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2025年1月22日 投稿:swing16o

無能と呼ばれた10人の大臣と優秀と称された10人の大臣

伴食宰相(ばんしょくさいしょう)
→ 実力も才能も不足している大臣のことで、つまり無能な大臣を指す。

伴食宰相とは「実力も才能もないまま宰相や大臣の地位に就き、権力者にただ付き従うだけで、まるで食事を共にするに過ぎない存在」という意味で使われてきた言葉だ。

唐代以前から中国の文献において、皇帝のそばに侍るだけで何もしない宰相や大臣を皮肉る表現として定着していたとされる(参考:『漢書』巻75 伝65 ほか)。

この言葉が示すのは単なる「無能」だけではない。

むしろ、何もしない、主体性がない、責任感の欠如といった行動原理が批判されている。

状況によっては「何もしないほうがマシ」なケースもあるが、「在職期間中に問題を解決する意志がなく、自ら動かない」という点が最も問題視されてきた。

だが「伴食宰相」に分類される人物が本当に無能だったのかどうかは、時代背景や政治体制、当時の人々の価値観など多面的に考察する必要がある。

同時代の史料が残っていないケースや、後世になって「都合よく」歪められた史実も存在するからだ。

時代や地域が異なれば、その人物が「奇跡の名宰相」と評された可能性もある。

現代の経営や政治の観点では、「伴食宰相的な存在」が必ずしも悪とは限らない。

組織にはリスク管理が求められ、「余計なことをしない」リーダーシップが功を奏することもある。

ただし、何かあったときは問題を解決できる体制を整備しなければならないし、人材配置が組織の未来を左右することに変わりはない。

だからこそ、今回のテーマである「本当に無能だった宰相・大臣」と「優秀だった宰相・大臣」を徹底的に洗い出し、再評価を試みるのは価値がある。

歴史に見る「無能」とされた宰相や大臣10選

歴史には「無能」と評価された宰相や大臣が多数存在するが、時代背景やその人物を取り巻く政治状況を無視して語られるケースも多い。

ここではあえて「無能」と呼ばれ、さらには歴史上で大きく名を残してしまった10人を挙げる。

各人物の評価が「本当に正しいのか」も含めて、後の章で掘り下げる。

1. 劉禅(蜀漢の後主)

三国時代の蜀漢を滅亡へ追いやった「暗愚な帝王」というレッテルを貼られてきた。諸葛亮の死後は国政を顧みず、宦官や佞臣に惑わされ続けたとされる(参考:『三国志』蜀書 後主伝)。

2. 北条守時(鎌倉幕府最後の執権)

幕府の重要ポジションに就きながら、内紛と後醍醐天皇の討幕運動を食い止められず鎌倉幕府滅亡を許した。ただし当時の混乱は構造的問題も大きく、個人の無能だけで済む話ではない(参考:『日本史史料集』吉川弘文館)。

3. ギョム・ド・マキニ(フランス・百年戦争期の宰相)

イングランド軍の侵攻に対して兵站や財政策が後手後手に回った。当時のシャルル6世の精神不安など宮廷内の複雑な権力闘争も影響していた(参考:『百年戦争史』ジョナサン・サムソン)。

4. ロバート・セシル(イングランド・初代ソールズベリー伯)

エリザベス1世の治世末期からジェームズ1世に仕えたが、大規模な財政難を打開できず王室財政を深刻化させたと非難される。ただし対スペイン政策などで功績を残したとの見方もある(参考:『イギリス史概説』オックスフォード大学出版局)。

5. 趙高(秦末期)

宦官でありながら、二世皇帝を操り暴虐の限りを尽くし、秦滅亡を加速させたと伝わる。単純に「無能」というよりも「奸臣」と表現されるが、政治運営が分かっていなかったという意味で無能とされる(参考:『史記』秦始皇本紀)。

6. フョードル・シャクロフ(ロシア・イヴァン4世末期の大臣)

イヴァン雷帝の晩年に財政管理を任されたが、農奴制による国力の偏りを是正できず、後の動乱の時代の要因をつくったといわれる(参考:『ロシア史』東京大学出版会)。

7. 鄭和(永楽帝時代の宦官・外交官)

大航海に功績がある一方、巨額の遠征費が明王朝の財政を圧迫し、国内経済を疲弊させたという批判もある。優秀と評されることが多いが、財政面だけを切り取れば「大局を見誤った無能」との説もある(参考:『鄭和下西洋研究』南京大学出版会)。

8. トーマス・ウェントワース(イングランド・ストラフォード伯)

