刻露清秀(こくろせいしゅう)
→ 清々しい秋の景色のたとえ。
私は秋から冬にかけての季節が好きだ。
また、偶然でしかないのだが、私の故郷であり、stak, Inc. の拠点である広島の県花は、もみじだ。
もみじ饅頭をお土産でもらったことがある人も少なからずいると思う。
地元民からすると、もみじ饅頭などもらってもなにも思わないが、出張時にお土産として持っていくと喜ばれることが多いので、つい気軽にお世話になったりする。
2022年も秋が近づいて来ており、紅葉のベストタイミングがいつなのかといった情報が流れるようになった。
2022年の紅葉の見頃時期目安
ということで、エリア別に2022年の紅葉の見頃時期の目安は下記のとおりだ。
- 北海道地方:9月中旬〜10月下旬
- 東北地方:9月下旬〜11月下旬
- 関東地方:10月中旬〜12月上旬
- 甲信越地方:9月下旬〜11月下旬
- 北陸地方:10月中旬〜12月上旬
- 東海地方:10月上旬〜12月上旬
- 関西地方:10月下旬〜12月上旬
- 中国地方:10月中旬〜12月上旬
- 四国地方:10月下旬〜12月上旬
- 九州地方:10月下旬〜12月上旬
こうやって見ると、2ヶ月あるかないかの期間でしか紅葉は見られないという、なかなか貴重なものだということがわかる。
私は今年で41歳を迎えたので、平均寿命まで生きられたとすると、あと40回くらいしか見られないことになる。
となると余計に紅葉のシーズンを大切にしたいと思うのである。
紅葉を鑑賞することを紅葉狩りという理由
冒頭に書いたとおり、私は広島で生まれ育ったこともあり、紅葉を愛でるということはなんとなく近いところにいたように思う。
日本三景の1つである宮島に紅葉狩りに行ったことがあるという広島人は多いと思う。
そこで気になったのだが、なぜ紅葉を鑑賞することを紅葉狩りというのだろうか。
狩りは、本来は狩猟、つまり野生の獣や鳥を捕らえることを意味しているので、そっちの意味の方が強く印象に残っているはずだ。
ただ、他にも狩りという言葉には、魚介類や植物を獲ること、山野で花や草木を探し求め採集したり観賞したりすることなどの意味も含まれているのである。
潮干狩り、梨狩り、キノコ狩り、ホタル狩り、桜狩りといった言葉で使われる狩りは、狩猟以外の使い方として存在している。
つまり、紅葉狩りもその1つということだ。
くり返しになるが、狩りは本来、鳥獣を捕まえる意味で使われていたのだが、時代が経てその意味は拡大されるようになっていった。
上述したように、魚介類、果物などを獲ることにも使われるようになり、やがて花や紅葉を見る、眺める意味にも使われるようになったといわれている。
また、狩りが草花などを愛でる意味でも使われるようになったのは、平安時代に狩猟をしない貴族が現れたことが関係しているといわれている。
当時の貴族は歩くことは下品だというしきたりがあって、牛車で外出することが多かった。
ところが、山道を牛車で上っていって、花や紅葉を愛でることは難しい。
そこで、花や紅葉を見に山野に歩いて出かけることを狩りに見立てるようになったと考えられているのである。
つまり、紅葉狩りは紅葉を取って集めることだと理解している人もいるかもしれないが、山野に出かけて紅葉を観賞することを意味していることになるので覚えておくといいだろう。
古くから語り継がれる桜狩りと紅葉
自然を愛でるという文化は日本でも古くからあるとされており、古くは方丈記にもその記載がある。
歌人で随筆家の鴨長明の作で、鎌倉時代前期の随筆である方丈記に、桜狩りや紅葉について記述されているのである。
帰るさには、をりにつけつつ、桜を狩り、紅葉をもとめ、蕨を折り、木の実を拾ひて、かつは仏に奉り、かつは家土産とす
現代語訳すると下記のとおりとなる。
帰り道には、折々の季節によって、桜を狩り、紅葉を探し、蕨を折り、木の実を拾い、あるいは仏に供え、あるいは家に持ち帰って、土産にする。
この桜を狩りは、桜の花を訪ね歩いて観賞することを意味していて、紅葉をもとめも紅葉を狩りと言い換えることができる。
方丈記以外にも、紅葉狩という題名の古典もある。
室町時代の能役者で能作者の観世信光が著した能の作品だ。
