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2021年12月16日 投稿:swing16o

広島出身の私が各世代で感じてきた違和感

夏虫疑氷(かちゅうぎひょう)
→ 夏にだけ生きる虫は、冬に氷があることを信じない意から、見聞のせまい人が自分の知らないことを信じようとしないこと。

私の出身は広島県広島市だ。

そんな広島市で生まれてから高校生まで過ごした。

高校生になると進路のことを考えなければならず、当時の私の周りにいた仲の良かった友人たちのほとんどが東京へ行くということで、私も当然のように東京を目指した。

ただ、その根本には広島という地の狭さを感じていたというのも忘れてはいけない事実だ。

広島市は政令指定都市で人口は約120万人いる。

これだけ聞くと、広島も都市としては大きいという声を聞くこともあるが、個人的には全くそれを感じない。

1人介せば誰かと繋がる、そんな感覚は10代の頃も今も全く変わらない。

これだけ書くと、広島をディスっているように聞こえるかもしれないが、広島を盛り上げたいという気持ちがあるからこその苦言だ。

中学生のときに感じた違和感

私の出身である中学校は、私が中学1年生から2年生になるときにとあるイベントがあった。

その中学校は、3つの小学校を卒業した生徒たちが集まってくる中学校だったが、中学2年生になるタイミングで中学校がもう1つ増えたのである。

その結果、中学1年生のときには10クラスあった中学校が中学2年生からは3クラス減って7クラスの運用になったのである。

つまり、3クラス分だけの新しい中学校が新設されたということである。

確かにその3クラス分だけできた中学校のエリアから、そもそもあった中学校へ登校するには距離があって大変だったので、当時はあまり意識していなかった。

けれども、当時から少子高齢化のことは社会問題として取り上げられており、新たに中学校を作ることが本当に重要なことだったのか、もっと考えてみても良かったと思う。

ましてや、3クラス分という細分化が行われたことで、小学校から中学校へそのまま持ち上がることが確定したわけだ。

要するに、小学校から中学校の義務教育の9年間、ほとんど同じ人達で過ごすわけだ。

人数が特段多いわけでもなく、そんな環境で大切な10代に差しかかるところから10代前半を過ごすことは、ある意味危険だと薄々思っていた。

なにがいいたいかというと、とても狭いコミュニティの中で過ごすということになる。

当時はようやくインターネットが世に登場して拡がりを見せていたタイミングなので、今ほど外の世界に簡単にアクセスはできない。

そういう意味では、私はまだ小中学校で多少の変化のある環境にいれたことは良かったように思う。

高校生のときに感じた違和感

その後、中学を卒業するタイミングで多くの生徒が高校進学という道を選ぶわけだが、私もとりあえずなにも考えず流されるように高校受験をした。

そして、おそらく広島市内でも最も中心地にある高校へ進学することになった。

その高校を選んだ理由も実に不純で、私の家から高校までを結べば、必ず広島市内の繁華街を通るからである。

学校が終わると当たり前のように、なんでもあるエリアに行けることに優越感さえ覚えていた。

一方で、同じ高校の誰かに会う機会が多いこと、中学を卒業してからバラバラになった同級生にも会う度に、なんて狭い街なのだろうと思っていた。

極めつけは、時は流れて高校3年生になるあたりだろうか。

高校卒業後の進路をどうするか決めていかないといけないタイミングが訪れる。

大学に行く人、専門学校に行く人、就職をする人といった具合なのだが、私の卒業した高校からは多くの人が大学か専門学校に行くという選択肢をしたように思う。

その中で、東京を目指す人が思っていた以上に少なかった記憶があることが、高校生のときに感じた違和感だ。

統計を取ったわけではないので正確ではないかもしれないが、半数は広島に残り、残りの半数が県外に出たくらいの感覚だ。

そして、県外に出た人の半分が大阪を含めた関西圏、4分の1が福岡を含めた九州地方、最後の4分の1が東京を含めた首都圏というところではないだろうか。

まとめると、東京を含めた首都圏に出た同級生は全体の8分の1、つまり12.5%といったところだろう。

100人いたとしたら、12〜13人といった数字になる。

冒頭に書いたように、私は東京しか頭になかったため東京に行くことが当たり前だと思っていたが、こうやって書いてみると少ないことがよくわかる。

それから、東京なんか行かないという声が少なからずあったこと、それもネガティブな意見としてあったことは今でもよく覚えている。

大学生のときに感じた違和感

こんな流れで、特に大志を抱いていたわけではないが、東京へ行くことは比較的はやくから決めていたように思う。

大学生になり、東京での生活が始まるわけだが、大学生といっても年間の半分くらいは休みだ。

夏休み、冬休み、春休みがあり、特に春休みは異常に長かった記憶がある。

そうなるとすることもないので、広島に帰省するわけだが、大学1年生の冬休みくらいまでは、なんとなく地元に帰って友人たちと遊ぶことが楽しかった気がする。

久しぶりに会う友人たちとワイワイするのが1つのイベントになっていたし、東京での生活を共有する楽しみもあった。

けれども、大学1年生の春休みくらいに大きな違和感を覚えた。

それは、地元で遊んでいた友人たちには、ほとんど変化がないということだ。

一緒に遊んでいても、あれこの話は夏休みにもしてなかったかとか、冬休みのときに行った場所と全く同じところに行くのかという感覚への違和感だ。

そう、狭い地域にいることは、変化がないということで、怖いのはその変化がないことに気づいていないまま時が流れているということなのである。

まとめ

こうやって書いていくと必ずといっていいほど、東京に行ったことが偉いのかというような絡み方をしてくる一定層が現れる。

私がいいたいのは、そんなレベルの低いことではない。

外に出ることで刺激を受けることで視野が拡がり、それが新しい化学反応を生むということだ。

東京に行くことを推奨しているわけではなく、ずっと同じ場所に留まっているのではなく、いろいろなところに積極的に行き経験を積むことが、その人の人生において糧になるということだ。

最終的に地元に戻ったり、生まれ育った場所に対してなにかできないかと思ったときに、ずっとその場にいた人とは引き出しの多さと行動力が全く異なるということだ。

人生は一度しかないから、せっかくなら広い世界に飛び出してみてはどうだろうか。

そういう人たちの話は聞いていてワクワクさせてくれることは間違いない。

 

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植田 振一郎 Twitter

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