時間の貴重なことのたとえ。また、時間を無駄に過ごすのを戒める語。
これも既出ではあるが、時は金なりということわざがある。
このことわざに対してもちょっとしたクレームを入れておこう。
時は金よりも価値が圧倒的に高い。
特に歳を重ねていく度にその価値は高くなり、いくらお金を積んでも買えない最たるものが時間だ。
若者の中には、長くまで生きなくてもいいと主張する人もチラホラいる。
今を生きればいいという発想は、基本的には同意できる。
過去を変えることはできないし、未来はなにが起こるかわからない。
でも、だからといって時間をないがしろにすることは訳が違う。
かくいう私も、10代、20代前半は、別に長く生きることを特別望むということはなかったと記憶している。
まあ、こういう例え話は好きではないが、あり得ない仮設を投げかけてくる一定層に迎合するならば、1秒1万円で売れるとしたら、いくらでも売ったと思う。
人生において、プライオリティが最も高かったのは、お金だったように思う。
20代、30代と10年おきに迎える節目、25歳、35歳という5年おきにくる小さな節目が考え方を変えていく。
当たり前だが、自分より10年、20年はやく生まれた人がいれば、10年、20年遅く生まれてくる人がいる。
自分が中心となるわけだから、若い人がいれば当然年上の人もいる。
そして、歳を重ねると1秒を売る側から買いたい側にまわる。
それから、毎日読んでくれている人には、また同じネタかと思われるかもしれなくて申し訳ないが、過去に戻りたいと思っている生き方をしてるようではダメだ。
これもあり得ない想定の愚問なのだが、過去に行きたいか未来に行きたいかという、あるあるに過去と答えるような人のことだ。
未来へ行けといいたい。
過去を振り返ることは新しい発見はなく、ただただ過程を確認するだけで未来に比べると圧倒的に価値がない。
未来を見ることで考え方も更に変わるだろう。
見た未来が予想していた以上なのか、以下なのか、想像していたとおりなのか、それはわからない。
ただ、未来は選ぶことができる。
自分の責任で進んでいくことができる。
私の場合は、stakという会社を創り、自分の理想とする未来を現実にしようと日々もがいている。
いろんな立場の人がいることは理解できる。
だから、こんな記事が生まれる。
早咲き、遅咲きという言葉がある。
この記事によると、遅咲き出世が難しくなっているのには、3つの理由があるということだ。
確かにもっともらしいことが書いてあるのだが、私にはこの議題について1つの結論がある。
遅咲き出世が多かったのは、いわゆるベビーブーム世代と重なる。
とりわけ、第2次ベビーブームと呼ばれた世代が生まれた1971〜1974年の世代がターゲットだ。
それはなぜか。
単純に生まれた人が多いわけだから、優秀な人が目立つタイミングも多くなる。
本来であれば能力のある人が、なかなか目立つことができず、40代、50代になってようやく日の目を見るというパターンが多かったということだ。
そもそも人数が少ないのであれば、目立つ機会も増えるので、後半になればなるほど目立つ人が減っていく。
早咲きだった人がもう一度輝く場合もあるので、その場合は遅咲きというカウントをしないだろう。
結論、早咲きでも遅咲きでもどちらでもいい。
それよりも時間という概念を最もプライオリティの高いものという捉え方を少しでもはやい段階で身につけることが大切だ。
あなたは今、何歳で5年前、10年前、20年前、もっと前の自分が想像していた自分とどれくらいかけ離れているか。
その意識を持っておくということである。
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