一つの心、同じ体であるかのような強い結合をすること。
いいときは問題ないけど、悪いときのことを考えた方がいいという話をされることがある。
悪いときは問題ないけど、いいときのことを考えた方がいいという話もされることがある。
どないやねんだ。
結局、一丸となるという表現をどの立場でどの段階から見るかによっていわれることが変わってくるということだ。
一見、強い絆に見えていたようで、実はそんなこともなかったなんていうことはよく聞くし、実際に自分もそんな風に感じることはある。
例えば、家族とか親族というものは結束が固いようでそんなこともない典型だと思う。
親と子、兄弟のみといった小さい単位であれば特段問題なく関係は進んでいくのだろうが、そこにいろいろと人が加わってくると少なからずギクシャクする場面が出てくる。
最も明確になるのは、やはり人の死に繋がった場面、いわゆる相続のところだろう。
これは私も歳を重ねていく度に、亡くなっていく人が増えていくので何度か複雑な思いをしたことがある。
故人の資産、いわゆる現金を欲しがる親族に対する嫌悪感が最も強く出るのだが、そういう人は案外多いのだろう。
生前になにか特別な対応をした、もちろん本人は特別だと思っていないことが大前提だが、そういう関係値にあった人が棚ぼた的にもらうものが資産だと思いたい。
勘違いして欲しくないのは、私は合理性をとても重視するタイプの人間で、感情的なものを極力排除するようにしている。
ただ、人の死にまつわるものに関しては全く別で、ここに群がってくるような人は本当にクズだと思っている。
どこかで死を期待していたように感じてしまうのだ。
そんなものに頼らなくても生き抜けと思ってしまう。
それから、これもあくまで感覚でしかないが、上手くいっていないときの方が結束力は強い気がする。
なんとかしないとという気持ちから必死に動くことがそれに繋がるのかもしれない。
ちょっとした余裕ができたときや、なんとなく上手く回り始めたときに、フッと気が緩むときはある。
当然、物事を上手く進めるためにやってきたのだから、それはいいことなのだが、そこから更に一定の緊張感を維持して先に進める方が結束力は弱いイメージだ。
企業が成長していくと利益率が下がっていくのは、まさにここが原因だと思っている。
つまり、余計な販管費が増えてでも結束力を維持していかないといけなくなるという理論だ。
勝って兜の緒を締めよということわざがあるが、これはなかなか難しいのも現実だろう。
そんなとき、こんな話を思い出す。
徳川家康と聞けば、江戸時代を築き上げた歴史上でも指折りの有名な人物だ。
そんな徳川家康だが、三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)で、とんでもない醜態を晒したことがある。
対戦相手は戦国最強と謳われた武田信玄。
その戦いで、家臣たちが自分の身代わりとなり目の前で次々と倒されていく光景を目の当たりにした家康はなんと、うんこを漏らしながら浜松城へ逃げ帰ってしまったというのだ。
そんな家康の逃げっぷりと汚れたパンツを見て城にいた家臣は情けないと嘆く中、家康はこれはクソではなく腰につけていたミソだと、驚きの反論をしたらしい。
徳川家康が「たぬきオヤジ」と呼ばれる所以なのだが、この心の底を見せないことを徹底したからこそ15代まで続く一族の繁栄の礎を築けたのかもしれない。
この話の締めくくりは、徳川家康はこの苦い経験を生涯忘れないように、このときの自身の情けない姿と変なポーズをした肖像画をあえて残させたという逸話がある。
「しかみ像」と呼ばれる有名な肖像画だ。
この肖像画をいついかなるときも自身の目につくところに置いていたという話だ。
さらに、家臣たちに、ふんどしは白ではなく黄色のほうが汚れが目立たないぞというアドバイスをするという大物ぶりを見せている。
嘘か本当かは問題ではなく、stakが爆裂するように今後も進めていくわけだが、恥ずべきことがあっても堂々としていようと思うのである。
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