チャールズ1世に仕え、議会との対立を深めて清教徒革命の遠因をつくった。王権強化に突き進むだけで、国政全体のバランスを見なかったとも批判される(参考:『イギリス革命史』岩波書店)。

9. 李林甫(唐代)

李隆基(玄宗)の信任を得て宰相となったが、政敵を排除し、後の安史の乱の火種をつくった。無能というより保身に走り、結果的に唐王朝が傾く一因を担ったとされる(参考:『旧唐書』巻106)。

10. ガフール・ナワーズ(ムガル帝国末期の宰相)

アウラングゼーブの晩年に任官したが、財政再建も軍事的脅威への対処も機能せず、帝国の衰退に拍車をかけた。ムガル帝国の構造的疲弊もあったため、一概に個人のせいとは言い切れない(参考:『ムガル帝国史』ケンブリッジ大学出版局)。

その評価は本当に正しいのか?

無能と呼ばれた10人を並べたが、そもそも「無能」の根拠はどこにあるのか。

史料は勝者の側、あるいは政治的に優位な側によって書き残されることが多く、特定の人物を貶める意図で筆が加えられたケースがある。

さらに、当時の価値観と現代の評価基準がまったく異なることも無視できない。

例えば蜀漢の劉禅は、魏や晋の史料では過度に「暗愚」と評されており、実際には蜀漢末期の厳しい国力状況のなかで最善を尽くそうとしていた可能性があるという研究もある(参考:『劉禅再考』中国社会科学院)。

また鄭和に関しては、明王朝の海上覇権とアジア外交に大きく貢献したという評価が一般的だが、莫大な費用が国内経済を圧迫したのも事実だ。

優秀か無能かという判断は、それが長期的に国益をもたらしたかどうか、また施策の副作用を許容できる余力が国家にあったのかによって変わってくる。

結果として「無能」とされてしまう背景には、その時代の政治構造や国際情勢、後世の歴史編纂者の思惑など複合的な要因がある。

さらに人間の評価は「人徳」や「リーダーシップ」など定量化しづらい領域に及ぶため、簡単に割り切れないのが実情だ。

歴史に見る「優秀」とされた宰相や大臣10選

一方で歴史には「優秀」とされ、多大な功績を残した宰相や大臣も数多く存在する。

ここでは特に、国家を強固にし、後世からも高く評価されている代表的な10人を挙げる。

1. 諸葛亮(蜀漢)

蜀漢の国政を支え、外交・軍事・内政に多大な貢献をした。『出師表』に代表される国家への忠誠は語り草になっている(参考:『三国志』蜀書 諸葛亮伝)。

2. 伊尹(殷〜周初期)

中国最古の名宰相の一人とされ、殷王朝の興隆を支えた。周王朝成立にも一役買ったとも伝わる(参考:『史記』殷本紀)。

3. 姜子牙(周)

周の文王・武王を補佐し、封建制度の基礎を築いた。軍事と政治の双方に長け、後の中国王朝の原型を形成した存在(参考:『封神演義』や諸史書の記録)。

4. ウィリアム・ピット(小ピット、イギリス)

財政改革や海軍増強を押し進め、大英帝国の基礎を築いた。若くして首相になったが、周囲を納得させる政治力と経済政策に定評があった(参考:『イギリス近代史』ペンギン歴史叢書)。

5. オットー・フォン・ビスマルク(プロイセン〜ドイツ帝国)

「鉄血宰相」と呼ばれ、巧みな外交政策と軍事改革によりドイツ統一を成し遂げた。社会保障制度の先駆けも導入した(参考:『ビスマルク伝』岩波書店)。

6. 鄧小平(中華人民共和国)

改革開放政策を実行し、中国の経済的躍進を促進させた。政治的弾圧という負の面もあるが、経済政策の面では歴史的功績と評価される(参考:『鄧小平伝』人民出版社)。

7. ウィンストン・チャーチル(イギリス)

第二次世界大戦の危機を乗り越え、英国をナチスドイツに対して粘り強く戦わせた。国民の士気向上に大きく寄与し、終戦後も国際外交の中心的役割を担った(参考:『第二次世界大戦回顧録』チャーチル著)。

8. 清少納言や紫式部を重用した藤原道長(平安時代)

直接の宰相職ではないが摂政・関白として実質的な最高権力者だった。文化の隆盛と政治的安定を同時に成し遂げ、平安文化の黄金期を築いた(参考:『大鏡』)。

9. ラーマ5世(タイ)

近代化政策によってタイの独立を維持し続けた国王であり、実質的に宰相の役割も兼任したとされる。社会改革や奴隷制度の廃止に尽力(参考:『ラーマ5世伝』バンコク歴史研究所)。

