万古不麿(ばんこふま)
→ いつまでも滅びないこと、つまり永久にすり減ることがないこと。
万古不麿という言葉は、文字通り「永久にすり減らないもの」「いつまでも滅びないもの」を表す概念として知られている。
実際の由来は中国の古典に見られる表現で、長い年月を経ても姿や価値が失われない状態を示してきた。
時代背景としては、王朝や文化が移り変わる中で、最後まで残る何かを求めた思想や願いがそこにあったとされている。
実際に古代中国では、黄金や玉、あるいは不老不死の妙薬などが万古不麿の象徴とされた。
黄金は錆びない金属として重宝され、玉は割れない限り劣化しにくい宝石だった。
これらはいずれも希少価値が高く、数千年前から現代に至るまで富と権力の象徴として崇められてきた。
万古不麿という言葉が広まった背景には、人々が変わらないものに対して強い憧れを抱き、そこに永遠を求めようとする文化的な下地があった。
日本においても万古不易や万世不朽といった同様の概念が古くから存在し、神社仏閣のように長期間維持される建造物や信仰の対象が、人々に「永遠」を連想させる象徴だった。
万古不麿という響きには、有限の人生を送る我々が到達し得ない“永遠”をなんとか掴み取りたいという願望が宿っている。
しかし、本当に物理学的・科学的な観点から、万古不麿に該当するような“絶対に滅びないもの”は存在するのか。
そこに疑問を投げかけ、実際に調査してみることにする。
物理学的視点:あらゆるものはいつか消滅するのか?
万古不麿を物理学的に捉えるなら、対象は質量やエネルギーの形態をとって存在し続けるかどうかにかかってくる。
そもそも現代物理学の枠組みでは、エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)が宇宙全体に適用されるとされている。
エントロピーとは乱雑さの指標とも言われ、時間が進むほど秩序は崩れていく方向へ向かう。
仮に宇宙が熱的死(Heat Death)の状態に至ると、あらゆる熱エネルギーは均一化して物理的な変化が起こらなくなるとされる。
物質は黒体放射レベルに近づき、生命活動や運動が存在しない“絶対的な静寂”に近い状態になるという。
これにより、宇宙規模のスケールで見れば「いつかはすべて滅びる」という立場が主流になっている。
さらに、素粒子レベルで考えても、陽子の崩壊(プロトン崩壊)が起こるかどうかが議論されてきた。
標準理論の拡張モデルの中には、陽子は10の31乗年から10の36乗年程度の寿命を持つ可能性があるという仮説がある(Evidence: 日本の神岡宇宙素粒子研究施設の観測データなど)。
この仮に10の36乗年という気が遠くなるような時間が経った後に陽子が崩壊するなら、すべての原子も存在し得なくなる。
ブラックホールでさえホーキング輻射により、10の67乗年から10の100乗年後には蒸発するとされている。
こうした極端に長い時間スケールを想定しても、物質はいつか崩壊したり形を変えたりして消失する見込みがある。
要するに、現在の宇宙物理学の知見に照らしてみれば、厳密な意味での万古不麿は存在しない。
むしろ「非常に長い寿命を持つもの」はあっても、それが絶対的に永遠とは呼べないわけだ。
科学的視点:永久性を追求するテクノロジー
それでも、人類は常に「劣化しないもの」「壊れないもの」を求めてきた。
ダイヤモンドの硬度や貴金属の腐食耐性、人工合金の耐久性など、技術の進歩によって“万古不麿に近い”性能を獲得しようと挑戦が続いている。
例えば、炭素繊維強化プラスチック(CFRP)や超高温超伝導素材なども、極端な条件下での耐久性を高める研究が進んでいる。
しかし、このように人工素材やテクノロジーで性能を極限まで高めたとしても、酸化や放射線、衝撃など、なんらかの形で劣化が始まるリスクをゼロにすることは難しい。
宇宙空間に衛星を打ち上げると、太陽風や宇宙線の影響で徐々に劣化していく。
地球上に設置した構造物であれば、湿度や温度変化、菌類などの微生物、化学反応など、ありとあらゆるファクターが少しずつダメージを与えていく。
ただし、寿命を極端に伸ばす技術は着実に進歩している。
ドバイでは3Dプリンターで建築物を作る試みが行われており(Evidence: The Office of the Future, 3Dプリントされたオフィスが2016年に完成)、使われる素材によっては従来よりも劣化しにくく、メンテナンスの手間を減らして長寿命化を図っている。
さらに、ナノ粒子コーティングを施した金属やガラスは腐食や汚れを圧倒的に防ぎ、半永久的に綺麗な外観を維持することも可能だと言われている(Evidence: Nature誌に掲載されたナノコーティング技術の研究)。
このような素材工学の発展や、AIを活用した異常検知システムによるメンテナンス効率化によって、実質的に耐久年数が“限りなく永遠に近い”モノやインフラが生まれる余地がある。
物理的に完全に不滅とは言い切れないが、人間社会のスケールではほとんど劣化を感じさせないものが現実になろうとしている。
限りなく不滅に近い現象の事例
現代の知見で「限りなく不滅に近い」と評価されるものを、希少価値の高さ順にいくつか紹介する。
