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2025年3月16日 投稿:swing16o

消滅しないものを徹底検証:百世不麿は存在するのか?

百世不麿(ひゃくせいふま)
→ 永久に消滅しないこと。

百世不麿という言葉は、文字通り「百世(多くの世代)を経ても磨滅しない」という意味合いを持つとされる。

文献上の厳密な初出を確証するのは難しいが、古来より「永遠」「不滅」という概念に対する人類の憧れや畏怖が、詩や哲学、宗教など多岐にわたる文脈で語り継がれてきた背景がある。

世界各地の神話や聖典を紐解けば、創造主が永遠の命を与えた存在や、永遠不滅を象徴する霊獣などが幾度となく登場している。

百世不麿という言葉が登場する明確な史料が少ないのは事実だが、「何があっても消滅しないものはあるのか」という問いは人類が常に抱いてきたテーマだ。

例えば中国古典における「不朽」は、徳や名声を通して後世に永遠の価値を残すことを指し、日本の文学においても「万世不易」「万古不易」のような表現が散見される。

これらはいずれも、時間を超越する存在や価値を追い求める人間の根源的欲求を示す好例といえる。

現代社会ではテクノロジーの発達によって、寿命を延ばす研究や記録を保存する手段が飛躍的に進化している。

しかし、本当に「永遠に消滅しないもの」などあり得るのか。

自然界や歴史を検証しつつ、具体的なデータや事例をもとに徹底的に掘り下げる。

百世不麿が映し出す問題提起

永遠に残るものが存在するのかどうかは、一見哲学的な問いに聞こえる。

しかし、これをビジネスや社会、個人の価値観に落とし込んだとき、「何を残して何を手放すのか」という選択が重要な意味を持つことがわかる。

たとえば、世界中に蓄積されているデータを考えてみる。

米国の調査機関IDCの推計によると、世界に存在するデジタルデータの総量は2030年にはおよそ600ゼタバイトに到達するとされる。

2020年時点では59ゼタバイト程度であり、たった10年で10倍近いスピードで膨張するという予測がある。

莫大なデータは理論的にはサーバーやクラウド上に長期間保存できるが、本当に「永遠」に保管し続けられるのかとなると話は別だ。

ハードウェアの劣化や企業の倒産、災害、サイバー攻撃など、データを失うリスクは絶えず存在する。

この「何を残し続けられるか」という視点において、百世不麿の概念は大きな問題提起となる。

企業や個人が膨大なデータを持つ現代にあって、実際に消滅しないものを志向するのは幻想なのか、それとも何か可能性があるのか。

その検証を進めるにあたり、まずはデータという“形あるもの”が実際にどのようなリスクにさらされているか、比較しやすい数字とともに俯瞰してみることが重要だ。

何が消滅しないといわれているのか?

「自然界で永遠に続くものはない」とする説は、熱力学の法則や宇宙の膨張論から広く受け入れられている。

物理学的にはすべての物質がいずれエネルギーに変換されるか、あるいは宇宙が有限の寿命をもっている可能性が示唆されている。

しかし、地球上や宇宙の一部に「極めて長い時間、変化しない」あるいは「理論上は不死」に近いとされる例があるのも事実だ。

例えば、クラゲの一種であるベニクラゲ(Turritopsis dohrnii)は「不死のクラゲ」と呼ばれることがある。

成熟した後でもポリプに戻ることで、理論上は死を回避するサイクルを持つとされる。

ただし実際には外敵や病気などの要因があるため、個体として完全に不死であるわけではない。

また、核廃棄物に含まれる放射性物質の半減期は、プルトニウム239が24,100年、ヨウ素129に至っては1,570万年に及ぶと言われる。

このような元素は生物学的・社会的に「有害物質として非常に長期間残り続ける」という意味で、ある種の“百世不麿”に近い存在かもしれない。

しかし放射能も最終的には半減を重ねるうちに事実上の安定化に向かうため、「永遠にそのままの形で存在し続けるわけではない」というのが科学的には妥当な認識だ。

こうした事例を俯瞰すると、「ほぼ消滅に近い状態にならないほど長期間継続する」ものは確かに存在するものの、いずれも不滅ではなく「限りなく長く続く」程度に留まるといえる。

