波瀾万丈(はらんばんじょう)
→ 変化が激しく劇的であること。
波瀾万丈という言葉を聞くと、大きなドラマが詰まった人生を想像しがちだ。
しかし、この言葉の本来の意味は「変化が激しく劇的であること」。
つまり、喜びもあれば悲しみもあり、上がったり下がったりを繰り返す状態を指す。
大河ドラマのように、常にアップダウンがあって、周りを巻き込みながら進んでいく様子をイメージする人も多い。
ただ、そもそもなぜ「波瀾万丈」という言葉が生まれたのか。
そして、なぜ人々は波瀾万丈を特別なものだと捉えがちなのか。
そこには歴史的な背景がある。
波瀾万丈という言葉が広く使われるようになったのは江戸時代後期から明治時代にかけてだといわれている。
複数の文献を調べると、「波瀾万丈」は当初、演劇や読み物(草双紙や講談など)の宣伝文句に使われることが多かったという説がある(※1)。
当時は戦乱の時代ではなく、江戸幕府が安定していた時期だ。
しかし、幕末から明治維新にかけて社会が激変し、人々が大きな転換を経験した。
その際に「波瀾万丈」という言葉が一気に世に広まったという。
活字としては明治に入ってから多くの小説や新聞記事で見られるようになり、劇的な事件や人生に添えられるフレーズとして活躍した。
ただ、この言葉はあくまで「変化が激しい」ことを表現するために使われていたにすぎない。
大きな物語の中で、とくに目立つエピソードがあると「波瀾万丈だ」と称される。
つまり、どの時代にも大きな変化を感じる人がいて、その人にとっては「今こそ波瀾万丈」だと見えていただけともいえる。
後述する「過渡期」というキーワードと深くかかわってくる。
(※1)参考:永井義男『江戸の演劇と庶民文化』(歴史文化文庫 2003年)
過渡期という概念を分解する
「今は過渡期だ」とよく聞く。
新しい技術が台頭したり、大きな制度改革があったりするときに使われる言葉だ。
AIやIoTが注目を集める現代では、よく「歴史的な転換点に立っている」という表現も耳にする。
だが、過渡期とは本当に「今だけ」を指すものなのか。
過去を振り返ると、いつの時代も「この先大きく変わるぞ」という空気があった。
たとえば産業革命。
18世紀後半から19世紀前半にかけて、イギリスで蒸気機関や紡績機が普及し、社会構造が一変した時期だ。
その頃の記録を読むと、多くの人が「これほど大きな変化は前代未聞だ。人類史の過渡期だ」と感じていた(※2)。
同じように、インターネットが爆発的に普及した1990年代後半から2000年代初頭も「IT革命」と呼ばれていた。
あのころも、新聞や雑誌では「情報化社会への過渡期」という見出しがあふれていた。
過渡期という言葉自体は、明確に「ある状態から次の状態へ移る途中の時期」を意味する。
だが、見方を変えれば、人類の歴史は常に何かから何かへ移り変わり続けている。
「今が過渡期」と言うことで、人は「特別な変化の時代を生きている」と実感したがる。
しかし、いつの時代も当事者は「こんな変化は初めてだ。まさに過渡期だ」と思っていた。
過去の新聞記事データベース(朝日新聞デジタルアーカイブなど)を調べても、「過渡期」というキーワードは明治から昭和、平成、令和に至るまで常に散見される。
要するに、どの時代にも「過渡期を生きている」人がいたというわけだ。
(※2)参考:T・S・アシュトン『産業革命—18世紀イギリスの経済史』(岩波書店 1973年)
なぜ変化を激しく感じるのか?
