春風得意(しゅうぷうとくい)
→ 春の風の心地よさから転じで、学問・仕事・出世などが順調で満足げな様子を形容した言葉。
満足という概念は人によって異なる。
そんなことで満足するのかと思ったり思われたりするのが、なによりもその証だろう。
とはいえ、その人自身が満足しているのか、満足していないのか、それを知る方法を私は知っている。
ということで、満足という概念について書いていこう。
なぜ人は満足感を得ることができるのか?
満足感を得ることは、人間の心理や生理的なメカニズムに関連している。
満足感を得ることができる理由のいくつか紹介していく。
1)快感と報酬系
満足感は、脳内の快感や報酬系と関連している。
特定の活動や経験が、脳内の報酬系を刺激し、ドーパミンといった神経伝達物質の放出を促す。
これにより、喜びや満足感を感じることができる。
2)達成感と自己効力感
目標の達成や困難の克服によって得られる達成感や自己効力感は、満足感を生み出す要素となる。
目標を設定し、それを達成することで自己成長や自己満足を感じることができる。
3)社会的関係とつながり
社会的なつながりや愛情的な関係を築くことによって、満足感を得ることができる。
他人との絆や支援によって、喜びや幸福感を感じることができる。
4)自己受容と自己成長
自己受容や自己理解を通じて、自分自身を受け入れることや自己成長を追求することで、内面的な満足感を得ることができる。
自分の強みや価値観に基づいて行動することによって、自己の肯定感を高めることができる。
5)プレゼンスとマインドフルネス
現在の瞬間に集中し、マインドフルネスを実践することで、満足感を得ることができる。
過去や未来に囚われず、現在の状況に感謝し、意識的な存在感を持つことが重要だ。
なぜ人は満足していないと感じるのか?
満足感を得るメカニズムの一部を紹介した一方で、なぜ人は満足していないと感じてしまうのか?
満足感を得ることができない理由も満足感を得ることができる理由と同様に様々だが、いくつか一般的な理由を挙げてみる。
1)目標の欠如または達成の困難さ
目標が明確でない場合や、達成が困難な場合には満足感を得ることが難しい。
目標が曖昧であったり、自分の能力や状況に見合わない目標を設定してしまったりすると、満足感を得ることができない場合がある。
2)自己評価や比較への執着
過度の自己評価や他人との比較によって、満足感を得ることができない場合がある。
自分に対して厳しい評価をし過ぎたり、他人との比較によって自分を劣等感や不満足感に陥れることがある。
3)社会的圧力や期待
社会的な圧力や他人の期待によって、自分の欲求や目標を追求することが難しくなる場合がある。
他人の評価や期待に合わせようとすることで、本来の自分の欲求や価値観を無視してしまい、満足感を得ることができなくなることがある。
4)不満足な状況や関係
環境や人間関係が不満足な状態である場合、満足感を得ることが難しい。
仕事や学校、家庭などの状況がストレスや不適切な要素を含んでいたり、人間関係が不健全であったりすると、満足感を得ることが困難になる。
5)心理的な問題や不調
心理的な問題や不調が満足感の妨げとなることがある。
うつ病、不安、ストレス、自己価値感の低さなど、心の健康状態が満足感に影響を及ぼす場合がある。
あなたの満足と不満足を知る方法
満足感を得るメカニズムと満足感を得られないメカニズムについては、上述したものを参考にしてもらいたい。
それでは、そもそも自分自身が今現在、満足しているのか、あるいは満足していないのかを知る方法について書いていこう。
なにもこれは自分自身だけでなく、第三者にも当てはまることで、それはたった1つの質問を投げかければわかる。
その質問は下記のとおりだ。
あなたの人生で最も楽しいと思えるときは、いつですか?
