質素な生活のたとえで粗末な服と粗末な食事のこと。
質素な生活は決して悪くないと思うが、悪という漢字が使われていることに違和感を覚えた四字熟語である。
自分の解釈としてはこうだ。
何事も行き過ぎると悪になるということだ。
以前にも書いたと思うが、毎日贅沢をしなさいと強要されると質素な生活をするよりも大変になるということだ。
簡単にいうと、毎日必ず10万円を使わなければいけない生活と毎日1,000円以内で過ごす生活がどちらが楽かという選択肢の応えである。
10万円を選ぶ人はお金に縛られた生き方をしている可能性が高い。
こう書くと、質素な生活を強いているように聞こえるかもしれないが、お金をかけるところにかけて必要ないところには徹底してかけないということを言いたい。
粗末な服や粗末な食事をすることが良いか悪いかは、その人によるということだ。
ファッションが好きな人はファッションにとことん熱く生きればいいし、美味しいものを食べることが好きな人はたくさんのお店と触れ合った方がいい。
ただただ派手に生きるのではなく、自分の好きな分野や得意な分野には思い切り投資をするという考え方だ。
豊かになりたいというハングリー精神を持つことは、とても大切である。
そして、そのために徹底することは、もっと大切である。
でも、そのために質素な服ばかり着ることを徹底していると見た目で損をすることもあるだろうし、粗末な食事ばかりで日々過ごしていたら体に支障をきたすかもしれない。
そうなると本末転倒である。
つまり、やり過ぎはよくない。
くり返しになるが、何事もバランスを取りながら生きていく必要があり、質素な生活をすることも行き過ぎると悪という漢字の方向に流れていくという解釈をした。
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