によって感じられるが、このうち「役立つこと」と「必要とされること」は働くことによってのみ得られる。
完全に仕事を辞めると、この部分の満足感が失われるリスクがあるのだ。
セミリタイアは、経済的余裕と社会的つながりのバランスを取る選択肢として、今後さらに広がっていくと予測される。
悠悠自適を実現するための戦略的思考
データが示す現実は厳しい。
78%が望みながら、実現できているのはわずか数%。
しかし、不可能ではない。
重要なのは、戦略的に計画し、長期的視点で行動することだ。
まず、貯蓄率が全てを決める。
『FIRE 最強の早期リタイア術』で示されたグラフによれば、貯蓄率が50%なら約15〜20年でFIREが可能だが、貯蓄率が10%なら50年以上かかる。
貯蓄率を高めるには、収入を増やすか支出を減らすか、あるいはその両方が必要だ。
副業の解禁が進む現代において、本業以外の収入源を確保することは以前より容易になっている。
同時に、固定費の削減も重要だ。
住居費、通信費、保険料など、毎月確実に出ていく費用を見直すだけで、年間数十万円〜100万円以上の節約が可能になる。
次に、資産運用の知識を身につけることだ。
ただし、短期的な投機ではなく、長期・分散投資の原則に基づいた堅実な運用が求められる。
インデックスファンドを軸にした国際分散投資が、FIRE達成者の間では主流となっている。
そして、自分にとっての「悠悠自適」を定義することだ。
豪華な生活を求めるのか、質素でも自由な時間を優先するのか。
都会に住み続けるのか、地方移住でコストを下げるのか。
完全リタイアを目指すのか、セミリタイアで十分なのか。
これらの選択によって、必要資金は大きく変わる。
年間生活費を200万円に抑えられれば、必要資産は5,000万円(リーンFIRE)で済むが、豪華な生活を維持するなら数億円(ファットFIRE)が必要になる。
自分の価値観と現実的な資金計画を擦り合わせることが、成功への第一歩だ。
最後に、リスク管理を忘れてはならない。
市場の暴落、想定外の医療費、インフレ、社会保障制度の変更など、長期的には様々なリスクが存在する。
予備資金の確保、複数の収入源の確保、柔軟な生活設計など、リスクに対する備えが持続可能な悠悠自適生活の鍵となる。
まとめ
数字だけを見れば、悠悠自適な生活を実現できているのは、ごく少数の成功者に限られる。
78%が憧れながら、実現者は数%。
しかし、この数字だけで判断するのは早計だ。
重要なのは、「悠悠自適とは何か」という問いに立ち返ることだ。
1億円の資産がなければ悠悠自適ではないのか。
会社を完全に辞めなければ自由ではないのか。
そうではないだろう。
悠悠自適の本質は、「俗事に煩わされず、自分の思うままに生きる」ことにある。
それは必ずしも完全リタイアを意味しない。
週3日だけ働くセミリタイア、好きな仕事だけを選ぶフリーランス、副業で経済的余裕を持ちながら本業を続ける、地方移住で生活コストを下げる。
こうした多様な選択肢が、現代における悠悠自適の形と言える。
パーソル総合研究所のデータが示すように、20代男性の29.1%が50歳以下でのリタイアを希望している。
この数字は、若年層が従来の「定年まで働く」という価値観から離れつつあることを示している。
実現者がまだ数%に過ぎないとしても、この意識変化こそが、今後の社会を変えていく原動力となるだろう。
FIREやセミリタイアという言葉が広まり、具体的な方法論が共有され、実践者の事例が増えていけば、悠悠自適な生活はより多くの人にとって現実的な選択肢になる。
古来から理想とされてきた悠悠自適という生き方。
それを現代において実現するには、データに基づいた戦略的思考、長期的な計画、そして自分なりの「自由」の定義が必要だ。
78%が憧れる生き方を、数%しか実現できていない現実。
しかしこの数字は、不可能を示すものではなく、挑戦する価値のある目標を示している。
悠悠自適な人生を手にするかどうかは、結局のところ、自分がどう行動するかにかかっている。
【X(旧Twitter)のフォローをお願いします】