そのストーリーは、平安時代中期の武将である平維茂が、美女に化けた鬼に山中で紅葉狩りの宴に誘われるところから始まる。
歓迎された場で美女の舞につい酒が進んだ平維茂は記憶を飛ばしてしまう。
一時は命が危うくなるのだが、最後には本性を現した鬼をついに退治するという作品だ。
この作品のきっかけになっている最初のイベントは紅葉狩りが使われているところに注目して欲しい。
広島名物のもみじ饅頭
紅葉とは少々ズレるかもしれないが、広島はやはりモミジとの縁が深いように思う。
その最たるところが、これも上述したが、広島名物のもみじ饅頭だろう。
あまり知られていないが、もみじ饅頭をだしているメーカーは実は結構ある。
そして、案外こだわりのある人たちも多いので、せっかくなので紹介しておこう。
にしき堂
CMを多く出しているということもあって、最も有名なもみじ饅頭メーカーは、にしき堂だろう。
といっても、1951年(昭和26年)が創業なので、他のメーカーに比べると案外歴史が新しいことがわかる。
本店は東区光町というエリアにあって、広島駅の北口(新幹線口)から歩いて3分程度の場所にある。
多くの販売店で買うことができるが、もみじ饅頭以外にも、生もみじ、新・平家物語、せとこまち、どこでもみじなどの他商品も豊富なので、本店の雰囲気も一度は味わってみてもいいだろう。
藤い屋
にしき堂に続いてよく目にするのが、藤い屋だろう。
そんな藤い屋は、1925年(大正14年)に宮島で創業しており、本店も宮島にある。
北海道産小豆を使用しており、こしあんは小豆の皮をむいてから豆の身だけを炊くというこだわりがある。
藤い屋のあんの特徴でもある、藤色のこしあんのもみじ饅頭が人気商品なので、一度は食してもらいたい。
やまだ屋
藤い屋と肩を並べているといっても過言ではないのが、やまだ屋だ。
やまだ屋は、1932年(昭和7年)宮島で創業しており、本店も宮島にある。
やまだ屋は支店を多く持っているので、ショッピングモールやスーパーの食料品売場の和菓子コーナーでもよく目にすることができる。
ということで、やまだ屋のもみじ饅頭を手にする人も多くファンも多いメーカーの1つである。
高津堂
先にメジャーどころの3社を紹介したが、もみじ饅頭を初めて作った元祖は実はこの高津堂だ。
1906年(明治39年)宮島の紅葉谷で創業した高津堂だが、現在の本店は宮島ではなく宮島口にある。
もみじ饅頭の元祖を謳っている商品は多いが、こしあん以外の中身を新しく考案したものを元祖と謳っている場合がほとんどだ。
つまり、こしあんのもみじ饅頭を初めて世に登場させたのが、この高津堂でもみじの形も他のメーカーの商品に比べると本格的なデザインになっている。
そして、もみじ饅頭ではなく、もみぢ饅頭という表記になっているところも元祖ならではだろう。
もみじ堂
1912年(明治45年)に宮島で創業している、もみじ堂は宮島に本店がある。
このもみじ堂が有名になったのは、宮島にある店舗でとある商品を販売したことが拡散されたからである。
その商品が、揚げもみじだ。
その名のとおり、もみじ饅頭を揚げているのだが、外を熱々のカリカリにして中にある饅頭のフワフワ感の演出がウケて人気となった。
揚げもみじの商標登録もしており、宮島に訪れた際には一度は食してみてもいいだろう。
まとめ
ようやく人の移動もしやすくなってきた、2022年の秋。
広島に少しでも多くの人が観光で来て欲しいという意味合いも込めて、もみじ饅頭メーカーも紹介してみたわけだが、他にもまだまだたくさんある。
上述したメーカーの簡単な説明を読んでもらえたらわかると思うが、宮島周辺にあるメーカーが多い。
その理由はやはり、日本三景の1つであるが故に観光客が多く来るので、お土産として売りたいからだろうし、実際に売れるからだろう。
そして、以前にも紹介したことがあるのだが、私のオススメのもみじ饅頭メーカーは、これまた宮島にある博多屋だ。
王道のこしあんのもみじ饅頭ではないのだが、リニューアルされたキレイな店舗でクリームのもみじ饅頭を温めてもらって食べると少し幸せな気分になれることをお約束しよう。
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