寡頭政治(かとうせいじ)
→ 少数の権力者が行う独裁的な政治。
独裁というと、ネガティブなイメージを持つ人が大半だと思う。
かつてのドイツやソ連を思い浮かべる人もいるだろうし、独裁政治というと中国の共産党が真っ先に出てくるという人も多いだろう。
こういった側面からネガティブなイメージが先行してしまうが、一長一短だということは頭に入れておいた方がいい。
ポジティブな言葉に変換するならば、少数精鋭ということもできるということである。
変革が起きるとき
歴史を遡っていくと、変革が起きるときには必ず重要人物が現れる。
それはポジティブであってもネガティブであってもだ。
英雄とされているナポレオン、絶対悪とされているヒトラーといった具合いだ。
ただ、その当時の変革が起きたていた時代のヒトラーも英雄だった。
これを現在に置き換えてみよう。
となると、やはり題材は中国になるだろう。
中国に対しては、やはりネガティブに捉える人が大半だ。
それから、香港や台湾も含めて、そもそもどういう歴史的な背景があるのかをしらないという人も多いように思う。
ここに対しての私の意見をしっかりと述べておきたいと思う。
中華人民共和国という国について
そもそもだが、私は中華人民共和国、つまりは中国という国に対しては、あまりネガティブに思っていない側の人間だ。
もちろん、全てにおいてではないが、そう感じている理由について書いていこう。
根本にあるのが、私自身の経験にある。
私が中国との関わりが最も深かった時代は、2010年の年末から2013年6月くらいまでの時期だ。
いや、この書き方自体がおかしいということに気づいたので改めよう。
上海との関わりが深かったという書き方にしないと語弊がある。
というのも、中国は13億人以上がいるという大国だ。
上海という都市だけを切り取っても、2,500〜2,600万人の人がいるとされる。
これはオーストラリアの人口に匹敵するとなると、その規模感がわかるだろう。
ちなみに中国の一部という見方をする人も多い台湾の人口が約2,300万人、香港は約750万人だ。
なにが言いたいのかというと、中国は各都市がそれぞれ国レベルの人口がいるので、都市ごとに切り分けて考えた方がいいということだ。
例えるならば、ずっと広島にしかいない人が土地勘のない東京のことを語れないのと同じなのだが、その規模が全く異なるということである。
そして、その考え方は私自身が感じたことではなく、2010年末から2013年6月の約2年半の中でお世話になった中国人からの教えであることも添えておこう。
上海で学んだこと
私が上海に行くようになったきっかけは、前職のブランチの設立のためだ。
場所を上海に決めたのは自分自身で、その理由は大したことでもないのだが、改めて書くとすると当時の周りの人の声だった。
その声とは、中国でのビジネスは難しいから止めた方がいいというものだ。
私自身はまだ20代だったこともあり、だったら私が成し遂げてやろうという、まさに勢いだけで決めたというのが本音だ。
とはいえ、中国語も話せないし文化もよくわかっていないので、一緒に行ってもらえる人を探すために面接をくり返した。
こうして、拠点を探す旅が2010年の年末あたりからスタートしたのである。
拠点が決まったのが2011年の2月あたりだったと記憶している。
その後、日本では東日本大震災が起きるわけだが、ちょうどそのあたりから私は上海での生活が始まることになる。
最初はいろいろと大変だった。
日本でしか生活をしたことがないので、ちょっとした違いがストレスに感じたし、正直日本に戻りたいと思ったことも何度もあった。
そんなときに支えてくれたものは、一緒についてきてくれたスタッフや仕事が始まるにつれての知り合っていった中国人たちだった。
一方で距離を置かなければいけないと思ったのが日本人だった。
日本人が日本人を騙すとまでは言わないが、カモにするということが往々にしてあることがよくわかった。
例えば、財務や税務についてだ。
日本時代から付き合いのある日系企業で、上海でも業務が可能だというところを紹介してもらったときのことは今でもよく覚えている。
日本では実際に取引はなかったのだが、上海進出をきっかけに財務や税務関連を依頼したいというオファーを出した。
2つ返事で回答が来たのだが、その金額が年間で日本円にして300万円近くかかるというのだ。
中国では日本と違っていろいろとあるからというのがその理由というのだが、設立間もなく2名しかいない企業のコストが年間300万円というのは異常だ。
すぐにスタッフにローカル企業を調べて欲しいと依頼すると、月2〜3万円程度で十分だという。
年間40万円もかからないということは、7倍近くの開きがあるのだ。
若干の不安はあったが、ローカル企業で問題ないという判断をして任せたのだが、結論から言うと全く問題なかった。
むしろ、やるべきことやアドバイスを実によく教えてくれたし、何度も助けられた。
そうそう、これだけではない。
内装工事を依頼する際にも日系企業へ依頼すると3倍近かったり、日系企業を使うメリットはなにもなかった。
結局、ローカル企業へ依頼するという仲介にすぎず、手数料を抜いているだけという日系企業をたくさん見てきた。
たまに呼ばれていく日本人駐在員の集まりも後ろ向きの人たちが多く、2〜4年間の滞在期間をいかに乗り切るかというモチベーションにも辟易した。
もちろん、日本人全員がダメだと言っているわけではない。
ただ、上海で一旗揚げようと意気揚々としている日本人には2年半の間、1人も出会わなかった事実がある。
まとめ
とまあ、偉そうに書いたところで、結局上海ではなにも成し遂げることはできず、むしろボコボコにされて日本に戻ってきた。
数年後に上海を訪れたが、たった数年で劇的に変化している街の光景に驚いた。
地下鉄の本数や駅が次々に増え、新しい建物ができ、以前あった飲食店のほとんどが入れ替わっていた。
この勢いというのは本当に感じたし、stakの開発を始めてからは深センにも行ったが、タクシーが電気自動車で当たり前のように走っている姿にも圧倒された。
この背景には、中国共産党の一党独裁による判断が大きいと思う。
世界にアピールするという側面があったり、国家レベルで揉めているエリアがあったり、格差故にそれこそ個人レベルでも荒い人がいるという事実もある。
けれども、13億人以上がいる大国の組織をなんだかんだまとめているという見方をすれば、しっかりとハンドリングしているという一定の評価もできるはずだ。
GDPがあっという間に日本を抜き去り、アメリカを追随している事実から目を背けてはいけない。
真正面からぶつかってももはや勝てるところは少ない。
だからといって、中国はとか中国人はといった精神論的な言い訳で逃げようとするのではなく、どうすれば勝てるのか考えながら動くしかないということを伝えたい。
完敗したという苦い経験のある私は必ずもう一度、どんな形になるかは不明だが、中国という国へも挑戦するはずだ。
ただ、10年以上前ほどグローバル化が進んでいることを考えると、もはやそんなに難しい話でもないのかもしれない。
1人でも多くの人が中国のみならず、日本以外の海外へ目を向けて欲しいと思う。
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