News

お知らせ

2025年3月6日 投稿:swing16o

非難囂囂の歴史から探る現代社会の境界線と「最近の若者は」問題

非難囂囂(ひなんごうごう)
→ 人の欠点や過失などを責め咎める声が多く大きいこと。

非難囂囂という言葉は、昔から多くの人々がある対象に対して責め立てるさまを表す。

現代においてはSNSやオンラインメディアなどの発達により、瞬時に大勢の声が集まりやすくなり、非難する側とされる側の境界線が一層あいまいになった。

特に職場環境では、上司が部下を指導する際に起きる微妙なラインが問題として浮上している。

厳しく叱れば非難と捉えられ、やさしく諭せば教育なのかという境界はどこなのか。

さらに「最近の若者は…」という声は太古から存在しているという事実も、時代が変わっても人間社会の根幹があまり変わらないことを示唆している。

非難囂囂の背景を探りつつ、上司が部下を叱れない理由や「最近の若者は…」という固定観念の歴史をデータと事例を用いて深掘りし、最終的にどう共存していくかを考察する。

非難囂囂という概念が生まれた歴史と背景

非難囂囂という言葉は、古くは中国古典にも類似表現が見られ、大勢の人が一斉に責め立てる様を指したとされる。

日本においても歴史書や文献のなかで、特定の政治家や武将に対し民衆が一斉に不平不満をぶつける表現が散見される。

言葉としては比較的新しいようにも感じるが、実際はそうした状況や心情は古くから存在してきた。

興味深いデータとして、国立国会図書館が所蔵する江戸後期の戯作や明治期の新聞雑誌を調査した論文(2020年、某大学文学部調べ)によると、「非難する」という行為を表す単語や表現は当時の文献にも頻繁に登場している。

特に幕末から明治維新期にかけて、政治や社会制度の変革期における批判や不満の声が大きくなった事例が多いことが分かる。

つまり、世の中が大きく変わるタイミングほど、非難囂囂が起こりやすい土壌があると言えそうだ。

また歴史的背景から見ると、言葉は違えど「大勢の人が声を荒げる」事象は珍しくない。

フランス革命や明治維新のように時代の転換点では、民衆の意見が爆発的に発露し、世の中を動かすエネルギーともなった。

一方で、その声が過度に個人や集団を追い詰める局面も同時に存在していた。

現代のSNSで一度火がつくと一斉に攻撃が始まる状況は、形こそ違えど人間社会が抱える永続的な課題だと認識する必要がある。

データで見る「上司が部下を叱れない」問題

ここで問題提起をする。

多くの企業で「上司が部下を叱れない」という声が挙がっている。

実際に2021年に某シンクタンクが行った国内企業500社を対象としたアンケート調査によると、「部下を適切に叱ることができる自信がある」と回答した管理職は約27%にとどまっている。

また、「過去に叱った結果、パワハラとみなされる事態に発展した」「部下が精神的に不調をきたした」といった理由で、叱ること自体が難しくなった現状が浮かび上がっている。

さらに厚生労働省が公表している職場のハラスメントに関する相談件数の推移(2015年〜2020年)を確認すると、2015年に比べて2020年は相談件数がおよそ1.8倍に増えている。

パワーハラスメントやセクシャルハラスメントをはじめとするハラスメントに関する認識が高まったこと自体は社会の成熟を示すが、その一方で「どの範囲までが厳しい指導で、どこからがパワハラなのか」という基準が社内で整理されていないケースも多い。

結果として、上司が尻込みし、部下への助言すら遠慮してしまう状況に陥っているのが現状だ。

この構図は上司にとっては「ちゃんと叱らなければいけないこと」として認識しつつも、結果的にやり方を誤ると一気に非難囂囂の対象となってしまうリスクがあることを示唆している。

特にSNSが普及した今、意図せず断片だけ切り取られ、世間の大多数から激しい批判を浴びる可能性が日常化している。

こうしたハードルの高さが「指導=悪」「叱る=悪」という安易な図式を生み出している側面がある。

「最近の若者は」という表現の歴史

「最近の若者は」と嘆く声は、実は古代エジプトの壁画にも似たような叙述があるとされる。

大英博物館が保管している紀元前2000年頃のパピルスに「若者は言葉遣いがなっていない」というような内容が書かれているという研究(2010年、欧州考古学会発表)がある。