なぜ人々は常に「いまこそ激動の時代だ」と思うのか。
理由はいくつかある。
第一に、人は自分が当事者として生きている「現在」を最優先に考える習性をもつからだ。
過去のことは当事者ではないため、実感が薄い。
歴史の本を読んで「大変だったんだろうな」とは思っても、自分がその渦中にいるわけではない。
だが、現代の自分にはリアルタイムの問題が山積みで、それが「今ほど変化が激しい時代はない」と感じさせる。
第二に、メディアの発達がある。
情報が爆発的に増え、SNSなどを通じて瞬時に世界中のニュースが流れてくる。
「こんなことまで知れる時代は初めてだ」と思うと、そこに特別感が生まれる。
実際、総務省の通信利用動向調査(※3)によると、2020年代に入ってから日本におけるSNS利用率は80%以上(年齢層により差がある)に達しているという。
これだけの人がリアルタイムで情報をやりとりすれば、あらゆる出来事が「大事件」に見えるわけだ。
そのため、「変化が激しく劇的な時代に生きている」と思いやすくなる。
第三に、技術や文化のイノベーションが日常の小さな変化をまとめて大きく見せる効果がある。
自動車が普及した時代は「馬車から車へ」という変化がまるで魔法のように映ったし、テレビが登場したときは「動く映像が自宅で見られるなんて世紀の発明だ」と騒がれた。
しかし、振り返るとその後も人類はいくつもの発明をしてきた。
それでも当事者たちは毎回「これほどの変化は未曾有だ」と感じてきた。
こうした心理が、人々に「いまがもっとも劇的で特別な過渡期だ」と思わせる。
(※3)参考:総務省「令和4年通信利用動向調査」、2024年公開予定速報値
歴史に見るイノベーションの連鎖
歴史のなかで大きなイノベーションが起こった例は数多い。
そのたびに「これで世の中が大きく変わる」「まさに過渡期」と言われてきた。
実際のところ、そのとおり大きく変わったケースもある。
ただし、それは「今が特別だ」というより「ずっと変化が続いている」から生まれる結果とも言える。
活版印刷の普及(15世紀中頃~)
ヨハネス・グーテンベルクが活版印刷を開発したことで、書物の大量生産と知識の共有が一気に進んだ(※4)。
当時の人々は「情報が手軽に得られる時代など想像できない」と驚いた。
印刷物が宗教改革や科学革命などに影響を与えたことは有名だが、要するにそれも当事者にとっては大変革だった。
しかし、それ以降も技術革新は止まらず、ラジオ、テレビ、インターネットへと続いていった。
電気と電話の普及(19世紀末~20世紀初頭)
電話や電灯の登場は、当時の人々にはSFレベルの衝撃だった。
これは「世界が一気に縮まる」出来事で、人々は「これこそ人類の大転換期だ」と考えた(※5)。
しかし、その後も通信技術は発展し、モバイル通信やスマートフォンへ進化した。
そのたびに「今が過渡期」「従来の常識が崩壊する」と言われ続けている。
コンピュータとインターネット(20世紀後半~21世紀)
大型計算機からパーソナルコンピュータへ、そしてインターネットの登場へ。
1970年代後半から1980年代にかけては、「コンピュータが人間の仕事を奪う」と騒がれた。
1990年代後半には「インターネットが世界を激変させる」と叫ばれ、2000年代には「スマホが全てを飲み込む」と言われた。
これは歴史的にみれば自然な流れで、当時を生きた人には常に大きな変化に見えてきた。
すなわち、「いつの時代も、当事者にとっては劇的な変化だ」という事実がわかる。
今「AIが人間の知能を超える」とか「IoTが暮らしを根本から変える」と言われているが、それもまた歴史の流れのなかのひとつ。
もちろんAIやIoTの進化は大きなインパクトがあるが、これまでと同じように「流れの一部」と捉えることができる。
(※4)参考:E. アイゼンシュタイン『印刷革命の文化への衝撃』(東京大学出版会 1986年)
(※5)参考:A・G・ベル研究所資料「電話の歴史と技術革新」(Bell Labs Historical Archives)
AIとIoTがもたらす現代の波瀾万丈
