子虚烏有(しきょうゆう)
→ 嘘、架空の話、でたらめ。
ポジショントークと嘘とハッタリについて、私は過去にこのように書いている。
改めて読んでみたが、この考え方は未だに全く変わっておらず、どこか私自身の根本にある部分のような気がしている。
ということで、もう少し私、植田 振一郎という人間の中身を知ってもらう上でも、このことについて深堀りしていこうと思っている。
アドリブ力の重要性
かねてから、私は生きていく上で重要な能力の中でもトップにあるのが、アドリブ力だと主張している。
アドリブが得意になる力(ちから)のことをアドリブ力(あどりぶりょく)と勝手に称して使っているわけだ。
とまあ、カタナカが続くので、そのままカタカナでアドリブカと読んでしまう人がいるかもしれないので、念のため解説しておく。
私がこのアドリブ力を意識し始めるようになったのは、社会人になってからだと思う。
こちらも何度も書いていることだが、私が社会人になって仕事をするようになった場所は、今や日本で圧倒的No.1になった貸会議室業界のベンチャーだった。
その中でいろいろと学ばしてもらうわけだが、私が仕事ができる人と感じる人は、とにかく頭の回転がはやいと思える人だった。
どういう構造でその解を導き出しているのか不思議だったし、自分自身もそうなりたいと思ったものだ。
瞬時に判断が下せるというのは、実はとても重要なことである。
というのも、自分1人であればさほど影響はないかもしれないが、チームや組織で動くときには数秒の判断の遅れであっても影響が出てくる。
ましてや、急成長中の組織であればあるほど人の入れ替わりも多いし、ピボットすることもザラにある。
そんな中で適応していくためには、どんな環境でも適応できる能力、まさにアドリブ力が必要になるというわけだ。
アドリブ力を鍛えるために必要な感覚
高いアドリブ力を備えている人は、頭の回転もはやい人だということは、なんとなく理解してくれたと思う。
そして、この高いアドリブ力を備えている人、つまり頭の回転のはやい人には2パターンがあることも伝えておきたい。
1パターンは、完全に天才タイプの人だ。
そもそもの視野が広く、空間認識能力も高く、もちろん知識も抱負なため、その圧倒的な引き出しの多さから組み立てるスピードがはやいタイプだ。
けれども、このタイプの人は本当に一握りしかいない。
おそらくだが、10,000人に1人もいないレベルだろう。
つまり、ほとんどの人は2つ目のパターンということになるわけだが、それは場数を踏んできた人だ。
要するに慣れだということだが、そもそもそういった環境に身を置くことを意識しなければ機会すらない。
そういう意味では、意図的にアドリブ力が鍛えられる場所にいる必要があるが、それを自然にできるようになると、倍速でアドリブ力が高くなっていく。
かくいう私も、完全に前者のタイプではないことは、はやい段階で気がついていたので、それならば自分も誰よりも場数を踏むしかないと思ったところからスタートした。
アドリブ力を鍛えるために始めたこと
いざ、アドリブ力を鍛えようと思っても、なにから始めたらいいかわからない。
そんなとき、仕事ができる人は、レスがはやいという話を何度か聞いたことを思い出した。
そこで、私が取った行動は、とにかくレスのスピードを誰よりもはやくすることを心がけた。
それは、仕事であってもプライベートであってもだ。
私が社会人になった当初は、メールやSMSが主流だったため、そのレスのスピードをとにかくはやくすることを意識した。
ただし、ただただ文字を返信するのでは意味がないので、メールの内容に対して考えて即レスする。
となると、不慣れなので内容をよく読んでいなかったり、全く違う方向に進んでしまうということも生まれた。
当然、トラブルになることもしばしばあった。
当時の私を知っている人は、あいつはレスははやいけど、全然内容を読んでないし中身がないと思っていた人もいると思う。
そして、レスした内容を覚えていなかったりということもザラにあったので、中には私のことを嘘つきだというような人がいたのも事実だ。
