怨女曠夫(えんじょこうふ)
適齢期になっても相手のいない男女、また、離別・死別した男女のこと。
おそらく、この言葉ができたときの歴史的な背景を見ると、相手のいない男女はネガティブに捉えられていたのだろう。
ということで、この言葉の由来を少々深堀りしたくなったので、調べることにした。
怨女曠夫(えんじょこうふ)と文字を打っても変換予測が出てこないことからも興味のある言葉だ。
怨女曠夫(えんじょこうふ)という四字熟語の因数分解
くり返しになるが、今の時代に変換予測が出てこないというのも珍しい。
特に後半の曠夫(こうふ)という変換が出てこない事実にますます調べたくなったワードである。
再度、怨女曠夫(えんじょこうふ)という四字熟語の意味の確認をしよう。
- 結婚適齢期になっても相手のいない男女のこと
- 配偶者と死別、生別した男女のこと
結婚適齢期という概念がもはや時代によって大きくブレている気もするが、まずは怨女(えんじょ)という言葉から分析しよう。
怨女の怨は、夘と心から作られた形声文字で、意味はうらむということだ。
その怨と女が重なると、怨女となって下記のような女性を意味する。
- 婚期を失って結婚できず悲しみ嘆く女性。
- 夫を失って悲しみ嘆く女性、寡婦。
- 出征・旅行などで夫のいない留守を守ってさびしく暮らす女性。
- 君主や夫の愛を失って悲しむ女性。
続いて、曠夫の曠は、廣と日から作られた形声文字で、意味はむなしいということだ。
その曠と夫が重なると、曠夫となって、男やもめ壮年で妻のない男性の意味となる。
つまり、働き盛りなのに独り身の男性ということを意味する。
この時点で、前者後者ともにネガティブな要素がかなり大きいということが理解できる。
ただ、言葉ができたということは、その言葉ができた時代背景に影響されているはずだ。
怨女曠夫(えんじょこうふ)という言葉ができた背景
調べてみると、怨女曠夫は孟子梁惠王(けいおう)章句に出てくる。
紀元前319年~紀元前301年に在位した齊の宣王が自分の色好みの性格が政治によからぬ影響を及ぼすのではないかと心配して孟子に尋ねる場面がある。
そして、孟子の答えの中に、まさに怨女曠夫(えんじょこうふ)が出てくるのである。
當是詩也、
内無怨女、
外無曠夫、
王如好色與百姓同之、
於王何有。
こちらが原文になるが、私と同様に久しぶりに漢文っぽいものを見たという人も多いのではないだろうか。
ということで、訳していこう。
當是詩也は、是の時に當(あた)りてはと読み、だからこの当時という意味である。
この当時というのは、古公亶甫(ここうたんぽ)というのは、周王朝初代武王の曾祖父で時代は紀元前12世紀のことだ。
内無怨女は、内に怨女無くと読み、家の内には婚期を逸して夫のいないのを怨みなげく女もなければという意味である。
外無曠夫は、外に曠夫(こうふ)無しと読み、家の外には年頃になっても妻がなくて、独り者の男はいませんでしたという意味である。
王如好色與百姓同之は、王如(も)し色を好むも、百姓と之を同(とも)にせばと読み、王がもし色を好まれても、人民と一緒になさるお心がけならという意味である。
最後の締めの言葉となっている於王何有は、王たるに於(おい)て何の(不可かこれ)有らんと読み、天下の王となるのに何の差し支えがございましょうという意味である。
要するに、物事を行うに当って不都合になることなどない、問題ないでしょうと説いている。
ということで、古公亶甫が夫人を愛して、正しい夫婦のあり方を示されたということを例に出したという背景だ。
怨女曠夫(えんじょこうふ)という言葉の真意
長々と時代背景から言葉の意味を読み取ってみた。
結果、冒頭にネガティブなものだと思っていたが、ちょっと感覚がズレていた。
それよりも、紀元前の中国には結婚制度のようなものがあり、夫婦となることが円満とされていたことに驚いた。
それから、国の長が、そういった政策を行っていること、仮に本人が色を好んでも民衆と同じ心がけがあるなら問題ないという孟子の言葉にも感じることがある。
女性をとっかえひっかえしたとしても民衆を大切にすれば問題ないという意図だが、これはなかなか極端だ。
そんな国王に国を統治することができるのだろうかと一瞬疑ってしまうものだ。
けれども、ある意味でトップに立つのであれば、人たらしでなければダメな部分もあるだろうし、そういわれると、なかなかやんちゃができないということもあるかもしれない。
まとめ
いずれにせよ、男女が独り身であることが幸せとされている根本の概念は紀元前から現代に至るまで変わらないという事実があることもわかった。
その概念を追求すると、現代には必ずしも当てはまらないというか、婚姻関係がなくても成り立つパートナーというものも浸透しつつある。
男女共に生き方も多様化しており、そもそも男女というカテゴリをつくることすら疑問が生じる時代だ。
一方で、四字熟語がかなり昔から存在していることも改めて知ることができたし、概念が長い間語り継がれている事実があることもしっかり理解しておく必要もあるだろう。
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