犬猿之仲(けんえんのなか)
→ 仲の悪ことのたとえ。
犬猿之仲という言葉も幅広く知られているだろう。
四字熟語にするよりも、犬猿の仲と書いた方が読み進めやすいと思うので、以降は犬猿の仲と書くことにする。
その意味も当然周知の事実というか、仲が悪いことを意味していることもまた広く知られているはずだ。
さらに、実際は犬と猿が仲が悪いということもないということもなんとなく理解できるというか知っているだろう。
ではなぜ、犬猿の仲という言葉が生まれたのか、そこにはやはり理由がある。
犬猿の仲の6つの由来
実は犬猿の仲という言葉には、6つの由来があるといわれている。
1)干支の順番
最も有力というか知られている由来が、干支の順番によるものだ。
十二支の動物の順番は、元旦に神様の所に挨拶に来た順番だという話を幼いときに絵本などで聞いた人も多いだろう。
その順番で、猿は9番目、犬は11番目に神様のところに到着した。
このとき、犬と猿は一緒に出発するほど仲が良かったという。
ところが、真剣に歩いているうちに、いつしかお互いに競争心が湧き上がってきて、先を争うようになった。
さらに、途中の丸太の橋で、お互い先に渡ろうとした結果、一緒に川に落ちてしまった。
その後も言い争いを続けながら神様の元を目指すことになる。
その言い争いを見て、とにかく一刻もはやく神様の所に行こうと、仲裁に入ったのが鳥だった。
こうして、なんとかとか神様の所に着くことができた。
ただ、順番は鳥が仲裁に入った関係から、猿、鳥、犬と鳥が猿と犬に挟まれる形になった。
実際に十二支はその順番になっているのは、そのためだ。
つまり、犬猿の仲とはただただ仲が悪いというわけではなく、最初は仲が良かったのになにかのきっかけで仲違いするという見方もできるというわけだ。
また、余談にはなるが、犬と猿が出てくる有名な物語として桃太郎がある。
桃太郎のストーリーは、犬、猿、キジが桃太郎にお供して、鬼退治をしに鬼ヶ島へ行くというものだ。
鬼が出入りするといわれる方角のことを鬼門というが、東北の方角で十二支にあてはめると、丑寅(うしとら)に当たる。
また、陰と陽に例えるなら、陰になる。
逆の方角にある、陽にあたるのが南西の未申(ひつじさる)で、そこに並んでいる動物が、羊、猿、鳥、犬である。
この中から、羊はか弱い動物だからということで外された。
要するに、鬼門である丑寅の対角にいる猿、犬、鳥が選ばれたということだ。
2)戦国時代
戦国時代に天下統一を果たしたのが、豊臣秀吉だということは歴史に詳しくない人でも知っていることだろう。
また、豊臣秀吉が慕った織田信長から猿というあだ名で呼ばれていたことも幅広く知られているはずだ。
そんな豊臣秀吉は、前田利家と親交が深い関係でもあった。
前田利家の幼名は、犬千代ということもあり、両者は、互いに猿、犬と呼ぶ間柄であったという。
2人共に尾張人だったが、昔から尾張の言葉は汚いといわれていた。
親交の深かった2人の楽しそうな会話であっても、他国の人からすると大喧嘩に見えたそうだ。
つまり、そんな2人を傍から見た他国人が、勝手に仲が悪いと思い込んでしまい、犬猿の仲という言葉が生まれたという説である。
3)西遊記
西遊記のあらすじを簡単に説明すると下記のとおりだ。
昔の中国に三蔵法師というお坊さんがいた。
その三蔵法師に王様が、天竺(今のインド)に行って、お経の本をもらって来て欲しいと命令した。
旅の途中で、喧嘩のめちゃくちゃ強い猿の孫悟空、食欲と性欲旺盛な豚の猪八戒、やたらと理屈っぽい河童の沙悟浄をお供にする。
旅の途中、色んな妖怪や誘惑に負けず、天竺に到着して、ありがたいお経をもらうというストーリーだ
西遊記に登場するキャラクターの孫悟空は猿がモデルになっている。
そんな西遊記の中で、孫悟空は天界にたどり着いたときに暴れ回り、さらには泥棒をしようとした。
そのとき、天界の神様は愛犬と共に孫悟空に立ち向かっていった。
