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2022年10月26日 投稿:ueda

自分自身を俯瞰で見ることの重要性

刻苦勉励(こっくべんれい)
→ 苦しさに耐えて、仕事や勉学に励むこと。

なぜ仕事や勉学に励むのかを考えたときに、それは自分のやりたいことや成し遂げたいことがあるからだろう。

そういった目的や目標があれば、先に進むことができる。

けれども、なにかを始めると必ず痛みが伴うのもまた事実だ。

それを苦しさと表現することには少々違和感を覚えるが、やりたいことや成し遂げたいことがあるとするならば、その何倍もやりたくないことや自分の苦手なこともやらなければいけない。

その先に自分が見たかった世界があることを多くの人は理解していない。

どうも楽して稼ぎたいとか、元手をかけずに大きくリターンを得たいといった安直な考えを持っている人が多い。

要するに目的や目標がないということに繋がるのだが、そもそも目的や目標を達成しようと思えば、あまり苦しいと思わないものだったりする。

全力でやり切っているときの過程は全力でやり切ったときにしか結果として出てこないので、そもそも分析できないし、全力でやり切るの全力のところが圧倒的に欠落しているのだと思う。

前置きが長くなってしまったが、仕事や勉学に励むことができるのは、あくまで目的や目標があるからであって、そうでもない人が仕事や勉学に励んでも苦痛でしかないということだ。

自己分析の重要性

自己を形成せていく上で重要なのは、やはり環境なのだと改めて強く思うようになっている。

というのも、その人がどういった環境でどういった教育を受けてきたかで、思考や行動が大きく変わってくるからである。

私は地球上で覇者となった人類は、追い込まれなければなにもやらないのというマインドが根底にあると考えている。

まあ、そこまで大袈裟に話を拡げるつもりもないが、やはりなにもしなくてもいいのであれば、なにもしないというのが人として当たり前だと思っている。

かくいう私も、偉そうに書いているが、その本質は面倒なことはやりたくないし、誰にも会わなくても1人で生きていけるなら極力そうしたいと思っている人間だ。

1日中なにもせす、誰もが思っている以上に堕落した人生を過ごすことが、実は本当の理想だとどこかで思っている。

けれども、なぜそれをやらないかというと、もはやそれができなくなってしまったのだと分析している。

つまり、いつでも堕落し尽くした生活はできるが、今はそれ以上に自分のやりたいことをやりたいというマインドが勝っているからである。

そして、なぜそんな自分になったのかを分析すると、偶然にも刺激的な人に出会い、そういった環境に身を置いたからだと思う。

それから、そういった環境で自分はなにがしたいのかを考えることを当たり前にやってきたし、考えるだけでなく行動をするということを身体に染み込ませたからだろう。

なによりも、自分が憧れたカッコいいと思える人たちに少しでも近づき、あわよくば追い越していきたいという感情がモチベーションに繋がった。

そのためには、自分ができることとできないことをハッキリさせる必要があったし、自分の価値を最大限まで高めることが近道だということを悟った。

こうして、私は今も全力で駆け抜けることが自分の人生において楽しいと心からいえる状態をつくりあげてきたのである。

自分の価値を明確にすること

自己分析をするときに私が意識したのは、自分を俯瞰で見ることだ。

例えば、打合せや会食の場で自分がどんな風に話をしているか、どんな風に行動をしているかを第三者目線で見ることをイメージしてきた。

その空間の上から、まるで幽体離脱したように自分が話をしている姿、どういう行動をしているか、周りがどういった会話をしているか、どういった行動をしているかを見るイメージだ。

