小さな気づきを見落とさない方法

2022-09-19 投稿: 植田 振一郎

毫毛斧柯(ごうもうふか)
→ 問題や災いは、それが小さいうちに取り除くべきだということ。

問題や災いを小さいうちに取り除くことは当然のことだ。

けれども、なかなかそれができないことが問題なのだ。

なぜ、できないかと問われれば、小さいうちには問題や災いに気がつかないからだろう。

もし気づくことができれば、トラブルを未然に防ぐことができるので、できるだけ小さいうちに気づくためにはどうすればいいのだろうか。

小さな気づきを見落とさないための言動

私の発言には一見、矛盾があるように受け取られるものも多い。

例えば、木を見て森を見ずという言動をすることに対しては、かなり否定的な立場の発言を取る。

つまり、大局を見ることを常々心がけるようにしている。

一方で、とにかく細かいところにこだわるようにという発言も、かなりの頻度でしているはずだ。

この2つの発言をなんの考えもなく聞いてしまうと矛盾していると受け取ってしまうというわけだ。

要するに、大きく構えろと言っているのか、小さく構えろと言っているのか理解ができないというわけだ。

そういう解釈をしてしまう人は、小さい問題や災いに気づくことができず、気がつけばトラブルに巻き込まれているタイプの人だと断言できる。

それは、全ての物事が目的と戦略で成り立っているということを理解していないからである。

目的と戦略を明確にする

そもそも、仕事とプライベートを分けることがナンセンスなのだが、ほとんどの人が仕事でもプライベートでも目的と戦略を明確にしていない。

結論から言うと、この目的と戦略を明確にすることができていないから、小さな気づきを見落としてしまう。

どういうことなのか、具体的に書いていくとしよう。

まず、大前提の心構えとして、

その大前提ありきで進めるが、例えばなにかやりたいことを見つけて、協力してくれそうな人と会食を設定するとなったとしよう。

このときの会食の目的は相手と仲良くなって、少しでもやりたいことが良い方向へいくことであることは明白だろう。

これが目的の設定なので、つまり大局を見ることに値する。

一方で、この会食の場が少しでも目的を達することができるように細かい設定をしていくことが戦略である。

会食相手がどんなものが好きで、どういう会話をすれば相手にもメリットがあると思ってもらえるか、場所はどこにするのがいいか、二次会の設定はどうするかといった事前準備といってもいいだろう。

当たり前といえば当たり前なのだが、多くの人がこういった設定を中途半端というか、ほとんどなにも考えずに当日を迎えている。

こういった姿勢で、当日の会話の細かいところに気づけるだろうか。

私がよく思うのが、最初だけという人が本当に多い。

なにが言いたいのかというと、最初だけサラダを取り分けたり、最初だけグラスが空いたら次はなにを頼むかを聞いてくる人が多いということだ。

別にそれが悪いことだと言うつもりはないが、やるならやるで最後まで徹底すべきだと主張している。

どうせ途中からやらなくなるなら、最初からやらない方がいい。

それは、細かいところまで気づく人であれば、マイナスに働く可能性もあるからである。

小さな気づきを見落とさないためにやるべきこと

それでは、どうすれば小さな気づきを見落としにくくなるのか。

なにもこれは、小さな気づきを見落とさないためだけに当てはまることではなく、全ての物事において共通することかもしれないが、とにかく場数を踏むことだ。

それも、ただただ場数を踏むのではなく、その場その場でしっかりと意識をして、自分自身の中で呼吸をするように当たり前にできる状態になるまで刷り込むことだ。

相手の言動をしっかり見て、少しでも小さな気づきに気づこうとするということが重要だ。

こうやって書くと、例えば会食の場面で、そこまで相手に気を遣いながら食事をするのは疲れるという人が出てきたり、そこまでしてやる必要はないという人も出てくる。

結論から言おう。

だから、あなたは小さな気づきを見落としてしまうのだ。

そして、生涯小さな気づきを見落とし続けるから、余計なトラブルにも巻き込まれやすくなるし、運という不確定なものを味方にできにくい体質になる。

人間の身体は実によくできていて、なんでもそうだが、やり続けることで慣れてくる。

つまり、これくらいの小さなことができないようであれば、なにをやってもダメだということである。

小さな気づきが紡ぐもの

Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズの有名な言葉がある。

それは、将来を予想して点と点をつなぐことはできず、後々の人生で振り返った時にしか、点と点をつなぐことはできない。

だから、今やっていることが、将来、自身の役に立つと信じて取り組みなさいというものだ。

この言葉の意味というか、その感覚が今の私にはなんとなくわかってきている状況にある。

歳を重ねたことも大きいとは思うが、経験が物を言うという言葉があるとおり、過去にやってきたことが今になって1つずつつながっている感じだ。

もちろん、そのときどきには、将来のためにとか考えてやってなど考えてもおらず、完全にたまたまやっていただけだ。

けれども、その1つ1つは当時は本気でやっていたし、止めるきっかけもそれなりに経験してきた。

そのいずれもが導いてくれているイメージだ。

本気でやるということ、目的をもって前を向いて進むことをやるときには、小さな気づきを1つでも増やした方がいい。

それは、成功は失敗確率をいかに減らしていくかということに他ならないからである。

回り道をする時間はもったいない。

回り道をしたくないのであれば、小さな気づきをたくさん見つけて、最短ルートで駆け抜けるしかない。

そう、小さな気づきが紡いでくれるものは、確実にあるのである。

小さな気づきと小さな気遣い

そして、小さな気づきを多く見つけることができれば、小さな気遣いができるようになる。

この気遣いというのは、簡単に見えて実は難しい。

とりわけ、小さな気遣いというものは気づかれることすらない。

だから難しいのだが、物事が上手くいっている裏側には、実は誰かの小さな気遣いがあると思っておくといいだろう。

自分だけの力でなどと慢心することなく、小さな気づきを見つけ続けること、小さな気遣いを意識することなく自然と誰にでもできる人になることだ。

それを私は優しさと呼ぶ。

ときには怒号のように聞こえることもあると思うが、私が怒っているように見えたとしたら、それは相手にではない。

いつも相手は私自身だ。

くり返しになるが、私が激昂しているのは相手にではなく、できない、できなかった私自身に対する怒りだ。

その怒りが私の原動力になっていて、まだまだ小さな気づきを見つける旅が続くことを再認識するのである。

まとめ

あなたは、小さな気づきを見落としにくい人だろうか。

そして、小さな気遣いができている人だろうか。

できていないと感じる人は、是非この小さな気づきに気づこうとする姿勢を意識し続けて欲しい。

自分のメリットだけを考えるのではなく、相手がなにを求めているのか、なぜ自分のところにその話が来ているのか、点を紡ぐことを意識して欲しい。

自分から半歩、相手から半歩近づくいてもらうことができれば、同じ線上に立つことができる。

それから、これもくり返しになるが、大前提として先述した、なにも考えずに過ごすことを極力減らすことだ。

自分自身が楽しいと思うことをしっかり極めていく方向へ進むことを意識する人生を送ってもらいたい。

こういった感覚を意識せずとも当たり前に備えている人が増えれば、世の中はもっと明るい方向に進むと確信している。

目的を達成するためには、緻密な戦略がある。

私自身への戒めとしても、このシンプルな構造を改めて頭の片隅に置きながら前に進んでいこう。

 

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