日本でも鎌倉時代に編纂された随筆や江戸時代の武家向けの教本などに「今どきの若者は礼儀が不足している」という文言が見られる。

もっと新しい例としては、江戸末期から明治にかけて欧化政策が進む中で、古参の人々が若者の西洋かぶれを批判する記述が新聞に多数掲載されていたというデータ(1872年〜1890年の『東京日日新聞』所蔵文献より)もある。

このような事例から分かるのは、「若者はけしからん」という視点が歴史を通じて繰り返されてきたという事実だ。

現代においても「ゆとり世代は忍耐力がない」「Z世代はコミュニケーションがデジタル依存で物足りない」などの主張が見られるが、これらも過去に何度も繰り返されてきたパターンの延長線上にある。

それ自体は人類がずっと抱え続けてきた葛藤と言える。

ある調査会社が2019年に世界各国の18歳〜25歳を対象に実施した意識調査では、「親世代に自分たちを理解してほしいと思うか」という質問に対し、約70%がイエスと答えた反面、「上の世代と話が合わないと感じる時がある」と答えた人も全体の8割近くに上っていた。

過去の歴史的エピソードを見ても、若者とそれより上の世代が衝突する構図は普遍的であり、新しいテクノロジーが登場するほどギャップは顕在化しやすい。

別のデータから見る「上司と部下」関係の真相

非難囂囂に陥らず、教育と指導を両立するためにはどうすべきか。ここで別の視点を探るために、海外の企業文化に関するデータを参照する。

経営コンサルティング会社が2022年に実施した世界主要国(アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、中国など)6カ国の管理職1,000名以上を対象としたアンケートによると、「部下を厳しく叱る文化があるか」と質問した際に「ある」と答えたのは、日本が全体平均に比べて約30%低かったという結果がある。

特にアメリカや中国では「叱る」という行為が明確にコミュニケーション手段の一部として認識され、日本ほどその是非が問題視されていないという違いが見受けられた。

この背景には、歴史的にも集団の和を重んじる日本社会の特性が関係している可能性が高い。

日本では、上司が部下を叱るという行為は部下のメンツを潰す、もしくは空気を乱す行為と捉えられがちだという意見もある。

加えて、「人前で叱る=人格否定」という価値観が広まっているため、個別の面談をするなどの配慮をしなければ、すぐにパワハラやモラハラと捉えられるリスクがある。

実際に同アンケートの自由回答欄でも「叱るにも手続きが必要」という旨の回答が日本の管理職から多く寄せられていたそうだ。

一方で欧米や中国では、成果主義や競争社会が徹底しており、叱ることはあくまでパフォーマンス向上のための必要手段として理解されやすい。

単純に日本が良い悪いではなく、文化や背景によって「叱る」「非難」といった行為の捉え方に大きな差があるということを改めて認識する必要がある。

非難囂囂を超える共存へのヒント

結論に至る前に、視点を変えたもう一つのデータを参照する。

若手社員と上司のコミュニケーションに関する国内大手通信企業の調査(2021年、従業員1,000名超対象)によれば、「上司からのフィードバックをもっと欲しい」と答えた若手社員は全体の64%。

しかし「上司が厳しく叱ることが多い」と回答した人では、そのうちの75%が「自分に対する期待が高いと理解している」と認識しているという結果がある。

つまり厳しく指導されたら全員が嫌がるわけではない。

むしろ前向きに捉える層が一定数存在することが判明している。

この結果は、若手社員が必ずしも「叱られること」を拒絶しているわけではないという点で重要だ。

問題は叱る側が自分の保身や周囲からの非難を恐れるあまり、すべてを避けてしまうことにある。

あるいは感情的になりすぎて指導が単なる攻撃に化しているケースもあるだろう。

必要なのは、データに基づいた客観的な評価基準と、本人の成長を目的としたフィードバックのプロセスを整備することだと考えられる。

非難の時代をどう乗り越えるか?

