病入膏肓(びょうにゅうこうこう)
→ 病が進行して回復する見込みがなくなること。
古来より、治療困難とされる病を指す言葉として「病入膏肓」という表現がある。
もともとは中国の古典に由来するとされ、文字通り「病が膏(あぶら)と肓(横隔膜付近)に入り込んだ状態」を指す言葉として使われてきた。
古代の医療技術は現代に比べると極めて限定的であり、身体の中心部にまで深く浸潤した病はもはや治しようがないという感覚が反映された言葉だと考えられる。
医学書が限られた時代には感染症や内科系の疾患が重症化した際、手を尽くしても回復する見込みが薄い状態を総称して「病入膏肓」と呼んでいたと言っていい。
たとえば中国の歴史書『史記』のなかにも「医師に見放された病」として同様の表現が散見される。
西洋医学の導入以前の日本においても、漢方や鍼灸など当時の知識の範囲で治療が試みられていたが、当然ながら限界があった。
治療不可能なほどに病が進行した患者は、「治す術なし」として敬遠されるか、奇跡にすがるしかなかった。
これが「病入膏肓」の背景であり、当時の人々の実感をそのまま言語化した表現とも言える。
ただし現代医学が進歩した今でも、あえて比喩的に「手の施しようがない問題」を表す際に使われることがある。
この言葉には強い無力感がにじむが、実際の医療現場では科学的根拠が着実に蓄積されるにつれ、絶望的に見えた病が次々と克服されてきた歴史がある。
言い換えれば、かつては治せないとされていた病が治療可能となり、「病入膏肓」の概念自体が変化しつつあると言える。
かつての難病とその実態
過去、医学の知見が限られていた時代には、数多くの病が「難病」として恐れられてきた。
代表例として挙げられるのは結核やポリオ(小児麻痺)、あるいは天然痘などだ。
これらはいずれも高い死亡率や重篤な後遺症をもたらし、地域社会ひいては世界中で猛威を振るった。
たとえば結核は、19世紀から20世紀前半にかけて「死の病」とまで言われたほど恐れられた。
日本でも一時期は死亡原因の第1位を占め、厚生労働省の推計(20世紀前半当時の資料からの概算)によれば、1910年代から1930年代にかけては年間で数十万人規模の結核死亡者がいたとされる。
一方のポリオも小児期に感染すると運動麻痺が残るリスクが極めて高く、20世紀中盤まではワクチンが普及していなかったため、多数の子どもが障害を抱える結果となった。
天然痘に至っては、歴史上最悪の感染症の一つとして扱われてきた。
世界保健機関(WHO)の推計によると、20世紀だけでも3億人以上が天然痘で命を落としたとされるデータが残る。
都市部では集団感染が起こりやすく、ひとたび流行すると多くの人々の命を奪い、社会的にも大きな混乱を招く病だった。
つまり、かつて難病とされたものには「感染症」が多かったといえる。
抗生物質やワクチンが存在しない、あるいは開発途上という時代背景では、身体の免疫力だけが頼りとなる。
そこで一度感染が広がれば、あっという間に重症者が続出した。
人々は常に死の恐怖と向き合わざるを得ない状況であり、これらの病はまさに「病入膏肓」の代名詞でもあった。
現代医学の飛躍的進歩による解決例
しかし20世紀半ばから21世紀にかけて、医学は一気に進歩した。
結核に対する抗結核薬や、ポリオや天然痘に対するワクチンの開発・普及はこの流れを象徴している。
特に天然痘は世界的なワクチンキャンペーンにより根絶にまで至り、WHOは1980年に「天然痘の根絶宣言」を発表している。
これは人類史において「病を完全に克服した」数少ない成功事例の一つと言える。
結核の死亡率も現代では著しく低下しており、厚生労働省の最新報告(2020年代のデータ)でも、年間の死亡者数はかつての数十分の一というレベルまで減少している。
もちろん結核はまだ発展途上国を中心に世界的には残っているが、少なくとも先進国では致死率は格段に下がり、早期治療で回復するケースが大半を占めるようになった。