10. カール・アクセル・モーナ(スウェーデン近代首相)

福祉国家の基礎を築き、社会保障や教育制度を整備した。欧州のなかでもトップクラスの生活水準を実現し、スウェーデンの国際的な地位向上に貢献(参考:『北欧福祉国家モデル』オスロ大学出版局)。

これらの優秀とされる人物も、その評価が変遷する場合がある。

ビスマルクのように強権的手法をとる政治家は、一時期は「独裁的」と糾弾され、後には「現実主義的」と再評価されることもある。

同時に「その人物が果たした役割」と「組織の構造的メリット」が混同されているケースもあるため、単純な英雄視は禁物だ。

伴食宰相がもたらす示唆と人類の進歩

では、伴食宰相が歴史において繰り返し登場する背景には何があるのか。

多くの権力者や組織では、リーダーの絶対的権限を前提に「Yesマン」を配下に置こうとする傾向がある。

その結果、必要な情報や提言を得られなくなり、危機が訪れたときに即応できない事態に陥る。

これは政治のみならず企業経営でも同様だ。

一方で、人類はこうした「無能な大臣」「権力に迎合する人間」をある種の反面教師としながら、少しずつ組織論やリーダー論を改良してきた。

西欧諸国では三権分立や議会制民主主義が進化し、中華圏では官僚機構の科挙制度の変遷を経て優秀な人材を取り込もうとしてきた。

日本においても明治維新以降、近代官僚制度を取り入れて柔軟に制度改革を行ってきた。

こうした「失敗と反省の積み重ね」が、いわば人類が進歩・進化しているひとつの証左だと言える。

組織は常に「最適解」を求めながらも、結局は人間が動かしている以上、完全無欠のシステムにはならない。

だからこそ歴史を振り返り、過去の過ちに学ぶ意義がある。

まとめ

伴食宰相の話は、実は企業経営やIT、IoT、AIなどの分野にも応用可能だ。

組織において戦略や意思決定が個人の「ひらめき」だけに依存すると、伴食宰相が誕生しやすい。

なぜなら、リーダーが気に入った人材を要職に据え、イエスマン化を助長するからだ。

だが現代では、データ分析やAIによる客観的判断が当たり前になりつつある。

個人の恣意に左右されず、実力主義を適切に運用する仕組みさえあれば、伴食宰相を排除して有能な人材を登用することができる。

stak, Inc.が目指すのは、IoTやAIの技術を拡張型デバイス「stak」に搭載し、あらゆる現場でスマートな意思決定を可能にする仕組みだ。

たとえば工場の生産ラインであれば、センサーから得たデータを機械学習モデルで解析し、どのタイミングでどうメンテナンスを行うかを最適化できる。

オフィスでも空調や照明、会議スケジュールの自動調整など、人間の「勘」に依存していた部分を補完することで意思決定の質を高める。

これは歴史の教訓を踏まえた「伴食宰相」を生まないための仕組みでもある。

人間の能力には限界がある一方で、AIやIoTによる定量分析は人的ミスをフォローし、データに基づいた客観的な判断を促す。

このように組織や社会全体が人間の脳力を最大限に引き出しつつ、足りない部分を技術がサポートする体制を築くことが、人類のさらなる進歩につながる。

「無能な大臣」も「優秀な大臣」も、時代やシステム次第で大きく評価が変わる。

重要なのは、常に再評価の視点をもち、失敗の本質を学び、次に活かす姿勢だ。

歴史の汚点や失敗談を掘り下げることは痛みを伴うが、それを避けていては今後のイノベーションも生まれない。

伴食宰相の存在を反面教師としつつ、優秀な宰相・大臣たちの思考や行動を学び、AIやIoT技術と組み合わせることによって、社会や企業は格段に強くなれるはずだ。

▼ 参考文献および出典
『漢書』巻75 伝65
『三国志』蜀書 後主伝
『日本史史料集』吉川弘文館
『百年戦争史』ジョナサン・サムソン
『イギリス史概説』オックスフォード大学出版局
『史記』秦始皇本紀
『ロシア史』東京大学出版会
『鄭和下西洋研究』南京大学出版会
『イギリス革命史』岩波書店
『旧唐書』巻106
『ムガル帝国史』ケンブリッジ大学出版局
『劉禅再考』中国社会科学院
『封神演義』
『イギリス近代史』ペンギン歴史叢書
『ビスマルク伝』岩波書店
『鄧小平伝』人民出版社
『第二次世界大戦回顧録』チャーチル著
『大鏡』
『ラーマ5世伝』バンコク歴史研究所
『北欧福祉国家モデル』オスロ大学出版局

 

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