その打合せや会議に参加していないように思えるが、実はこうした方がより全体を把握できることが多いことにあるときに気づいたのである。

そして、ここで重要なのは周りの言動に気を配ることもそうなのだが、それ以上にあくまで自分自身に徹底してフォーカスするということだ。

人生においての主人公は自分自身であることは明確で、主人公にどういったキャラクターをつけて、どうやって物語を進めていくのかを決めなければならない。

そう、つまりは自分自身をしっかり演出しなければいけなくて、例えるならプロデューサー的なことをやる必要があるのである。

そうすることで、自分自身の価値がどこにあるのかが明確になり、その価値を高めていくことが人生においては重要なのだ。

頭でっかちになりがちな罠

自分自身の価値を上げていくにあたって、陥りがちな罠がある。

それは、情報にアクセスするとき、その情報をどのように頭の中で分析していくとき、行動に移していく過程のそれぞれ起こるので注意したい。

情報にアクセスするとき

今の時代は1人が1台のスマホを持っているのが当たり前だ。

そして、日本国内にいる以上、日本全国どこにいても大抵どこかのキャリアのネットワークに接続ができる。

むしろ、自らの選択しなければ、ネットに繋がれない環境にいる方が難しいといえる。

これがなにを意味するのかというと、誰でも簡単に情報にアクセスできるということだ。

ということは、裏を返せば誰でも簡単に手に入れることのできる情報の価値というものは著しく下がっているというわけだ。

重要なのは情報の出どころで、その情報が本当に信頼できるものなのか、ただただ耳にしたものではないのかを判断しなければならないということだ。

人は自分自身が肯定的に捉えている物事に関しては、ポジティブに変換しがちで、そこには思い込みというものが入ってしまうものだ。

なので、本当に自分の都合にいい情報ばかりを取りにいっていないかを注意すべきなのである。

自分と真逆な意見や主張をしている人を最初から否定するのではなく、なぜそういう意見や主張があるのかということに一応耳を傾けるという姿勢を心がけた方がいい。

情報を頭の中で分析していくとき

ちゃんとした情報を入れることができた後に、その情報をどうやって頭の中で分析していくのかを大切にしなければいけない。

上述したとおり、自分の都合のいいように置き換えてしまってはいけないことが大前提にあるのだが、とはいえ自分の中で言語化していく必要がある。

というのも、アウトプットができなければインプットできているということにはならないからである。

つまり、教えて欲しいといわれたときに、自分の言葉でわかりやすく説明することができなければ、その情報を理解していないことと同様なのである。

もっというと、その情報に興味がない人ですら惹きつけることができなければ、その情報を自分の中で言語化できていないと言い切ってもいいかもしれない。

行動を起こすとき

とにかく、いくらインプットしてもアウトプットができなければ無価値だということは、今回に限らずくり返し述べている。

それから、アウトプットの中には行動を起こすということも当然に含まれている。

この行動を起こすということができない人がほとんどなので、まずはここにたどり着くことができた人は、それだけでなにもしない人に比べると差がついているということはできる。

ただし、行動の起こし方にも注意が必要になる。

それは、中途半端な行動をしても仕方がないということだ。

思い切りが必要で、中途半端に動き出した場合には、中途半端な結果しか伴わない傾向にある。

行動を起こすことまでができたのであれば、思い切って全力でどういった結果になってもいいので、心の底からやり切ったと言い聞けるまで行動を起こし続けることが重要なのである。

そうやって起こした行動はすべてが成功と呼べる糧になることを知っておくべきだ。

まとめ

なぜ苦しいとかキツいと感じてしまうのだろうか。

それは、そもそもそのジャンルのことが苦手だったり好きではないということが大きく影響しているはずだ。

それから、その状況をなんとか打破しようとしていない、いわゆる思考停止の状態になっているのではということを自分に問いかけた方がいい。

そのままでいいやと思ってしまったのであれば、私からはもはやなにも言うことはないが、その状況に対して変化しなければならないと思った人には、ここまで書いてきたことが少しは刺さったはずだ。

苦しさやキツさは自分自身の価値を上げていくことで、まだ別の苦しさやキツさに変遷していき、それはずっと付きまとうかもしれない。

ただ、それが悪いことだと決めつけていることが、そもそも間違っているというか、感覚のズレがあることを伝えたい。

 

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植田 振一郎 Twitter

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