百発百中(ひゃっぱつひゃくちゅう)
→ 放った矢や弾丸がすべて命中することが転じて、計画や予想などが全てその通りになること。
百発百中という言葉は、もともと弓術や銃撃の世界で使われてきた表現とされる。
古代中国や戦国時代の日本では、狙った獲物や敵を逃さない優れた弓術・射撃術を持った兵士を称賛するために百発百中という言葉が使われてきたと伝わる。
そこには一発のミスも許されない、まさに生死を分ける状況下での神業的な技量が凝縮されていた。
現代においても百発百中は「成功率が100%である」あるいは「全てが思い通りになる」ことを意味する言葉として使われる。
ただし現実には、あらゆる分野において100%の成功などまずあり得ない。
人間は機械ではない以上、ミスや変動要素が発生し、完璧な結果を常に出し続けるのは不可能に近い。
にもかかわらず、多くの人が「確実に成功したい」「外したくない」「準備は万全にしてからでないと行動したくない」といった心理を抱くのは興味深い。
ところが「百発百中」という概念は、そもそもの用途があまりにシビアな命のやり取りに由来する側面があり、スポーツやビジネスの世界に直接当てはめたところで実態とは乖離している。
必ずしも毎回完璧を求める必要はなく、一発外しても再度打席に立てる環境こそが現代社会の特徴といえる。
打席に立つ重要性
世の中には「百発百中を求めるあまり、行動を起こせなくなっている人」が少なくない。ビジネスでもスポーツでも芸術でも、「必ず成功させたい」という意識が強いほど、結果的に守りに入ってチャレンジの回数が減ってしまう。
例えば野球の世界を例に考える。メジャーリーグ(MLB)のトップクラスの打者でも打率は3割そこそこ。
言い換えれば、10回打席に立って3回ヒットを打てれば超一流と評されるわけだ。
打率3割というのは100%ではなく、70%は失敗している計算になる。
しかも、その「失敗」が結果的には選手個人の成績や年俸に直結するシビアな世界であっても、彼らは打席に立ち続ける。
ここから何が問題として浮き彫りになるか。
それは「失敗のリスクを怖れて打席に立たなければ、打率を上げるチャンスそのものが消えてしまう」という点だ。
どれだけ理論値やスキルを磨いても、実際に行動しなければ実績として評価されることはない。
スタートアップ企業の世界でも同様だ。内閣府が公表しているベンチャー関連の資料では、日本国内で起業から5年後も事業継続している企業の割合はおよそ半分程度とされる。
つまり半数が5年以内に姿を消すという厳しい現実があるが、逆に言えば起業に挑戦しなければ、その先の成功確率は0%にすら届かない。
実際に打席に立ち、どれだけヒットやホームランを量産できるかが鍵となる。
以上の視点から見えてくる問題は「百発百中を求める精神が、挑戦の回数を減らし、結果的に成功確率を下げる可能性がある」ということに尽きる。
「打席数」と成功確率のジレンマ
なぜ人は「少しでも高い成功率を目指したい」という気持ちを優先しがちなのか。
それは根源的に失敗を避けたい、恐怖を回避したいという心理が働いているからだ。
たとえばマーケティング施策においても「失敗したら予算がムダになるかもしれない」「社内の評価が下がるかもしれない」という懸念が強いほど、試行錯誤をためらう傾向があるというデータが存在する。
株式会社マクロミルが2019年に実施した企業マーケティング担当者へのアンケート調査では、「新規のマーケティング手法を提案する際に最も気になる障壁は何か」という問いに対し、「予算対効果の不確実性」を挙げた担当者が全体の約65%にのぼったという。
これは、成功が見えていない新たな一手を打てないまま、従来手法ばかりを踏襲し、結局大きな変化を起こせないジレンマを示している。
しかし一方で、同じ調査において「継続して少しずつ新しい手法をテストしていきたい」と答えた担当者は約70%を占めていた。
つまり本音では「もっと挑戦したい」という意欲があるにもかかわらず、実際に行動へ移す段階になると「百発百中でないとまずい」と感じてしまい、ブレーキを踏む構図が浮き彫りになっている。
このように「挑戦意欲はあっても、失敗リスクを過度に回避しようとするあまり、行動を抑制してしまう」というジレンマこそが大きな問題である。
挑戦しない限り、得られるリターンや学びはゼロに近い。
