三思後行(さんしこうこう)
→ 三たび考えて実行するという意から、物事を行う場合は、よく考え、計画を持って実行せよということ。
旅行に行くとなったときに綿密に計画を練る人とそうでない人に分かれることは多いだろう。
どちらかというと私は後者なのだが、だからといって無計画な方ではないと思う。
なぜ、こういった思考になっているのか、自分の中の思考を分析した結果、とある結論に至った。
それは、自分自身のみ影響があることについては、いい加減でもいいというものである。
計画を練るとき
具体的に、計画を練るときがどういった場合なのかを書いていくとすると、まずは事業計画は欠かせない。
所詮数字の遊びだし、3年後、5年後といった未来予測など当てにならないという実態があることは過去にも指摘しているとはいえ、企業の指標としては重要になる。
また、なにかしらの新商品や新サービスをリリースするに当たって、金融機関から融資を受けたり、出資先を募るときには事業計画なしでは話が進まない。
となると、必然的に計画を書いていくし、もちろんそのまま放置するのではなく、都度アップデートが行われていくのが事業計画の位置づけだ。
他にどういった場面で計画を練るかを考えたときに、事業のプレゼンをするときや誰かをアテンドするときが挙げられる。
このあたりから共通していえることは、自分自身だけでなく、周りを巻き込んでいる場合には、なにかしら計画を練っているといえる。
簡単にいうと、なにかあったときに迷惑をかけてしまうというか、結果として自分自身の信用を失うことに繋がる危険がある場合には、比較的綿密に計画を練っている。
事業計画については上述したとおりだが、事業のプレゼンをするときも様々なシミューレーションをしている。
どういった人たちに向けて、どこを推していくべきなのか、ピッチなど多勢に向けてのプレゼンの場合にはどういったオーディエンスがいるのかイメージをする。
誰かをアテンドする場合も然りだ。
どういうものが好きで、どういったシチュエーションになるか、最期に気持ちよく帰ってもらえるかといったところは最低限のマナーとさえ思っている。
結論、自分自身の信用を積み上げていく場合には、しっかりと計画を練っているといえる。
計画を練らないとき
一方で、全くのノープランで過ごすときはどういったときなのか。
まずは冒頭に挙げた旅行だが、私は最低限のこと以外は本当にノープランで旅行するタイプだと思う。
最低限のことというのは、宿と食事の予約くらいのことで、現地になにがあるのかとか観光地を事前に調べるようなことは、ほとんどすることはない。
なんとなくこんなことをしようくらいのことは考えるかもしれないが、なぜこういった思考になるのか考えてみた。
その結果、おそらくだが、普段いろいろと考えることも多い生活をしているので、旅行のときくらいなにも考えずになすがままでいたいのだと思う。
また、変数が多いこともあるので、綿密に計画を練ることが無意味になってしまう場合も多いと考えている。
天候が予想と違ったり、公共機関が時間どおりでなくなったりといったことは往々にしてあり得る。
さらに、そこの計画がなかったことで、別に誰にも迷惑がかかることではない。
綿密に計画を練ったのに計画どおりに進まないストレスを抱えるくらいなら、最初からノープランでいた方が返ってよかったということもあるだろう。
このあたりは、私を知る人からすると意外に思う人もいるようだが、自分のことになるといい加減だというのは昔からそうかもしれない。
いい感じに表現するならば、人のためにというサービス精神が旺盛なのだと思う。
そして、なぜか不明だが、ほとんどの人よりも細かいところまで目に付き、気遣いができる人だという自負がある。
とどのつまり、私と同じようなタイプの人は、計画を練るところと練らないところがハッキリと分かれているということである。
計画を練るときに注意すべきこと
2023年の年始ということもあり、今年の目標や計画を考えるという人も多いだろう。
一年の計は元旦にありという言葉もあるとおり、今年こそはなにかをやり遂げようと気合いが入っている人もいるはずだ。
大前提として、目標や計画を練ることを否定するつもりは毛頭ない。
けれども、そこに時間をあまりかけても意味がないということもしっかりと覚えておくべきである。
年始に目標や計画を立てても、三が日が過ぎ、仕事や学校が始まるといつの間にか忘れ去られているという経験をしたことがある人も多いはずだ。
計画というのはあくまで計画で、くり返しになるが、未来予測など誰にもできないのである。
ただ、しっかりと情報収集を行うことでインプットしたものをアウトプットしていくことができれば、少し先の未来はなんとなくイメージすることはできる。
なにが言いたいのかというと、綿密に目標や計画を練ることは無意味とはいわないまでも、過去の遺産になりがちなので、指標として明確に立てるべきだ。
そして、都度きちんと振り返って、できたところは純粋に自分自身を褒めることも重要だし、できなかったところについては猛省すべきだ。
目標や計画を練るところに時間をかけ過ぎることは本末転倒であるということを主張している。
新年だからこその思考
私の中でずっと残っている言葉の1つが、下記のものだ。
昨年と同じことをしている時点で、あなたの価値はない。
常に新しいものを生み出してくこと、自分自身が新しいことに挑戦していること、自分ができるようになったことは誰かに任せていくこと、いろんな考え方ができる。
なにもドラスティックに違うことをやる必要はなく、マイナーチェンジでもいい。
とにかく、環境がずっと同じでやっていることも昨年と全く同じであることで人の成長は止まる。
思考停止にも繋がるし、利権を生む温床にもなる。
その場に留まっておきたいという人を刺激するつもりはサラサラないが、私はこの言葉がなぜかずっと残っているし、そうありたくないと抗っている。
ときとして、目標や計画を練ることも大切なことは理解するが、それ以上にブレない指針のようなものを自分の中に入れ込んでおくことを推奨している。
それをときどき振り返って、自分自身を鼓舞して欲しいのだが、新年はうってつけだということは共感してもらえるだろう。
2023年を迎えた。
やはり、新年というのはどこか特別な独特の空気があって、モチベーションが上がるタイミングであることは変わりない。
けれども、それをいつまでも噛みしめている時間はもったいない。
ほんの少しでも自分自身に変化を入れていくことで、案外別の目線から見える世界もあるものだ。
まとめ
しっかりと計画を練らないといけない場面、シレッと計画っぽいものを立てておけばいい場面、そもそも計画など立てなくてもどうにでもなる場面。
なんとなくだが、私はこんな感じで計画と向き合っているように思う。
それよりも、計画っぽいもの、つまりは目標や目的を達成するために、とにかく今を全力で過ごすことにフォーカスしている。
どんなに計画を練っても、目標を立てても、目的を追求しても、パッと瞬時に動くことができないようであれば、なにも達成することなどできないことをよく知っている。
そして、世の中のほとんどの人が、パッと瞬時に動くことができないこともよく知っている。
育てるべき能力は、キレイな事業計画を書くことでもなく、立派な目標を立てることでもなく、的確な目標を定めることでもない。
いついかなるときに、どんな環境に置かれたとしてもパッと瞬時に動くことができるアドリブ力を育てることだ。
それが、あなたの信用を積み上げて、あなたにしかない価値に繋がるのである。
2023年を迎え、この思考をアウトプットすることで、改めて自分自身にもしっかりと言い聞かせたいと思う。
そう、2023年はすでに終わりに向かってカウントダウンが始まっていることを忘れてはいけない。
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