そして、最終的にはこの愛犬が噛みついて孫悟空を取り押さえた。
ここから、猿と犬は宿敵という説が生まれたというのである。
4)猟に出た話(その1)
その昔、猟師が仲良しの犬と猿をお供に山に猟をしに行ったときの話だ。
猟師はその猟の最中にばったりと熊に出くわしてしまう。
そのとき、犬は果敢に熊に立ち向かっていった一方で、猿は驚いて一目散に逃げてしまったという。
このエピソードがあってから、犬と猿は以前の関係が嘘だったかのように仲が悪くなってしまったという話だ。
つまり、この両者の仲の悪い様子を見た人たちが、犬猿の仲という言葉を作ったという説だ。
5)猟に出た話(その2)
猟に出たときの話で、もう1つ由来となったエピソードがある。
それは、昔の猟師は猟をしに山に入る際には、犬を連れていくことが当たり前だったところからきている。
猟の最中には、猿に出くわすことも珍しくなかったという。
猿は縄張り意識が強いため、犬に対して激しく威嚇する姿を見た人間が、犬と猿は仲が悪いと認識したところから、犬猿の仲というようになったという説である。
6)性質の違いからのイメージ
そもそも犬と猿は、大きく性質の異なる動物であることは誰にでもわかる話だ。
先述したとおり、猟に連れて行くのが当たり前なほど、犬は昔から人間に身近な生き物だったこともあり、人間の近いところにいる動物だ。
一方で、猿は山で自分たちの群れをつくり野生で生活している動物だ。
また、猿は山から下りてきて人間のつくった畑を荒らすなど、人間の生活を脅かす存在でもある。
そんな人間の生活を守るところでも、犬は番犬として活躍する機会も多かった。
つまり、そもそもの性質が全く違う者同士が警戒や威嚇しあうのは当たり前という考えがあったことから、犬猿の仲という言葉ができたという説である。
仲が悪いという基準
こうして見てみるとわかると思うが、仲が良いとか、仲が悪いという表現は当事者ではなくて第三者が勝手にイメージでつくり上げているということがわかる。
このことは現代にも通じる部分があると思っていて、当人たちはなにも思っていないのに周りが勝手に中が悪いと決めつけてしまっている場合の方が多いということだ。
かくいう私も、ちょっとした議論をしただけで、私がその人のことを嫌いだと勝手に思う人があまりにも多いことに驚くことがある。
この背景には、喧嘩と議論を混同した人が多いことが原因であることは随分前に理解しているのだが、今の歳になっても改めて思う場面がある。
結局、自分の意見をしっかり持っていなかったり、仮に思ったことがあったとしても発言できない場合にこういった誤差が生じていくのだということも理解している。
と同時に、誰もが自分の意見を堂々とハッキリといえるというわけでもないということも重々わかっている。
ただ、しっかり考えて欲しいのだが、周りの人に勝手に仲が悪いと判断されて、忖度に似たような動きで物事が円滑に進まないということも多々あると思うのだ。
例えば、あの人とあの人は仲が悪いから会わせてはダメだとか、当の本人たちは全くなにも思ってもいないのに決めつけるという場面だ。
こういった良かれと思ってやっていることが、実は大きな損失を生んでいる場合もあるということを主張したい。
まとめ
あなたがもしマネジメントなど人と人の間に入って仕事や取りまとめをする立場にある人だったとしよう。
あなたの主観的な見解で勝手に仲が良いとか悪いとか決めてしまってはいないだろうか。
思い当たるふしがある人は、それは大きな機会損失を生んでいる可能性が高いことを重々理解した方がいい。
頭の回転がはやい人や頭がキレる人は是々非々で判断していて、もちろんディベートも上手である。
犬と猿が勝手に仲が悪いと言ってしまうような人になるよりは、どうすれば交わって新しいことが生み出せるかを考える側に回って欲しいと思う。
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