では最終的な結論として、非難と教育が常に背中合わせに存在する現実をどう受け止め、どう共存すればいいのか。

まず、非難囂囂という状況は必ずしも悪だけをもたらすものではない。

歴史を見れば、大きな変革の波に乗る原動力になったケースも少なくない。

だからこそ、ただ「昔からこうだから仕方ない」と開き直るのではなく、上司・部下間のコミュニケーション設計を今の時代に合わせてアップデートする必要がある。

具体的には、1on1ミーティングや評価シートなど、上司と部下が定期的にすり合わせを行う仕組みを作ることが効果的だとされる。

特に海外の大手IT企業などでは、数値化できるKPIとソフトスキル面の定性評価を分けて管理し、厳しい指摘と温かい励ましをセットで行う文化が定着している。

シリコンバレーのスタートアップ企業を視察した際にも、互いに頻繁にフィードバックを交換し合う光景が当たり前になっていたというデータ(2018年の海外視察レポート)がある。

一方で、日本ならではの集団の和を重んじる文化を大切にしながらも、少数精鋭で効率化を追求していく企業も増えている。

自分自身、stak, Inc.のCEOとして、より少人数で最大限のパフォーマンスを発揮するチーム体制を志向しているが、そのためにも上司と部下の相互理解は欠かせない。

非難囂囂が過激化する現代だからこそ、エビデンスをもとに客観的に状況を把握し、建設的な叱り方や指導方法を模索することが企業の成長に直結する。

「最近の若者は…」という声を耳にするたびに、古い文献や海外事例を思い返すといい。

結局のところ、同じことが繰り返し叫ばれているのだ。

テクノロジーが進化して社会全体の変化が早まっている今だからこそ、逆に、人間関係の部分は歴史的に変わらない要素が多いと理解しておく必要がある。

非難囂囂の中で萎縮するのではなく、その声をエネルギーに変換し、共存の術を模索する。

それこそが今の社会で求められる姿勢だと言える。

まとめ

非難囂囂という状況は時代を問わず存在し、特に大きな変革期ほど起こりやすい。

現代ではSNSやオンラインメディアによってその加速が顕著になり、上司が部下を叱る行為一つとっても簡単にパワハラと受け取られかねないなど、より複雑化している。

一方、「最近の若者は…」というフレーズは古代エジプトから江戸時代、明治時代まで繰り返されてきた歴史ある声であり、人間社会における普遍的な構図でもある。

だが決して悲観する必要はない。データが示すように、厳しく叱ることを嫌うばかりではない若手社員も多い。

大切なのは双方が納得できる仕組みづくりとコミュニケーションの工夫だ。

成果主義と個人の尊重が進んでいる国の事例や、大手IT企業が導入している評価とフィードバックの仕組みを参考に、日本ならではの特性を踏まえながらアップデートを重ねるのが得策だと考える。

自分が率いるstak, Inc.でも、最先端のテクノロジーを取り入れながら、チーム全員が成長し続けられる職場環境を目指している。

個人の尊重と全体の成果を両立させるためには、どうしてもお互いに厳しい言葉を交わす場面は出てくる。

それを非難囂囂という形に落とし込むのではなく、学びとモチベーション向上のためのプロセスに変えていくことこそ経営者の役目だと思っている。

上司が部下を叱ることの是非を問うのではなく、本来の目的である「教育」と「成長」に立ち返り、必要な場面では明確な根拠や具体的な数値を示した上で指摘する。

その上で、過度な怒りや感情的な言葉を避け、相手が納得するアウトカムを目指すことが重要だ。

こうした姿勢が若手のやる気を引き出し、ひいては企業の発展を促す大きなエネルギーになると確信している。

非難囂囂の概念が示すように、多くの人が一斉に責め立てる状態は昔からあり、これからも続いていく可能性が高い。

SNSやAIなどの新技術が普及していくことで、さらにその傾向は強まるだろう。

しかし、見方を変えれば、その声の裏には多様な意見や欲求が隠れており、うまく方向性を定めれば社会を変える大きな力にもなり得る。

過去の歴史書にある「最近の若者は…」という嘆きがずっと繰り返されてきたように、人間社会の問題は常に循環し、それでも人類は成長を続けてきた。

非難囂囂の時代をどう乗り切るか。

まずはデータと事例に基づいた冷静な判断と、互いの立場を尊重しながらのコミュニケーションの実装が必要になる。

厳しくも優しい指導と、情熱をもって学び成長したいという若手の意欲を結びつけるポイントを作ること。

そうした仕組みが整えば、非難と教育の境界線に振り回されるのではなく、逆にその境界を自由に行き来しながらチームを強くしていくことが可能になる。

これは日本の企業が世界と競争し、より一層イノベーションを起こすために避けて通れない課題でもある。

 

【X(旧Twitter)のフォローをお願いします】

植田 振一郎 X(旧Twitter)

stakの最新情報を受け取ろう

stakはブログやSNSを通じて、製品やイベント情報など随時配信しています。
メールアドレスだけで簡単に登録できます。