数字の上では莫大な年数や理論上の可能性に目が行きがちだが、実際には何らかの条件変化が存在すれば必ず影響を受けるリスクがあるからだ。

別の視点でとらえる百世不麿

物理的な「形あるもの」が永遠を保つのは困難だとすれば、形のない「概念」や「文化」はどうか。

文学や芸術、思想などは直接的に物質ではないため、より長く残りやすいと考えられる側面がある。

言語や物語が何世代にもわたって口伝や文字により受け継がれる伝統は多く、日本では古事記や日本書紀、ヨーロッパではギリシャ神話などが典型例だ。

しかし、文化や概念も実際には絶えず変化する。

UNESCOが定義する無形文化遺産は、世界各地域の祭礼や伝統芸能などを登録して保護しようとしている。

けれども、2022年時点での登録数は少なくとも600件を超えるまでに増加している一方で、後継者不足や生活様式の変化によって消滅の危機に瀕しているものも多い。

例えば伝統工芸や口承文芸の中には、グローバル化やデジタル化の波に飲み込まれ、若年層の興味が薄いという問題がある。

これを数字で示すと、ある民俗芸能の継承者平均年齢が60歳以上に偏っている地域が全体の約65%に達するという国内調査(文化庁が過去に発表した資料の推定値)もある。

物理的な寿命と異なり、文化や概念は実践や記録が途絶えなければ永続しうる可能性を持つ。

しかし、それを維持するためには社会的な努力や教育、環境整備が不可欠であり、「何もしなくても永遠に残り続ける」わけではない。

つまり「形あるもの」よりは可能性が高いとはいえ、結局のところ絶え間ない取り組みが必要になる点で絶対的な不滅とは呼び難い。

ここに「百世不麿」とはいえども、実際の運用次第という現実的視点が浮き彫りになる。

事例とデータで見る持続性

視覚的なデータをもう少し細かく見てみる。

例えば世界的な企業の存続期間に注目すると、アメリカのスタートアップ企業の生存率は設立後5年以内に約50%が消滅し、10年以内には70〜80%が消えるという統計がある。

日本国内でも似たような水準が見受けられる一方で、数百年以上の歴史を持つ老舗企業が3万社以上存在するとも言われている。

世界一古い企業として知られる金剛組の創業は578年とされ、1,400年以上にわたり建設事業を営んでいるが、これが未来永劫続くかどうかは当然わからない。

一方でテクノロジーの発達やグローバル化の加速によって、ビジネスの賞味期限は短くなってきているという見解がある。

2018年に米国の調査機関が示したデータによると、S&P 500企業の平均在籍期間(株価指数に残り続ける期間)は1970年代には30年程度だったが、2020年ごろには20年を下回ったとされる。

これはビジネス環境の激変によるものであり、強固と思われていた大企業ですら市場環境次第であっという間に退場してしまう可能性があることを示す。

個人の寿命に関して言えば、WHO(世界保健機関)が公表した2020年のデータでは世界平均寿命は73歳程度であり、日本は男女平均で84歳前後と世界のトップクラスを誇る。

近年の再生医療や遺伝子研究の進歩を踏まえると、今後はさらに延びる可能性があるが、無限に生きられるわけではない。

つまり物質的・生物的な存在としての絶対的な不滅はほぼ不可能に近いと考えるのが自然だ。

まとめ

ここまで自然科学や社会学的な視点、文化の継承事例、具体的なデータを交えて検証してきた。

結論からいえば、目に見える形で「永遠に消滅しないもの」はほぼ存在しない。

寿命が極端に長いものや、長期的には不死に近い振る舞いを見せる例はあるものの、いずれも無条件に永遠を保証するものではないというのがデータの裏付けから得られる実感だ。

一方で、概念や文化のように、物質的な実体を持たない存在は理論上は長く残る可能性を秘めている。

とはいえ、それも人々が継承しようとする意思と行動、そして持続的な社会環境があってこそ成り立つ。

絶対的な不滅は難しいとしても、「意図的に守り続けることで数百年、数千年と継承される」ジャンルは確かに存在する。

この考え方はビジネスにも通じる。百世不麿を真に目指すかどうかは別としても、「長く続けたいものを守るにはどうすればいいか」を常に考える姿勢が、企業や個人を成長させる原動力になる。

例えば自分の名前やブランド、思想を後世に残す努力は、言い換えれば自身の独自価値を高める行為でもある。

百世不麿の追求は壮大だが、その過程で得られる教訓や情報は、誰しもの日々のモチベーションアップにつながる。

ここで少しだけ、企業経営の視点にも触れておきたい。

私はstak, Inc.という会社を率いているが、モノやサービスが消滅する可能性と常に隣り合わせであることは実感している。

どんな技術革新も時間の流れや市場の変化、予測不可能なリスクに抗うことは難しい。

それでも新しい価値を提案し、企業を長く存続させる方法を模索する行為は、人類が「百世不麿」の可能性に挑み続けるのと似通った営みに思える。

自分が目指すのは、表面的な不滅ではなく、価値が次世代へ受け継がれる仕組みをつくることだ。

最後にまとめると、百世不麿という言葉が象徴するのは「不滅を求める人間の願い」であり、それを現実に当てはめると「限りなく長期的視野での価値継続」と解釈するのが妥当だ。

具体的な数字やデータを検証すると、永遠に形を保つものは事実上存在しないに等しい。

だが、長い時間軸で受け継がれる仕組みをデザインすることで、人や企業、文化は消えずに次世代へバトンを渡していくことができる。

これこそが現代版の「百世不麿」の在り方かもしれない。

 

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植田 振一郎 X(旧Twitter)

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