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2022年7月31日 投稿:swing16o

間違いだらけの時間という概念

光陰如箭(こういんじょせん)
→ 月日は矢のようにあっという間に過ぎ去ってしまうということで、月日の流れがはやいことのたとえ。

もしかすると、時間という概念についての主張は一番多く書いて来ているかもしれない。

ただ、この概念はなかなか理解されないというが、理解してもらえたつもりでいても全く実行できていない人が多い。

なので私は何度でも同じことをくり返し主張するのだが、改めて時間という概念について書いていこうと思う。

世の中で最も価値のあるものは時間

結論というか、私の主張はこの主張に尽きる。

もう一度書くが、世の中で最も価値のあるものは時間だ。

Time is money という言葉は多くの人が聞いたことがあると思うが、日本語訳すると時は金なりというのが一般的だ。

ハッキリいうが、この言葉は間違っている。

Timeはmoneyなんか全く比にならないくらい価値があることに多くの人が気づいていない。

1秒という時間をお金で買うことができるだろうか。

過ぎ去った時間はどうやっても買い戻すことなんかできないし、1日24時間という時間はどうやっても増やすことはできない。

そして、何事も時間があることが大前提に成り立っている。

これも以前書いたことがあるが、世の中に絶対という言葉はないが、唯一絶対という言葉が当てはまることがある。

それは、人は絶対に死ぬということだ。

つまり、限られた時間の中を人は過ごしていて、普段は意識していなくても、終わりが必ずくるということだ。

死にたくないとあがいても時間を戻すことはできないし、そんなことをする暇もなく生涯を終えるかもしれない。

そうやって考えると時間というものが、世の中で最も価値のあるものだということを理解してもらえると思う。

なぜ時間という概念を最重要視できないのか

こうやって説明すると、ほとんどの人が時間という概念がいかに重要なのかということに理解を示してくれる。

ただ、それは一時的で日常に戻るとすぐにまた時間の概念をどこかに忘れてしまうのである。

なぜ、そんなことになるのか考えたことがあるのだが、答えはでている。

それは、目的や目標を持って生きていない人が、あまりにも多いからである。

もっというと夢や希望を実現しようと生きていない人が、あまりにも多いからである。

目的や目標、夢や希望は人それぞれで、なにも大きくなくてもいい。

そもそも、大きいとか小さいということを誰が決めるのだろうか。

こういう書き方をすると、私が暑苦しい人間だと感じる人もいるかもしれないが、私のことを知っている人は私が精神論とか無意味な努力をどれほど嫌っているか知っているはずだ。

誰でも一度は夢中になったことがあるはずだ。

スポーツでもゲームでも勉強でもなんでもいいが、時間が経つのを忘れて没頭したことがあるはずだ。

そんな時間の使い方をしていないから、時間の大切さを忘れてしまうというわけだ。

無駄な時間を使いたくない、時間がもったいないと思えば、必然的に1分1秒を大切にするはずなのである。

時間を重要視できないことで起きる現象

時間を重要視できないのが、個人の問題であれば放っておけばいいのだが、自分ややりたいことをやり遂げようと思ったときに1人ではなかなか難しい。

多くの人に手伝ってもらうことでレバレッジをかけなければいけないからである。

そのときに時間を重要視できない人がいると迷惑がかかるということも主張しておきたい。

時間を重要視できない人は、周りに迷惑をかけているにも関わらず、そのことに全く気づいていないのである。

気づいていないということが本当に悪で、こういった人の集まりだとやりたいことをやり遂げるときに大きな障壁になる。

例えば、返信が遅い人がいたとしよう。

簡単に返せる内容であるにも関わらず、全く返信がなければその時点で滞ってしまうわけだが、ここに悪気がない人が意外と多い。

なにも仕事のときのことだけを言っているのではない。

プライベートで食事に誘われたときに、何日の何時にどこで待ち合わせをするのかといったやり取りを行うはずだ。

それが決まらなければ、お店の予約もできないし、段取りが決まらないと相手に迷惑がかかるということが理解できていない人は、ハッキリいって悪だ。

そんなに焦らなくてもとか、急かさなくてもという人がいるが、そういう人とは極力関わりたいとは思わない。

そういう人は仕事でもスピードが遅く、いい加減なことが多いからである。

つまり、自分のペースを重要視することを主張するわけだが、それが小さなプライドで自分が原因で上手くいくことも上手くいかなくしている場合が圧倒的に多いということだ。

もちろん、そういう考えに同意できないという人もいるだろう。

そういう人とは私は関わりたくないというか、実際に関係を絶っているのが事実だ。

そして、関係を絶った人で大きな成功を収めたという人を1人も聞いたことがない。

時間を重要視するためのロジック

とにかく、スピード重視だ。

stak, Inc. では積極的に採用を行っており、人数がどんどん増えている。

そうなると、組織として動いていくということをより意識していかないといけないわけだが、時間という概念の重要性を全員が理解しているかというとそうではないと感じることが多い。

その理由は上述したとおりで、目的や目標がないからである。

そういった意識を変えていくというか、時間を重要視させていくためには言い続けていくしかないし、試していくべきこともたくさんある。

どういう風に組織をつくっていくのかは、適宜公開していくし私以外のメンバーのブログも見た方がわかりやすいかもしれない。

単純に比較ができるからである。

それから、とても簡単なことなのではあるのだが、あんまり意識していない人も多いので時間の概念を意識するための考え方を列挙しておこう。

まず、私は今年41歳なので、日本人の男性の平均寿命まで生きれたとしたら、あと40年くらいは生きれることになる。

となると、1年を365日とすると、80歳まで14,600日しかない。

1日は24時間なので、350,400時間しかない。

1時間は60分なので、21,024,000分しかない。

1分は60秒なので、1,261,440,000秒しかない。

そして、春夏秋冬の4つの季節はあと40回ずつしか見れないということになる。

また、1日3食しっかり食べたとして、43,800食しか食べる機会がないことになる。

こうやってブログを書いている間にも、1秒1秒時間はなくなっているということだ。

まとめ

さて、時間について改めてまとめていこう。

もう一度、書いておくが、世の中で最も価値のあるものは時間だ。

この概念を理解することができない人とは付き合えないし、その意識が染みついていかなければ、豊かさにも差が出ると考えている。

もちろん、人には様々な考え方があるので、私の考えに同意できない人がいることは理解している。

私には80歳まで生きられるという保証もないので、そうなると残された時間がないと考えるのが自然だ。

だからこそ、私は全力で生きていると言い切ることができるし、自分ややりたいことを成し遂げるためにはなんだってする。

そして、私の時間が終わりを迎えるときに会話することができるのであれば、私の人生はとても幸せだったと満面の笑みで言い切ってやろうと心の底から想っている。

刻一刻と時間はなくなっていて、その時間を取り戻すことはできず、増やすこともできない。

このことを頭の片隅に置いておけば、スピード重視で生き抜こうと思わないだろうか。

私の時間という概念に対する主張は、とてもシンプルなものだということである。

 

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植田 振一郎 Twitter

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