ポリオについても、ワクチンの普及が進んだ結果、WHOが「ポリオ根絶宣言」を視野に入れる段階まで到達している。
地域的にはまだ完全には撲滅できていないものの、1988年時点で35万人いたポリオの患者数は2020年代に入って数百人単位にまで減少したとの報告がある。
先進国ではすでに過去の病という認識が一般的である。
これらの事例は、かつて「病入膏肓」とみなされても不思議ではなかった病が、現代の医学をもってすれば完全あるいはほぼ完全にコントロール下に置けるようになったことを示している。
世界的な医療政策や製薬企業の研究開発努力、そして医療従事者たちの献身によって、新しい治療法やワクチンが開発されてきたことが何より大きい。
解決されない難病の現状
一方で、これほどまでに医学が進歩してもなお、未だに治療法が確立されていない難病も数多く存在する。
がんの中でも特定の進行度や希少がんの一部、進行性神経疾患(たとえばALS〈筋萎縮性側索硬化症〉、パーキンソン病の末期など)、さらにはアルツハイマー型認知症の重度ステージ、指定難病として登録されている膠原病の一部などが挙げられる。
たとえばALSの世界的な患者数は正確な統計を取りにくい部分があるが、国際的なALS関連の学会での推計では、全世界でおよそ30万人以上の患者が存在するとされる。
日本国内だけでも1万人を超える患者がおり、発症から急速に進行するケースも少なくない。
筋肉の萎縮や呼吸困難など、生活の基盤そのものを揺るがす症状が多いにもかかわらず、確立された根治療法は現時点で存在しない。
アルツハイマー型認知症も同様に、世界の患者数は5,000万人以上に達するとWHOは推計している。
高齢化に伴い患者数はさらに増加すると見られ、周囲の介護負担も大きな社会課題になっている。
新薬の研究は進められており、一部で進行を遅らせる効果が期待される薬剤も登場し始めたが、完全な治癒に至る道は未だ遠い。
これらの難病に対しても国際的な研究が進んでいるが、ひとつの遺伝子異常や特定のタンパク質異常だけに原因を求められるわけではないという複雑さがある。
多因子的なメカニズムが絡むことで、根本的な治療法の開発が難しい状況だ。
つまり、医学的な「病入膏肓」はますます細分化・高度化し、解決すべき問題が複数の領域に散らばっていると言っていい。
問題の根幹を捉えるデータ分析
なぜ解決される病とされない病が存在するのか。
ここには大きく三つの問題があると考えている。
第一に、研究開発費と患者数の問題。患者数が多い疾患や世界的に脅威が高い感染症は、国際的な資金が集まりやすい。
その結果、ワクチンや新薬の開発が加速し、比較的早い段階で治療法が確立されるケースが多い。
しかし患者数が少ない疾患、いわゆる希少疾患は研究の優先度が下がりがちになるという指摘がある。
ある非営利団体の推計によると、世界の医療系研究資金のうち、希少疾患に割り当てられる割合は全体の5%未満ともいわれている。
第二に、疾患そのものの複雑性が挙げられる。
たとえばALSやアルツハイマー型認知症などは、単一の原因遺伝子を特定できない場合が多く、環境要因や生活習慣、複数の遺伝子の相互作用が重層的に絡んで発症すると考えられている。
そのため、ワクチンのように特定の病原体を狙い撃ちする形で一気に解決するのは難しい。
実際に多因子性の神経変性疾患では、まだ発見されていないメカニズムが残されている可能性が高いという研究結果もある。
第三に、世界的な医療インフラの格差が問題となっている。
先進国では最先端の医療機器や研究設備が揃う一方、開発途上国では基礎的な医療すら行き渡っていない地域も少なくない。
ポリオのようにワクチンが開発されても、紛争地域やインフラが整っていない地域では接種が進まず、結果的に完全撲滅に至らないという現実がある。
がん治療や高度な免疫療法なども、経済格差によって受けられる人と受けられない人の隔たりが広がる。