それでも私は続けた。
とにかく、自分の身体に即レスを染み込ませることに振り切った。
嘘つきだろうがなんだろうが、レスが遅くて周りの時間を無駄に奪うことの方が圧倒的に悪だと考えていた私は、とにかく即レスすることを徹底した。
2023年2月時点の私のスタンス
そんな精度の悪い即レス体質から、どれくらいの年月が流れただろうか。
2023年2月時点の私のスタンスも全く変わっていない。
というか、もはやそんな意識すらしておらず、こういったテキストに落とし込むときにあえて言語化するといった感覚だ。
とどのつまり、私の身体には即レスが染みついている。
そして、この判断のスピードを上げることを意識してきた結果、アドリブ力がついたという自負がある。
いついかなるとき、どんな場所や状況であっても、多少の戸惑いはあるかもしれないが、私は順応できる自信がある。
それこそが、私、植田 振一郎の強みの1つであると考えているからだ。
社会人になった当初に比べると、ビジネスやプライベートで使うツールに変化こそあれど、そのスタンスは全く変わっておらず、よっぽどのことがないと不変のスタンスだと思う。
自己犠牲で道が拓けることの意識
そして、ゼロからイチを生み出すには、キレイごとばかりでは難しいということも伝えておきたい。
もちろん、法律を犯したり倫理を無視することは論外だが、きっかけを生み出すためには、当たり前のことや周りの人と同じことをしていてはダメだということだ。
どうしても、この門を開きたいという願望があるなら、正攻法では無理ではないかもしれないが時間がかかることがある。
それならば、頭を使ってどうすればその門を開けることができるかを考えなければいけない。
何度も門の前まで訪れてはダメだったとやるようでは効率も悪いし、どこかで心が折れてしまうだろう。
となると、どういう門で、その門にはどういう人がいて、どういうところで管理されていてと調べ始めるだろう。
その構造がわかってくると、門を開けることができる権限を持っている人と直接会話ができればいいということに気がつくはずだ。
ここまでは多くの人ができるのだが、肝心なのは門を開けることができる権限を持っている人との会話だ。
せっかくここまでたどり着いたのに、そこでのアドリブ力が劣ることで門を開けることができない人が圧倒的に多いのである。
選択肢はいくつかあるが、その人のことを事前に徹底して調べてもいいし、自分が最初に行かなくて誰かに行かせてもいいし、その場で一気に距離を縮めてもいい。
とにかく重要なことは、直接対峙したときに、どこまで距離を詰めることができるかだ。
そのときどによって、へりくだることもあれば一気に上から押さえに行くこともあるだろう。
ノープランでその門の前にたどり着いたとき、私だったらこう言うだろう。
すみません、事前に連絡したら、今日ここにくれば責任者の方に開けてもらえると聞いたんですが。
これをどう捉えるかは人によるが、全くの嘘だと捉える人もいるだろう。
ただ、私はこれを嘘だというカテゴリに入れていない。
ここから道を拓いて、その先のことに繋げていくための手法で、ハッタリの1つだと思っている。
多くの人は、全く同じスタンスで対応するから、門を開けることができないのである。
まとめ
ここまで書いてきて、私の考え方に全く賛同できないという人も当然いるだろう。
それはそれで全く構わないし、私の考え方を押しつけるつもりもサラサラない。
私がいいたいことは、周りからは嘘やでたらめだと言われたとしても、多少強引だと思われたとしても道を拓いていくことの方がプライオリティが圧倒的に高いということだ。
くり返しになるが、法律を犯したり、倫理を無視するようなことをやることは論外だが、結果として上手くいくのであれば、自己犠牲として捉えればいいということを主張している。
そういった全体を円滑に進めることができる、圧倒的な推進力を持てるようになるには、アドリブ力を身につけることが重要だということだ。
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