希少価値の指標は存在量の少なさや生成にかかるコストなど、多面的に考慮する。
まず宇宙規模で見ると、ブラックホールが代表格になる。
通常の天体では想像を絶する重力井戸を形成しており、ホーキング輻射による蒸発までには途方もない時間がかかる。
人間の寿命からすると“ほぼ不滅”と言っていい存在だ。
しかし、既述のように理論上は最終的にエネルギーを失い蒸発するという予測があるため、厳密には万古不麿と呼びがたい。
次に陽子や中性子など素粒子レベルの存在だが、仮説上その寿命は10の36乗年とも言われ、まさに想像を絶する長さだ。
この数字は“人間の感覚スケール”からすれば無限に等しい。
しかし宇宙スケールで言えば限界があるかもしれず、宇宙全体の寿命と比較してもいずれ崩壊する可能性が示唆されている。
さらに地球上に目を向けるなら、硬度が高く化学的に安定しているダイヤモンドやルビーなどの宝石類が不滅に近い存在として重宝される。
ダイヤモンドは結合が非常に強固であり、自然環境下での劣化スピードは極めて遅い。
実際に数億年前の地層からダイヤモンドが見つかることも珍しくない(Evidence: オーストラリア西部のアーガイル鉱山の研究)。
しかし、超高温高圧下では炭素が別の形態に変化する可能性もあるし、衝撃や酸素との化学反応などで少しずつ劣化が進むリスクはゼロではない。
こうした事例は“限りなく永遠に近い”が、全くの不変ではない。だが、万古不麿という概念を実感するのに十分なスケールの大きさを感じさせる。
未来への挑戦:不滅を超えた価値創造
たとえ絶対に滅びないものが存在しなくとも、人類はその限りない渇望を胸にイノベーションを起こしてきた。
実際、情報やデータこそが不滅に近い存在として再評価されている。
デジタルデータはハードウェアが劣化しても、コピーやクラウドストレージを介して延々と保存され続ける可能性がある。
ブロックチェーンなど分散型の仕組みは、データを世界中に複製し、特定のサーバーがダウンしても失われない形で保管している(Evidence: ビットコインのノード数が全世界で1万を超えるデータ)。
ただし、エネルギー供給がストップすればサーバーも停止し、最終的には物理的なメディアが腐食や劣化によってデータを失うリスクは残る。
だが、情報を広範囲に分散させることで、事実上の永続性に近い形を実現しつつあるのが現代のテクノロジーの到達点とも言える。
一方で人類の進化によって、将来的には物理的な制約を大幅に超えた何かを創造できる可能性がある。
AIを使った意識のアップロード技術や、遺伝子レベルでの寿命延長研究などは、その入り口に過ぎない。
もはや「人間自身が物理的肉体を超えていく」段階に達すれば、万古不麿を実現する新たな存在へと変容するシナリオすらあり得るかもしれない。
まとめ
ここまで物理学や科学の観点から「万古不麿は存在しない」あるいは「限りなく近いものはあるが完全ではない」という結論に至った。
しかし、一方で“滅びにくい”状態を極限まで高める技術や概念は確かに存在し、これが今後も発展していく余地は十分にある。
経営やブランディングの視点から見ると、この「限りなく不滅に近い価値」をどう創造し、世の中に定着させるかが勝負の分かれ目になる。
stak, Inc.のCEOとして考えるならば、物理的に壊れないものを作るのではなく、人々の心に深く刻まれ、時を超えて支持されるプロダクトやサービスを提供することこそが企業の万古不麿に繋がる。
ITやIoT、AIなどのテクノロジーは急速に進化し続けており、新たな競合や技術革新が起これば一気に時代遅れになりかねない。
しかし、“使う人の体験そのもの”にフォーカスすれば、その価値は簡単には色あせない。
stakという機能拡張型のIoTデバイスは、生活の中に自然に溶け込み、新しい体験を創出するというコンセプトで開発を続けている。
単にデバイスが長持ちするだけでなく、ファームウェアやクラウドサービスのアップデート、AIを活用した予測制御によって、ユーザー体験が飽きずに進化し続ける形を目指している。
ここに“データの万古不麿”を取り込むことで、デバイスそのものの寿命以上に、ユーザーとのつながりが長く続く可能性が広がる。
また、ブランド力やマーケティングにおいても、希少価値を高める要素は有効になる。技術や素材のレアリティを打ち出すか、あるいはデザインや体験に独自性をもたせるかなど、複合的なアプローチが重要だ。
エンタメやクリエイティブ要素、PR戦略と組み合わせることで、一つの製品が単なるモノを超えて“文化”になれば、それは個人のファンを呼び込み、コーポレートサイトへのPVやUUを増やし、企業の成長に直結する。
結局、万古不麿を物理的に実現することは難しくても、概念としての価値はビジネスにも応用できる。
むしろ、限られた時間軸の中で“少しでも永遠に近づく努力”こそがイノベーションを生む原動力になる。
この概念を意識したプロダクト設計とブランディングを続けることで、テクノロジーとクリエイティブの両軸から新たな価値を提供し続けていく所存だ。
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