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2024年6月15日 投稿:swing16o

追奔逐北に見る戦国の名将たち:敗走の最前線に立つ「殿」の伝説と教訓

追奔逐北(ついほんちくほく)
→ 逃げる賊を追いかけること。

追奔逐北(ついほんちくほく)とは、逃げる敵を追撃することを意味する言葉だ。

「追奔」は追いかける、「逐」は追い払う、「北」は背中や後ろを指す。

つまり、背中を見せて逃げる敵を、後ろから追いかけ、追い払うことを表している。

この言葉の由来は、中国の古典「春秋左氏伝」に遡る。

「公敗績于長勺、遂追奔逐北」という一節がある。

これは、「公は長勺で敗れ、敵を追奔逐北した」という意味だ。

敗戦した後も、敵を追撃し続ける様子を描写している。

日本では、戦国時代に追奔逐北という言葉が使われるようになった。

合戦で敗れた際、敵に背中を見せて逃げる武将たちを、勝者が追撃する場面を指して使われた。

追奔逐北は、戦国武将たちにとって、避けては通れない場面だったのだ。

しかし、ここで注目したいのは、追撃される側の武将たちの役割だ。

敗走の最前線に立ち、仲間の命を守る武将がいた。

彼らは「殿(しんがり)」と呼ばれ、戦国時代の合戦において重要な役割を果たしたのだ。

殿は、文字通り部隊の最後尾に立ち、敵の追撃から仲間を守る役割を担った。

敗走の混乱の中で冷静に判断し、時に果敢に敵に立ち向かう。

そうした殿の働きがあってこそ、多くの仲間が命を繋ぐことができたのだ。

追奔逐北という言葉の裏には、命を懸けて仲間を守る殿の姿があった。

彼らの活躍があってこそ、戦国武将たちの伝説が生まれたのだ。

次のカテゴリでは、戦国時代の合戦における殿の役割を詳しく見ていこう。

戦国時代の合戦における殿の役割

戦国時代の合戦では、勝敗の行方は刻一刻と変化した。

優勢だった戦況が、一瞬で逆転することもあった。

そんな戦場で、兵士たちの命を守るために欠かせなかったのが、殿の存在だ。

殿は、戦場の最前線ではなく、最後尾に位置する。

大名や大将は本陣にいて、全体の采配を振るう。

一方、殿は、敗走する兵士たちを援護し、敵の追撃から守るのだ。

殿に求められたのは、冷静な判断力と強い精神力だ。

敗走の混乱の中で、部下たちを統率し、的確な指示を出さなくてはならない。

時には、敵に立ち向かい、一人で多くの敵を相手に戦うこともあった。

そうした働きによって、多くの仲間の命が救われたのだ。

殿の役割の重要性は、武将たちの書状からもうかがい知ることができる。

例えば、織田信長の家臣である丹羽長秀は、次のような書状を残している。

「合戦においては、大将の陣立てと同じくらい、殿の働きが大切である。殿が崩れれば、たとえ大将が善戦しても、軍全体が崩れてしまう。

長秀は、殿の働きが軍全体の命運を左右すると述べている。

また、武田信玄の家臣である山本勘助も、次のように述べている。

「殿は軍の要である。殿が強ければ、たとえ敗走しても、軍全体が生き残ることができる。」

勘助も、殿の重要性を強調している。

このように、戦国武将たちは殿の役割の重要性を深く認識していた。

優れた殿の存在が、戦の勝敗を分けることもあったのだ。

では、実際に殿を務めた武将たちは、どのような活躍を見せたのだろうか。

次のカテゴリでは、戦国時代に名殿として名を馳せた武将たちを見ていこう。

戦国時代の名殿たち

戦国時代には、数多くの優れた殿が存在した。

彼らの活躍は、今なお語り継がれている。

ここでは、代表的な名殿10人の逸話を紹介しよう。

1. 山本勘助(1493-1573)

武田信玄の家臣で、「武田二十四将」の一人。

「殿は山本」と言われるほど、殿の名手として知られた。

「甲州法度」にも、殿は山本勘助と定められている。

2. 真田昌幸(1547-1611)

