社燕秋鴻(しゃえんしゅうこう)
→ 短い出会いのことで、出会ったばかりですぐ別れてしまうことをいう。
出会いがあれば必ず別れがある。
とりわけ、春はそんな季節だ。
そして、出会いも別れも、その人を強くする。
四季が起きる理由
個人的には春先が近づくと花粉症を発症するので、そんなにウキウキするものではない。
一方で、桜を目にしたり卒業ソングを耳にすると感傷に浸ってしまうこともある。
そんな春だが、そもそもなぜ四季があるのだろうか。
四季が起きるのは、地球が太陽の周りを回る軌道が楕円形であるため、地球が太陽からの距離が変化することによる気候の変化により生じる。
また、地球の傾斜軸が23.5度傾いているため、地球は一年を通して太陽からの角度が変化し、季節が変わる。
例えば、北半球では、夏至のときに地球の傾斜軸が太陽に最も近い角度に傾く。
これにより、北半球の夏は太陽からの光が強く、昼間が長く、気温が高くなる。
そして、冬至のときには、地球の傾斜軸が太陽から最も遠い角度に傾く。
これにより、北半球の冬は太陽からの光が弱く、昼間が短く、気温が低くなる。
このように、地球の軌道と傾斜軸の変化によって、四季が起きる。
春という季節
私はごくごく普通の人間だ。
なので、普通に小学校へ通い、中学校へ通い、高校へ通い、大学へ通い、社会人になった。
ということは、少なくとも4回の入学式と卒業式を迎えたということになる。
ということで、誰も興味がないかもしれないが、せっかくなので過去の私の入学式と卒業式について振り返ってみよう。
小学校時代
正直、私の小学生時代は、今思えば暗黒というかトラウマを多く抱えた時代だ。
このあたりについては、教育に対する主張で何度か一部を公開しているので、この場では割愛するとする。
ということで、あまり記憶にないことが多く、こと入学式や卒業式においては記憶が全くない状況だ。
おそらく写真はあると思うのだが、それを振り返ろうという気持ちにもならないし、とにかくはやく卒業をして次のステップにいきたいと思っていたように記憶している。
ただ、そんなステップアップすべきところで私は大きな失敗を1つしている。
それは、中学受験だ。
はっきり言って私の意向で中学受験をしたいと思ったわけではないが、完全に失敗して地元の公立の中学校へ通うことになった。
アイツは中学受験をしていたのに失敗したんだという視線をもっと感じると思っていたが杞憂だったことは救いだった。
中学校時代
こうして地元の中学校へ通うことになるわけだが、ここでも入学式のことは記憶がない。
中学時代が充実していたのかと問われたら充実していたのだと思う。
その証拠になるかは別として、なんだかんだ未だに付き合いのある地元の友人というのは、全て中学時代に知り合った人たちだ。
まあ、数える程度ではあるのだが、おそらく中学時代に付き合っていた人たちが私の根本を形成しているのだろう。
中学時代で最も楽しかったのは2年生のときだったと記憶している。
仲の良かった友人が多くいたクラスで、純粋に楽しかった想い出が多い。
一方で、私たちの過ごした中学時代はまだ少々荒れている時代でもあった。
今だから言えるが、タバコを吸う生徒がいたり、先輩後輩の関係が複雑だったりと、このあたりについてはあまり良い想い出ではない部分もある。
そんな中学校の卒業式はなんとなく覚えている。
ただ、感動するような卒業式ではなく、ベタに学ランに刺繍を入れて校門の前で写真撮影をする。
そんな卒業式だった。
高校時代
中学時代の私は、とりわけ悪くもなくかといって優等生でもなく、中途半端な位置づけにいた。
そんなポジションだから、普通に県立の高校へ進学した。
とはいえ、多感な時期だ。
少々尖っている時代ではあるので、周りにナメられてはいけないみたいな気持ちが少なからずある状況での高校の入学式を迎えた。
このあたりからは記憶が少しずつある。
私の高校はなぜか毎年進学する度に全体写真を撮るというカルチャーがあって、その写真を撮ったときのことは割と詳細まで記憶している。