勘の鋭い人はすぐにピンときたかもしれないが、この質問に対して、満足している人の回答は1つだ。
それは、今が一番楽しいと答えた場合だ。
ただ、自分自身や周りにいる人に、この質問を投げかけてもらいたいのだが、過去の一部を切り取った瞬間が楽しいと答える人が圧倒的に多い。
もちろん、現在地が学生の人であれば、そんなことにはならないのだが、ある程度、世間一般では大人とみなされる人にこの質問を投げかけると、学生時代が一番だったという人が多い。
学生時代といっても幅広く、小学生、中学生、高校生、大学生などのカテゴリがあるが、その理由は、あの頃は自由だったとか好きなことができたというものだ。
いずれにせよ、今現在ではないという回答が全てを表していて、今現在が一番楽しいと答えられない人は満足した人生を送れていないと思った方がいい。
過去が一番楽しいと答えた人の傾向
ここで伝えておきたいことがある。
まず、過去が一番楽しいと答えた人たちに対して、その人の人生を否定したり批判したりするつもりは毛頭ないということだ。
そして、その人の想い出に対してケチをつけようとなど微塵も思っていない。
ただ、満足できていない現状があることに満足しているのかと問いかけたい。
もちろん、大きなお世話だし、私のようなどこの馬の骨だかわからない人間に、そんなことを言われる必要などないのは承知だ。
けれども、なぜ私がこんなことを投げかけるのかを説いていく。
それは、私の祖父は100歳まで生きたのだが、最期を迎えるまで特段大きな病気もなく、まさに大往生だったと思う。
それこそ、亡くなる直前期は記憶が曖昧で私のことが誰なのかわからないような状態はあったが、ずっと元気だった。
そんな祖父にとあるときに、同じ質問を投げかけてみた。
くり返しになるが、同じ質問というのは、下記のとおりだ。
あなたの人生で最も楽しいと思えるときは、いつですか?
祖父は間髪入れず、今が一番ええねと答えた。
それは、祖父が98歳を超えているタイミングだったと思う。
そして、それを聞いた当時の私は、単純にこんな生き方をしたいと思った。
あえて苦言を呈させてもらうが、過去が一番楽しいと思っている人は、アップデートされていない毎日を送っているのではないだろうか。
思考停止した人生にアップデートはないという考え方
せっかくなので、もっと辛辣な表現をさせてもらおう。
過去が一番楽しいと思っている人は、思考停止していて過去の小さな成功体験にすがっている場合が多い。
もっと言うと、そのことにすら気がついておらず、ただただ毎日を平凡に送っている傾向が強い。
放っておいてくれという場面だということはわかっているが、100歳に近い老人が今が一番楽しいと答えたということが少しでも響いた人はそうは思わなかったはずだ。
もう先が長くないことは当然わかっているはずだ。
人は死が迫っているということを普段は意識していないが、流石に100歳近くになれば市が迫っていることはわかるだろう。
そして、死が迫っていれば恐怖を感じるのが普通だろう。
それでも、今が一番楽しいと答えることができた祖父は、自分の歩んできた人生に満足してこの世を去ったのだと思う。
いつか祖父と別の話をしていたときに、周りの同級生はほとんど亡くなったけれども、自分は生きていることに対して複雑な気持ちになることがあるとも語っていた。
当然、そうなるなど若い頃には考えてもみなかったし、予想もつかなかった結果でしかないのだが、それをプラスに捉えて生きてきたのだと思う。
その根本にあった考え方が今を一番楽しもうというものだったと考えている。
それを私はアップデートと呼び、アップデートが行われていない人は思考停止していると主張している。
まとめ
思考停止という言葉は年齢を問わずに起きている現象だということを最期に伝えておきたい。
5歳であっても、12歳であっても、20歳であっても、33歳であっても、45歳であっても、58歳であっても、66歳であっても、それ以上の年齢であっても、いつの場面でも思考停止は起きる。
なにが言いたいのかというと、年齢を重ねていくことで思考停止していくわけではない。
そして、なぜ思考停止が起きるのかというと、その人が今を一番楽しもうというマインドがないからである。
なにかしら言い訳をすることで、思考停止が起きている。
いつまで生きることができるかわからない、一度きりしかない人生を満足したと心から言える人生と、過去のしかも死を直前としたところから限りなく遠い過去が楽しかったと思う人生。
この2つのどちらかを選択することを迫られたときに、あなたはどちらを選ぶだろうか。
しつこいが、もう一度、この質問を投げかけてみる。
あなたの人生で最も楽しいと思えるときは、いつですか?
私は今が一番楽しいと心から言える。
【Twitterのフォローをお願いします】