真田家の当主で、真田幸村の父。

「真田丸」の築城でも知られるが、殿の名手でもあった。

上田合戦では、徳川家康の大軍を相手に、殿として奮戦した。

3. 島左近(1524-1583)

織田信長の家臣で、「三河衆」の一人。

桶狭間の戦いでは、今川義元の追撃を受けながら、殿として活躍した。

信長からも「殿は左近」と言われたという。

4. 黒田官兵衛(1546-1604)

豊臣秀吉の家臣で、戦国四天王の一人。

賤ヶ岳の戦いでは、柴田勝家の追撃を受けながら、殿として奮戦した。

官兵衛の働きで、秀吉は九死に一生を得たと言われている。

5. 伊東マンショ(1523-1600)

戦国時代後期の武将で、北条氏の家臣。

小田原攻めの際には、豊臣秀吉の大軍から北条氏康を守るため、殿を務めた。

マンショの働きで、氏康は命からがら小田原城に逃げ込むことができたのだ。

6. 小早川隆景(1533-1597)

毛利元就の家臣で、毛利輝元の乳母の夫。

「毛利の白旗」と呼ばれる名将だったが、殿の名手でもあった。

津和野城の戦いでは、毛利軍の殿を務め、多くの仲間の命を救った。

7. 本多忠勝(1548-1610)

徳川家康の家臣で、徳川四天王の一人。

関ヶ原の戦いでは、石田三成の追撃を受けながら、殿として奮戦した。

忠勝の働きで、家康は無事に逃げ延びることができたのだ。

8. 片桐且元(1554-1615)

豊臣秀吉の家臣で、高野山で自刃した「高野切腹」の人物。

賤ヶ岳の戦いや紀州征伐では、殿として活躍した。

「殿に片桐」と言われるほどの名殿だったと伝えられている。

9. 堀尾吉晴(1530-1590)

織田信長の家臣で、「美濃四人衆」の一人。

姉川の戦いや賎ヶ岳の戦いで、殿として活躍した。

堀尾家は代々殿の名手を輩出したと言われている。

10. 鳥居強右衛門(1539-1600)

