古くからの友人に囲まれることに対する違和感からの開放

2022-06-10 投稿: 植田 振一郎

傾蓋知己(けいがいのちき)
→ ちょっと話しただけなのに古くからの友人のように親しくなること。

古くからの友人のように親しくなることという表現は、本当に正しいのだろうか。

私にとって交友関係とは、付き合いの長さによって決まるものではないだろうし、古くからの友人とばかりいることはデメリットもあると考えている。

今まさに広島という地で、stak, Inc.という会社のCEOをやっているわけだが、この場所にいるまでにはいろいろあった。

もちろん、狙って今の立場にいるわけではなく、結果として今を生きているわけだが、その経緯を振り返ろうと思う。

その意図は、私も41歳という歳を迎えるにあたり、stak, Inc.のメンバーも増えており、少なからず教えることがある立場になったからである。

視野を拡げるために私がとった行動

予め主張しておくが、私は人の人生についてどうこう言える立場ではないし、正直他人がどう生きていこうがどうでもいいと思っている。

けれども、あまりにも一度しかない人生にも関わらず、充実した日々を送っていない人が多いように思うことが増えている。

老婆心ながら、いろいろあっても確実に充実している人生を送っている私から言わせてもらおうと思う。

まず、私自身の半生を振り返ったときに、広島という場所は必ず出てくる。

それは当然で、たまたま生まれた地が広島であったからである。

そして、小学校、中学校、高校と広島という地で育ったわけだが、いわゆる思春期を過ごした広島に違和感を持つようになったのは、まずは中学校時代だろうか。

私たちの世代の中学校時代は、まだまだ荒れた部分が残っていた時代だった。

先輩後輩の力関係がしっかりとしていて、ヤンキーというカテゴリの人たちが肩で風を切っていた時代だ。

かくいう私も、なにもしていないのに1つ上の先輩から、こいつ生意気なんだよなみたいな感じで絡まれたりしたこともある。

たかだか1つ先に生まれただけなのに、仲間と一緒にいなければ絡むことすらできない、超絶弱そうなヤツだと本音では思っていた。

けれども、なにを言っても道理のとおるような人種ではないので、ただだた嫌な想いをするという記憶がある。

こんな村八分な世界が本当に嫌だと思った瞬間である。

その後、高校生になったときには、他の学校の人たちとの交流を求めて、いわゆる合コン的なことも何度がやったことがある。

そのときのあるあるが、どこどこ中学のサッカー部の誰々を知っているかという会話になるというものだ。

要するに、1人挟めば誰か知っている人と繋がってしまう。

こんな狭い世界が本当に嫌だと思った瞬間である。

私の周りにいた当時の友人たちも同じように感じたのだろう。

高校を卒業したら、広島を出て都会を目指そうということを決めた。

外に出ることと内に籠もることで生まれる差

東京を目指すためには、親をある程度、納得させる必要があった。

そして、なにか目的がなければ、自分自身のためにもならないという気持ちも少なからずあった中、私がとった選択肢は大学に行くというものだ。

とはいえ、1年は浪人することになるのだが、19歳の歳になるときに東京行きの切符を手に入れた。

憧れた東京は、やっぱりなにもかもが新鮮だった。

漫画やテレビでしか知らなかった場所や景色が今まさに目の前にあることが、とにかく刺激的だった。

広島だと街へ行こうという一言で通じるのだが、東京には広島の街の規模を上回る街がいくつもある。

それこそ、山手線1つ1つの駅が広島よりも大きなイメージだ。

まさに眠らない街、そんな景色を大学生という時間を持て余した若者はとにかく楽しんだ。

それから、大学生は夏休みや春休みがとにかく長い。

下手したら2ヶ月くらいあるので、東京に行った初めての夏休みに広島に戻ることにした。

広島に戻ると、中学や高校時代の友人たちとも当然会うことになるが、東京の様子はどうかとかそういった話になるのは実に自然な流れだということは理解してもらえるだろう。

夏休みが終わりかけると、また東京に戻り、次は年末年始を含んだ冬休みにまた広島に戻る。

そのときに、少し違和感を覚えることになる。

夏休みのときと同じように地元の友人や高校時代の友人たちと遊びに行くわけだが、夏休みのときと全く同じような会話にしかならないということだ。

そのときの違和感は、またこの感じかといった軽い感じで冬休みが明ける頃にまた東京に行く。

すぐに春休みが訪れ、また広島に戻って同じくり返しとなるわけだ。

そのときに確信した。

ずっと広島にいる人たちと遊ぶことが苦痛になっている自分がいた。

なにも変化がない、ただただダラダラと中学校のときや高校のときの話を結果としてする場面しかないというのにウンザリしたのである。

広島しか知らない人たちから離れる決意

大学2年生になると、広島に戻る機会があっても会う友人を限定するようになった。

同じように県外に出て、少しでも刺激がある人たちと会うことしかしなくなったのである。

そういう人たちから聞く話の方が圧倒的に面白かったし、私自身の話にも耳を傾けてくれた。

そして、もっと東京にいることで得るものを大きくしようという意識が少なからず芽生えていたのもある。

このマインドは実は非常に大きいものだと思うのだ。

井の中の蛙大海を知らずということわざがあるが、まさにこの言葉は生涯当てはまると思った方がいい。

知らないことは悪いことではないということは何度も主張しているが、知らないことは損をする機会が圧倒的に増えるのである。

それでもいいという人に対しては、もはやなにも言うつもりはないが、やはり世界を拡げた方が充実した人生を送れるように思う。

その後に取った行動について

とまあ、偉そうに書いているが、大学時代にやっておけば良かったということもある。

それは、アメリカに行くということだ。

というのも、私には1つ上の姉がいるのだが、姉はアメリカの大学に行っていた。

そんな姉から、アメリカに遊びに来ればという誘いが何度かあったのだが、私はそれを全て断っていた。

広島が狭くて嫌だということで東京に行ったのだが、そこからさらに外に出るというチャンスを棒に振ったわけだ。

その後、大学を卒業してから初めて海外へ行くことになるのだが、23歳のときのことだ。

それでも、はやい方だという人もいるが、決してはやくはない。

ましてや、もっとはやくに行けるチャンスがあったのに、そこで行動を起こせていないことは今の私からしたらあり得ないことだ。

実際、その後にアメリカに行ってみたいと思ったことは何度もあるが、なかなかそんな機会は訪れることはなかった。

ようやく、3年前にstakというプロダクトを始めたことがきっかけで、NYとピッツバーグに行ける機会をもらえたわけだが、これもたまたまだ。

もしかしたら、一生行くことができなかった可能性もある。

なによりもアメリカに行けたことは苦々しいものではあったが、本当にいい経験になったのもまた事実だ。

まとめ

行動を起こすことがなによりも大事だということは、本当にベタでいろんなところで聞くことがあるだろう。

けれども、本当に行動を起こすということは重要で、なかなかそれを実行する人はいなかったりする。

冒頭に書いたとおり、地元から外に出たことがない人を否定するつもりは毛頭ないし、そういう生き方を決めた人であれば自分の人生を全うすればいい。

けれども、もし今の生き方に対して充実感が得られていないのであれば、外に出ることに対して躊躇することをやめた方がいいだろう。

年齢は関係なく、外に出ることで初めて内のいいところが見えてくる。

そして、そういった経験が自分自身を豊かにすると信じているし、私自身は最低でも豊かになっている。

 

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