健康を保つ上で医療と食事は源が同じであるということ。
歳を重ねていくと健康に対する話が増えるというのはあるあるで、実際にそうなっている。
体力の衰えを感じないかと問われれば、疲労が溜まりやすくなった感じはある。
でも、それは昔は感じていなかっただけかもしれないし、単純に歳を重ねたことで本当は変わっていないのに思い込みがあるのかもしれない。
いずれにせよ、健康というものが人生のテーマの大きな1つになっていることは間違いない。
では、なぜそうなるのか、ちょっと考えてみよう。
人によって様々な変数はあれど、結論、死にたくないということに行き着くことは間違いない。
つまり、生きたいという考え方が根本にあるということだ。
とはいえ、どんな格好であっても生きていればいいというわけではない。
長寿を祈るとき、元気な未来の自分の姿を皆が浮かべているだろう。
それなのに、普段は病気のことを意識せずに生きている時間がほとんどだ。
健康第一という言葉があるにも関わらず、専らその言葉が使われるときは、自分が大病を患ったときや、周りに同様のことが起こったときである。
そのときに健康を唱えても遅いことは、誰にでもわかるのに普段は意識しない。
これは非常にマズい考え方だ。
以前にも紹介したが、2020年9月にこの本が出版されると、たちまち話題になった。
なかなかのボリュームの本なので、まだ全部を読み切れていないのだが、この本は冒頭から投げかけが上手だ。
平均寿命と健康寿命にについての投げかけから始まっている。
この2つの言葉は最近のものではなく、随分前からあるものにも関わらず、健康寿命はあまり浸透していないように思う。
日本人は長寿で、世界的にも長生きだと埋め込まれている。
ただ、これはあくまで平均寿命の話で、健康寿命とは違う。
平均寿命はまさに死ぬときまでの寿命で、健康寿命とは自立した生活が送れる期間である。
要するに、寝たきりなったり誰かの手を借りないと生活ができないという状況になってしまうと、健康寿命を迎えたということになる。
平均寿命と健康寿命のギャップが年々拡がっているというのである。
日本人の場合、男性は約9年、女性は約12年もあるともいわれている。
平均寿命である80歳まで生きれたとしても、そこにたどり着く約10年前の70歳前後からは健康に生きられていない人が急増するというデータになる。
では、どうすることが健康的なのか。
それは、やはり普段から少しでも意識を持つことだろう。
明らかに不健康とされているものには手を出さず、予防医療に目を向けて実践することだ。
それは、食生活だったり、睡眠の質だったり、運動をすることだったり、ストレス発散だったりする。
ファストフードは避けること、しっかり睡眠をとること、適度な運動をすること、リフレッシュする時間をつくること、こんな感じで言い換えることができる。
いつ来るかわからない大病に備えて、高い生命保険に多額の出費をすることは絶対に健康的ではない。
生命保険の全てを否定するわけではないが、保険とはそもそも情弱から搾取するビジネルモデルだ。
これもくり返しになるが、そんな出費をするくらいなら、質の高い食事を取ることやジムに通って身体を動かしたりといったところに費やした方が何倍もマシなのだ。
それから、これもまたくり返しになるが、テクノロジーがそれを後押しする。
気づけば、母親がスマートウォッチをつけている光景を見て、健康に対してテクノロジーの理解が少しずつキャズムを超えていることを痛感する。
一気にキャズムを超えなくても全然問題なくて、こうやって浸透していくことの方がむしろ大切だ。
眉唾のサプリや健康食品に手を出すのではなく、確実に取れるデータをもとに生きていく方が合理的なことは間違いない。
stakもその一役を担えるように着々と開発が進んでいる。
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