戦国時代後期の武将で、徳川家康に仕えた。

関ヶ原の戦いでは、家康の殿として奮戦。

強右衛門の働きで、家康は無事に領土に帰還できたのだ。

以上が、戦国時代に名を馳せた名殿10人の逸話だ。

彼らに共通するのは、死を恐れず、仲間の命を守るために戦ったことだ。

そうした殿の働きがあったからこそ、数多くの武将が戦場を生き延びることができたのだ。

現代に生きる私たちも、彼らの生き様から学ぶべきことは多いだろう。

次のカテゴリでは、名殿たちから学ぶべき教訓を考えてみよう。

名殿たちから学ぶ教訓

名殿たちの逸話からは、現代に生きる私たちが学ぶべき教訓が数多く見えてくる。

ここでは、3つの教訓を挙げてみよう。

1. 仲間を大切にする

名殿たちに共通するのは、仲間の命を何よりも大切にしたことだ。

自分の命を顧みず、仲間を守るために戦った。

それは、武士としての誇りであり、生き様そのものだった。

現代社会でも、仲間を大切にすることは何より重要だ。

一人では成し遂げられないことも、仲間と共に乗り越えていける。

仲間の命を守り、助け合うこと。

それが、組織を強くする原動力になるのだ。

2. 冷静に判断する

名殿たちは、戦場の混乱の中でも冷静に判断することができた。

敵の動きを見極め、的確な指示を出した。

時には、一歩引いて全体を見渡す勇気も必要だった。

現代のビジネスの世界でも、冷静な判断力は欠かせない。

目先の利益に囚われるのではなく、長期的な視点を持つこと。

情報を的確に分析し、適切な判断を下すこと。

それが、リーダーに求められる資質なのだ。

3. 諦めない心

名殿たちは、決して諦めなかった。

たとえ敗走の最中でも、最後まで戦い続けた。

それは、仲間への誇りと責任感からくるものだった。

現代社会でも、諦めない心は何より大切だ。

どんな困難に直面しても、最後まで諦めない。

それが、成功への道を切り拓く原動力になる。

スティーブ・ジョブズも「諦めないことが大切」と述べている。

諦めない心があれば、道は必ず開ける。

それが、名殿たちが示してくれた教訓だ。

名殿たちの生き様は、現代に生きる私たちに多くの示唆を与えてくれる。

仲間を大切にし、冷静に判断し、諦めない心を持つこと。

それが、激動の時代を生き抜くための知恵なのだ。

ビジネスの世界でも、リーダーに求められる資質は同じだ。

部下を大切にし、的確な判断を下し、困難に立ち向かう勇気を持つこと。

それが、組織を導くリーダーの条件なのだ。

名殿たちの生き様は、リーダーの在り方を示してくれている。

彼らの教訓を胸に、変革の時代を乗り越えていきたい。

追奔逐北の先にあるもの

追奔逐北という言葉には、もう一つの意味が隠れている。

それは、敗走の先にある希望だ。

敗走は、決して終わりではない。

むしろ、新たな始まりなのだ。

名殿たちは、敗走の最中にあっても、決して諦めなかった。

仲間を守り、生き延びることを諦めなかった。

彼らは、敗走の先に、必ず希望があると信じていたのだ。

現代に生きる私たちも、彼らの生き様を胸に刻む必要がある。

ビジネスの世界では「失敗」と「挫折」は避けられない。

しかし、それこそが新たな始まりの時なのだ。

スティーブ・ジョブズはかつて、自身の人生最大の挫折について語っている。

アップルを追放された時、ジョブズは大きな挫折を味わった。

けれども、彼はその挫折を「これまでで最も創造的な時期だった」と振り返っている。

なぜなら、全てをゼロから始める機会を得たからだ。

ピクサーを立ち上げ、「トイ・ストーリー」を生み出したのもこの時期だった。

「追放」という敗走が、新たな創造を生んだのだ。

ビジネスで挫折を味わった時こそ、大きなチャンスなのかもしれない。

過去の成功体験に囚われず、ゼロから出直す勇気を持つこと。

そこから、新たな道が拓けるはずだ。

追奔逐北の先にあるのは、新たな希望なのだ。

敗走を恐れず、前を向いて進んでいく勇気を持ちたい。

戦国の名殿たちが示してくれたように、道は必ず拓ける。

「追奔逐北」という言葉には、逃げる敵を追撃するという意味がある。

しかし、その言葉の裏には、希望を求めて前に進む勇気も込められている。

戦国の世は、常に希望を求めて戦い続ける世界だった。

だからこそ、数多くの逸話が生まれたのだ。

現代を生きる私たちも、希望を求めて前に進んでいきたい。

時代が変わっても、リーダーに必要な資質は変わらない。

仲間を大切にし、冷静に判断し、諦めない心を持つこと。

そして何より、敗走の先に希望を見出す勇気を持つこと。

それこそが、名殿たちから学ぶべき最大の教訓だ。

彼らの生き様を胸に、新たな時代を切り拓いていこう。

追奔逐北の先に、私たちの未来がある。

まとめ

追奔逐北とは、逃げる敵を追撃することを意味する言葉だ。

しかし、その言葉の裏には、希望を求めて前に進む勇気も込められている。

戦国時代、合戦の最前線で活躍したのが「殿」と呼ばれる武将たちだ。

彼らは、仲間の命を守るために死力を尽くし、時に果敢に敵に立ち向かった。

山本勘助、真田昌幸、島左近など、数多くの名殿が活躍したのもこの時代だ。

彼らの生き様からは、現代のリーダーが学ぶべき教訓が数多く見えてくる。

仲間を大切にし、冷静に判断し、諦めない心を持つこと。

そして何より、敗走の先に希望を見出す勇気を持つこと。

それこそが、名殿たちから学ぶべき教訓だ。

追奔逐北の先には、新たなる希望が待っている。

戦国の武将たちが示してくれたように、道は必ず拓ける。

彼らの生き様を胸に、激動の時代を乗り越えていこうではないか。

 

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