結局のところ「百発百中を求める気持ち」と「挑戦そのものを増やす意識」が対立してしまう現象が起こっている。
別視点で捉える「挑戦の数値化」
別の視点で考えれば、失敗の数が多いほど最終的な成功量も増える可能性があるというデータがある。
米国の学術研究で、ノーベル賞級の成果を出す科学者ほど膨大な数の論文や特許を生み出している傾向が強いという分析結果がある。
2016年にスタンフォード大学の研究チームが発表した論文によると、「大きな成果を出すには、その裏に多数の“失敗作”や“成果に直結しない試行”が存在する」と報告されている。
つまり、ヒットを量産するためには、当たり外れを怖れずにアイデアを出し続ける姿勢が重要だということだ。
打席に立ち、何度も空振りを繰り返すからこそ、どこかでホームランを打てるチャンスを得られる。
これは野球やビジネスだけでなく、あらゆるクリエイティブ領域にも通じる考え方だ。
一方、打席に立つこと自体がリスクだという意見もある。時間や労力、経済的コスト、場合によっては社会的信用を失うリスクすら存在する。
だからこそ打席に立つ戦略と同時に、失敗のケアやフォローアップ体制を整えることが肝要だ。
たとえばスタートアップの世界では、失敗したら即破綻するような一点突破型のビジネスモデルより、複数の収益源や展開を持つポートフォリオ型のモデルが注目されている。
ここにstak, Inc.の考え方も重なる。
モジュール型IoTデバイス「stak」を軸に据えつつ、周辺の技術領域やサービスモデルにも積極的にアプローチすることで、失敗を極端に恐れずに新しい挑戦を仕掛けていく姿勢を重視している。
ただし自社の取り組み事例ばかり取り上げるのは避けるとして、世の成功者の多くが「リスク管理と複数の挑戦」を同時進行させている点には共通項があることは見逃せない。
まとめ
結論として、百発百中などという概念は本来、戦場や極限状況における技能を指し示す言葉であり、現代社会にそのまま適用するのは無理がある。
スポーツからビジネス、研究開発に至るまで、成功の裏には多数の失敗や試行錯誤が積み重なるのが現実だ。
打率の低さを嘆いて打席から降りてしまえば、もうヒットの可能性すら消えてしまう。
実際、打席数と成功率の関係を示すデータは各所で確認できる。
野球選手だけでなく、起業家や研究者、アーティストなど幅広い分野において、試行回数を積み重ねるほど成果につながるチャンスが広がるという傾向がある。
百発百中を目指して行動を抑制するよりも、打席に立つ回数を増やしながら、同時に失敗リスクを最小化する工夫を講じるほうが理にかなっている。
ここで重視したいのが、自分なりのデータ分析と仕組みづくりだ。
何度挑戦しても学びをフィードバックしなければ、単なる無謀なトライに終わる可能性がある。
振り返りと改善を繰り返し、失敗の原因を客観的なデータや検証結果に基づいて洗い出すことで、次の打席でより高い成功率を狙えるようになる。
そして最後に、stak, Inc.のCEOとしての考え方を簡単にまとめると、百発百中を追い求めるよりも、まずは打席に立ち続けてアイデアを形にし、新しい価値を生み出す回数を増やすことが大切だと強調したい。
一度の成功に囚われるのではなく、挑戦の総量を拡大していくほうが成長スピードも早い。
組織としても個人としても、打席に立たなければ始まらない。
以上のデータや事例からわかるように、百発百中という考え方そのものが幻想に近い。
そして打率が低くても挑戦回数を増やすことで、最終的なヒット数も増えていく。歴史的にも現代のビジネス環境においても、これが一つの揺るぎない結論だといえる。
だからこそ重要なのは「完璧を求めて動かない」のではなく、「少しでも多くの打席に立ち、行動しながら学びを得る」ことだという点を、あらためて肝に銘じておきたい。
100%の成功を目指すことに価値がないとは言わない。
しかし、100%が難しい世界でこそ、多くの打席に立つことが最大の勝機を生むと断言しておく。
そうした挑戦が結果的に個人のファンを増やすきっかけになり、ひいては企業のプロモーションや採用にもつながっていくはずだ。
まさに打席に立ち続ける者だけが、本当の意味で成功を掴む資格を得られるというわけだ。
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