悲憤慷慨(ひふんこうがい)
→ 社会の不正や自らの運命などに憤りを覚え嘆き悲しむこと。
悲憤慷慨という言葉は古く中国の思想や文学の中に原点を見いだせる。
特に春秋戦国時代から漢代にかけて、多くの詩人が国家の乱れや官僚の腐敗に憤慨し、その怒りと悲しみを詩や文章に乗せて表現してきた。
たとえば唐代の詩人・杜甫の作品には、飢餓や戦乱に苦しむ民衆の姿を憂い、それに対する激しい憤りが数多く描かれている。
そもそも悲憤慷慨の「悲」は痛ましい状況に対する嘆き、「憤」は理不尽さへの怒り、「慷慨」は奮い立つ正義感を含んでおり、これらが結びついて「社会や自らの境遇に怒り、嘆き悲しむ」ことを指すようになった。
日本においても、平安時代の文学から江戸期の思想に至るまで、支配体制や身分制度の不公平さに対して悲憤慷慨する表現が多く残っている。
歴史をたどると、この感情自体は決して悪いものではなかった。
世の中の不正や不平等を正そうという力にもつながり、実際に幕末の志士たちは藩の不正や外国の圧力への怒りを行動の原動力に変えた。
しかし同時に、怒りや嘆きに飲み込まれ、破滅の道をたどった者も少なくない。
こうした二面性を持つ感情だからこそ、悲憤慷慨は時代を超えて注目され続けてきた。
社会の不正への怒り:なぜ人は憤るのか?
社会に対して怒りを覚える場面は多い。政治家の汚職や企業の不正会計、SNS上での差別や誹謗中傷、あるいは身近な地域社会のトラブルなど、不正や理不尽は日常のそこかしこに存在する。
Transparency Internationalが2022年に公表したCorruption Perceptions Indexでは、日本は世界180か国中18位という評価を得ている。
一見、グローバルで見ると上位に入っているため腐敗が少ないように見えるが、同調査開始当初(1995年前後)と比較すると日本の順位は下がり続けているのが現状だ。
先進国の中では相対的にクリーンであるはずの日本でも、政治・行政に対する不信感はかつてより増している。
SNSの普及に伴い、社会の不正に対する怒りは可視化されやすくなった。
メディアが報じるよりも速いスピードで個人の意見や証言が拡散し、大衆の「これはおかしい」という声が瞬時に届く。
しかし同時に、その怒りの矛先が全く関係のない個人へ飛び火し、ただの誹謗や差別に発展してしまう問題も顕在化している。
総務省が2021年に公開した「情報通信白書」によると、日本におけるSNS利用率は70%を超え、20代~40代の利用率は80~90%に達している。
多くの人が常に社会の出来事に触れやすくなった分、それだけ憤る機会も多様化・増加しているわけだ。
人間には不正や理不尽を正したいという正義感が備わっている場合が多い。
ただ、社会の不正に対して何をどうすればいいのかが明確でないと、怒りが憂さ晴らしの手段になり、虚無感を抱きやすい。
ここが「問題提起」の出発点だ。
悲憤慷慨の感情をどこに向けるかによって、その後の行動が大きく変わる。
憤りがもたらす実害:怒りで消耗する心と時間
悲憤慷慨が常態化すると、まず心身へのダメージが大きい。
厚生労働省が2022年に行った「国民健康・栄養調査」によると、ストレスや負の感情を強く感じている人の割合は全世代で増加傾向にある。
特に20代~40代の働き盛り世代は過去10年で約10ポイント以上も増えており、怒りや焦りが鬱や不眠などの健康問題につながっていることが示唆されている。
怒りを燃料とする生き方は一見エネルギッシュに見えるが、それが長期的に持続すると大きな消耗をもたらす。
たとえば日本経済団体連合会がまとめた「労働生産性とメンタルヘルス」に関する調査では、業務に対して大きなストレスを抱えている社員の労働生産性は最大20%近く低下すると言われている。
長期的に仕事のパフォーマンスを高めるためには、感情面のケアが非常に重要になる。
また、個人がどれだけ時間やリソースを割いているのかを考えてみる。
総務省統計局が公表している「社会生活基本調査」によれば、20代〜40代が1日にSNSへ費やす時間は平均で約60分というデータが出ている。
さらに厚生労働省の別の調査では、そのSNS利用のうち約40%が「政治・社会問題などに関する議論の閲覧や書き込み」に充てられているという結果もある。
つまり1日の中で20〜30分は社会の不正や他人の言動に対して怒りを感じたり、憤りの投稿を見たりしている可能性があるというわけだ。
もちろん現実の問題を認識すること自体は重要だが、怒りと嘆きに満ちた時間を積み重ねることで、ストレスが蓄積され、自分自身のモチベーションや健康を損なうリスクが高まる。
その結果、家族や友人とのコミュニケーション、趣味や学習といった本来自分の人生を豊かにする行為に割ける時間が減ってしまうという負のスパイラルが生まれる。
逆境をチャンスに変える視点
怒りはネガティブな感情である一方、正しく活用すれば行動のきっかけになる強い原動力にもなる。