そうした社会的要因も含めて、難病が「病入膏肓」状態に近いほど深刻化する局面が出てくるわけだ。
新たな未来を切り開く視点
これらの問題を踏まえたうえで、決して全ての難病に対して「病入膏肓」と諦める必要はない。
歴史を振り返れば、結核や天然痘といったかつての難病を克服してきた事実がある。
資金も技術も、そして世界的な連携も、従来とは比べものにならないほど加速している。
ゲノム編集技術や再生医療など、次世代の治療の扉はすでに開かれつつある。
たとえば遺伝子治療分野では、CRISPR-Cas9などの新技術によりピンポイントで遺伝子の修正が可能になり、これは難治性疾患や希少疾患にも適用可能なポテンシャルを持つ。
まだ臨床応用には慎重な検証が必要だが、ALSやパーキンソン病、さらにはさまざまな免疫疾患にも応用が期待されている。
実際、ある研究機関の試算では2030年代半ばまでにゲノム編集技術の臨床応用が複数の病に対して実現する可能性が高いとも言われている。
また、医療・ヘルスケアを取り巻くテクノロジーの進化も忘れてはならない。
私が経営しているstak, Inc.はIoT領域にフォーカスしているが、IoT機器によるバイタルデータの自動収集や、遠隔診療の基盤整備が進めば、これまでアクセスが難しかった地域や患者層のデータも集められるようになる。
ビッグデータ解析が進むことで、発症メカニズムの解明や新薬の開発スピードが高まる可能性があるのは確かだ。
だからこそデータ活用の視点が重要になる。
ここで重要なのは、目の前にある課題をただ嘆くのでなく、今ある技術とデータを駆使して一歩一歩前進することだ。
病の本質は常に変化しているし、医学も常にアップデートされている。
病入膏肓とされてきた概念を塗り替え、さらに先へ進むことができるのが人類の力だと考えている。
そしてstak, Inc.のCEOとしても、会社のプロモーションを通じて、広く社会に価値を還元することを目指したい。
最終的には「すでに治療可能な病」「まだ治療が難しい病」の境界線を溶かすくらいのイノベーションを生み出すことを狙っている。
表面的にはIoT企業と思われるかもしれないが、実際のところは各業界の課題をテクノロジーで効率化し、さらに人々の知識や関心を繋いで未来を変えていきたいという意識が強くある。
だからこそ、病入膏肓のようなテーマを自分の視点で深く掘り下げることには大きな意味がある。
まとめ
かつては天然痘や結核、ポリオが「病入膏肓」と思われていた。
しかし現代医学の飛躍的進歩によって、これらの病は根絶あるいは管理可能なものとなった。
これは人口データや死亡率データの推移を見れば一目瞭然で、歴史的な推移をグラフ化すれば治癒率や死亡率の劇的な改善がはっきり確認できる。
それと同時に、ALSやアルツハイマー型認知症など、未だに解決の糸口が見えにくい難病は確かに存在し、データを見ても患者数が増加する傾向が否めない。
この差を生んでいる要因は研究開発費の偏在や疾患の複雑性、そして医療インフラや社会的格差など多岐にわたる。
だが、歴史を振り返ると人類は常に無理難題に挑戦し、打ち破ってきた。
今まさに解決の光が見えない病であっても、次の世代には当たり前に治せる病になっている可能性は大いにある。
病入膏肓の概念を単なる絶望の象徴として捉えるのではなく、人類が病を克服してきたプロセスを学び、そこから前に進む活路を見いだすことが大切だ。
かつて難病と呼ばれた病が克服され、現在「病入膏肓」と思われている難病もまた、今後の研究とテクノロジーの融合によって克服されるだろう。
私自身もstak, Inc.を通じて、技術とデータを活用した新しい価値を世の中に届けたいと考えている。
その延長線上で、医療の世界にも小さくても確かな変化をもたらし、未来における「病入膏肓」を減らす手がかりを示していきたい。
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