今や広島市内の公立の進学校と位置づけられている高校に通ったのだが、私たちが在学していた時代は少々異なった。
異例の定員割れた起きた年で、それなりのポンコツたちが集まった。
記憶が定かではないが、高校1年生のときだけで10人以上は様々な理由で退学になったのではないだろうか。
ただ、高校時代なんてそんなものだと思う。
なんの根拠もないのに自信を持っていたり、なにもできないくせに一丁前にアンチテーゼを唱えたりという、本当にベタ中のベタな高校時代を過ごしていた。
だからこそ、充実していたように感じているのかもしれないが、高校の卒業式は学生時代の中で最も記憶が鮮明にあるかもしれない。
現役で大学へ行きそびれたりと、ここでも小さな失敗をしているのだが、それ以上に大切な仲間に出会えたという錯覚が大きかった。
卒業式の後にとある飲食店を貸し切り、飲んではいけない酒をみんなで煽り、その影響もあってか20人くらいで大泣きしたのを覚えている。
またみんなで集まろうという約束は未だに果たされていないが。
大学時代
東京に憧れを抱き、サッサと広島を出たいと思っていたのだが、上述したとおり私は大学受験に現役のときに失敗している。
ただ、どうしても東京に行きたいという気持ちが強く、浪人をして東京行きの切符を手にすることになる。
憧れの東京に拠点を移すのだが、まだ思春期の後遺症は残っている。
ましてや、浪人をしているということも若干のコンプレックスになっていて、1つ下の人たちと一緒になることに抵抗がなかったといえば嘘になる。
ところが、そんな私のいきがりも杞憂で入学した大学は半分くらいが浪人生だったこともあり、全く問題なく打ち解けることができた。
とはいえ、入学式のことは記憶にない。
そして、卒業式については出ていない。
そんな大学時代が充実していたのかと問われたら微妙だ。
そもそも、絶対に行きたい大学でもなく、大学でやりたいことがあって行っているわけではない。
ただただ東京へ行きたいの想いが強いだけなので仕方がないのだが、淡々と日々が流れていく感じだ。
また、大学といっても1年のうち約半分は休みだ。
それなりに休みにはいろいろと出かけたりもしたが、だからといってやり切ったことがあるという大学時代ではない。
まとめ
私の場合は少々特殊かもしれないが、学生時代の充実という部分では欠けているように思う。
というのも、本当に友達と呼べる人が私にはいない。
もちろん、ビジネスで繋がっている人はいるし、大切な人はいる。
けれども、友達という立場ではないように思う。
そんな私を周りがどのように思うかはどうでもいいのだが、それでも今の方が圧倒的に充実していることを述べておきたい。
なぜそう思えるのか。
もしかすると、学生時代が充実していなかったからこそ、社会人になって充実させたいという気持ちが強く芽生えたのかもしれない。
もちろん、そのことは意識しているわけではなく、それでも人生というものにきちんと向き合ったときに、このままではいけないと思った瞬間はあったように思う。
それをベタな言葉に置き換えるとしたら、ハングリー精神とでも呼ぶのかもしれないが、過去の自分との決別は自然と行われたように思う。
その根本にあったのは、人との出会いと別れだったと思うのである。
ずっと同じ人といることは悪いことではないが、前進がない場合が多い。
それを大学生になって割とはやいタイミングで感じて、大学3年生のときの就職活動に違和感を覚えて、社会人になって某ベンチャー企業に入ったことは、ラッキーだった。
その理由は、私は過去に戻りたいと思ったことが一度もない。
それだけ充実がアップデートされていることは自信を持って言い切ることができる。
それは、良い出会いがたくさんあって、その分、別れということも経験しているからに尽きると思う。
2023年の春はどんな出会いと別れが私を成長させてくれるのか、楽しみでしかない。
あなたにとっての春もそうあって欲しいと願っている。
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