現代社会では、「AIが仕事を奪う」「IoTであらゆるものがインターネットにつながる」といった話が頻繁に聞かれる。
「これは歴史的な転換点だ」と盛んに報道されている。
しかし、ここまで見てきたように、いつの時代でも似たような言葉が飛び交ってきた。
だからこそ、AIやIoTが登場したことで起こっている変化も、いわば「今の波瀾万丈」に過ぎない。
ただ、その変化をどう活かすかによっては、新たなイノベーションを生む大きなチャンスでもある。
特にstak, Inc.が扱うようなIoT機器は、従来の家電やガジェットとは全く違う概念を打ち出している。
モジュール式に機能を拡張できる「stak」というデバイスを開発し、それをユーザーの生活や仕事にフィットさせていく取り組みは、まさしく「小さな変化を寄せ集めて大きな変革を起こす」動きだといえる。
AIとIoTを組み合わせれば、製造や流通、サービスなど多方面で効率化が進む。
世界経済フォーラムの推計(※6)によると、AIやIoTを含む先端技術の普及により2030年までに世界のGDPが最大14%上積みされる可能性があるという。
この数値を信じるかどうかは別として、人々がそれほど期待をかけ、また恐れを抱いているのは確かだ。
一方で、こうした技術革新が起こるたび、雇用の再編や格差の拡大など社会的課題も増えていく。
それも含めて「波瀾万丈」だと言える。
「自分たちが激動の時代を生きている」という意識が、ビジネスやクリエイティブにおいて新たなアイデアや製品を生み出す原動力になる。
まさに、いつの時代もイノベーションを起こすのは「いまこそ大変だ」と危機感をもつ人々だった。
(※6)参考:世界経済フォーラム「The Future of Jobs Report 2020」
まとめ
「過渡期だ」と騒いでいる間に一生が終わる。
そう指摘する人もいる。
実際、人類の歴史をみれば、どこをどう切り取っても大なり小なり変化の渦中にあった。
重要なのは、「いまが過渡期だから何かをする」のではなく、「自分が生きている時代をどう活かすか」だろう。
変化があろうがなかろうが、自分のやりたいことや役割を見つけて動く人がイノベーションを起こす。
stak, Inc.のCEO 植田振一郎として言えることは、IoTデバイス「stak」を軸に「時代は常に変化している。
だからこそ、超効率的な開発・運営モデルを構築して最小限の人数で最大の価値を生み出すべきだ」という考えを示している。
この発想は、まさに「過渡期だと騒ぐのではなく、その時代の特性を活かしてイノベーションを起こそう」というものだ。
経営、IT、AI、IoT、クリエイティブ、エンタメ、PR、ブランディング、マーケティングなど、多角的な知識を掛け合わせながら、常識にとらわれないアイデアを形にしている。
もし本当に「この時代が特別」だと感じるなら、その理由をデータとともに分析し、具体的な取り組みに変える。
ただ「激動の時代ですね」と眺めるだけでは何も始まらない。
歴史が示すように、いつの時代も当事者は必死だった。
その必死さが新たな発想や発明を作り出し、次の時代をつくる。
AIやIoTがどれほど便利でも、人のアイデアや行動なしではイノベーションは実現しない。
これだけ書いてくれば、「波瀾万丈」とは歴史をふり返ればどこにでも存在する状態だとわかるだろう。
「過渡期」という言葉もまた、いつの時代にも使われ続け、今現在を生きる当事者は常に「こんな変化は前代未聞だ」と感じてきた。
しかし、その認識こそがイノベーションの原動力になっている。
大きなドラマを感じるからこそ、人は必死に行動し、新しい技術や文化を生み出す。
つまり、「過渡期」だと叫ぶこと自体は間違いではない。
本当に今が大変だと感じているなら、それは事実だろう。
ただ、それは「いまだけが特別」ではなく、未来の人から見れば「歴史の流れの中のひとつ」にすぎないかもしれない。
大事なのは、「過渡期だ」と騒ぐことで止まってしまうのではなく、「その渦中で何をするか」を考えることだ。
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