スポーツ心理学の研究では、適度なアドレナリンの分泌が集中力を高め、パフォーマンスを向上させる効果があると指摘されている。
これは日本のトップアスリートだけでなく、海外のプロスポーツ選手でも多くの事例が報告されている(Journal of Applied Sport Psychology, 2020)。
また、ビジネスの世界でも自分や組織に対する不満や危機感をモチベーションに変換して大きく飛躍した企業の例は枚挙にいとまがない。
たとえばAppleは1980年代後半にシェアを大きく落とした後の危機感がきっかけで、徹底したブランド戦略を打ち立てたことで復活した。
ここには「このままではダメだ」「もっと革新的なことをやらなければ」という強い危機感と、それを原動力とする前向きな怒りが作用していたとも考えられる。
日本国内で見ても、起業や新規事業のスタートアップに成功した多くの経営者は「現状への強い不満や危機意識」を原点に行動を起こしていると語る。
経済産業省が2021年に公表した「スタートアップ人材に関する調査」では、起業動機として「業界の常識を変えたい」「不公平な仕組みを改善したい」という答えが最も多く挙げられている。
この不公平への怒りこそがポジティブな方向へ活かされた好例だ。
つまり、悲憤慷慨を単なる嘆きで終わらせるのではなく、「自分自身に対する原動力」に変えられるかがポイントになる。
怒りの対象を社会や他人に向け続けても、そこに必ずしも成果はない。
むしろ「自分がもっとできるはずだ」「この現状を変えるのは自分の行動次第だ」と方向転換することで、怒りは行動力を生む燃料へと変わる。
矢印を自分に向けると人生は前に進む
最終的に、悲憤慷慨は自分自身の行動を突き動かすエネルギーにしなければ意味がない。
社会の不正に腹を立て、運命を嘆いていても、何も変わらないという事実がある。
結論として、自らの運命に憤りを感じたときこそ「今の自分に足りないものは何か」「どうすればこの不満を解消できるか」と矢印を自分に向ける必要がある。
たとえばキャリアチェンジを考えるのも手だし、新しいスキルを学ぶためのスクールに通う方法もある。
あるいはさらに踏み込んで、自分が変えたいと感じている社会問題に取り組むNPOやベンチャー企業の門を叩くのも一つだ。
実際、日本の若い世代における起業率は先進国の中で低いが、近年では内閣府の調査で「将来的には起業を視野に入れている」という20代が10年前より約2倍に増えているとされる。
怒りを閉じこめるのではなく、自分を高めるきっかけに変換できるかが重要だ。
自分に矢印を向けるという行為は、自分自身の力で現状を変えられるかもしれないという期待感を抱くことであり、同時に責任を負う覚悟でもある。
それは決して簡単な道ではない。
しかし、その苦難と覚悟こそが人を成長させ、新たなステージへ進める手立てになる。
社会や他人の責任にするのは一時的には楽かもしれないが、長期的に見れば自分の力を伸ばす機会を失うことにつながる。
だからこそ、悲憤慷慨を嘆きで終わらせるのではなく、自分の力を伸ばす燃料に変えることが大切だ。
まとめ
最後に、企業経営の視点からも考えてみる。
自分の置かれた環境や社会の不正を嘆く暇があるなら、今あるリソースを最大化する方法を考えたい。
stak, Inc.では、あえて少人数で機能拡張型のIoTデバイスを企画・開発・運営しているのは、効率化とスピードを最優先しているからだ。
世の中の理不尽や不条理に怒りを向けるより、自分たちにできる範囲のイノベーションに力を注ぐほうがはるかに建設的だと考えている。
実際、技術的な課題や世の中のハードルは多い。
しかし、それらを「なぜ誰もやらないのか」「なぜこんな理不尽があるのか」と嘆くだけでは前に進まない。
だからこそ自分たちで可能性を証明しにいく。
それがstak, Inc.のCEOとしてのスタンスであり、過去のブログでも一貫して伝えようとしているメッセージだ。
現状への嘆きは行動のきっかけにはなるが、行動そのものではない。
データやエビデンスを活用して現実を把握し、自らの選択肢を増やすことが大事である。
悲憤慷慨は人間が本来持っている強いエネルギーだが、それをただ「社会や他人への怒り」として放出してしまうと、自分の人生を消耗させるリスクが高い。
一方、怒りの矛先を自分自身に向ければ、行動という形で未来を変える原動力になる。
歴史における数多くの変革は、強い危機感や不満を持った個人の行動によってなされてきた。
そして今の時代こそ、データやテクノロジーを活用すれば、個人が思う以上に多くのことを成し遂げられる可能性がある。
人生を前向きに生きるために必要なのは、嘆きを原動力に変える覚悟と工夫だと断言する。社会の不正を憂えるよりも、自らが変革を起こす側になるほうが、はるかに意味がある。
自らの運命への怒りを行動力に転じることで、人生は間違いなく前進していく。
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