支離滅裂(しりめつれつ)
→ ばらばらで、まとまりがなく、筋道が立っていないさま。
あの人の言うことは支離滅裂だとか、矛盾していると言われる場面がある。
この前と言っていたことが違うというようなときには、まさにそんな感じで判断されてしまうというわけだ。
完全にネガティブに捉えられるのが支離滅裂だが、この支離滅裂と似て非なる概念がある。
それが、ピボットだ。
日本語にすると、方向転換とでも言うのだろうか。
とりわけ、スタートアップの世界では知られた言葉なのだが、どうやらあまりメジャーな概念ではないようだ。
ということで、stak, Inc. のCEOという立場から、私、植田 振一郎のポジショントークもあるということを前提にピボットについて考えてみようと思う。
点で見る世界と線に繋がる瞬間
Steve Jobs(スティーブ・ジョブズ)という名前を知らないという人、聞いたことがないという人は少ないと思う。
言わずと知れた、Apple(アップル)の創業者なのだが、スティーブ・ジョブズの有明なセリフがある。
You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.
So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
スタンフォード大学の卒業式でのスピーチで有名になったセリフだが、日本語にするとこんなところだ。
点と点を、前を見て繋げることはできません。
それらは振り返って初めて繋がるのです。
だから、どうにか未来で点と点がつながると信じるしかないのです。
これでもあまりピンとこない人のために概説すると、この言葉は、人生の経験が後から見て初めて意味をなすという考えを表している。
つまり、現時点では理解できないかもしれない出来事や経験が、後になって大きな意味を持つ可能性があるということだ。
そして、私は支離滅裂とピボットの関係は、とても似ていると考えている。
ピボットと支離滅裂の微妙な違い
それでは、なぜピボットと支離滅裂が似て非なるものと考えているのか。
その答えは、見方による。
見方1つで状況が180度変わるという、まさにピボットそのものの考え方だ。
支離滅裂とは、ばらばらでまとまりがなく、筋道が立っていない様子をいう。
ただ、これはあくまで「外から見たとき」の視点だ。
そこには複数の「点」が散在しているように見え、それらが結びつく線は見えない。
だからこそ、支離滅裂と呼ばれる。
一方で、ピボットとは、方向転換。
これは「内側から見たとき」の視点だ。
目的地は同じでも、道筋を変える。
その時々の状況や情報を元に最善の道を選び、行動を修正していく。
それが、まさにピボットだ。
ところが、そのプロセスは外から見ると一貫性が無いように見え、支離滅裂と誤解されることもある。
だからこそ、ピボットと支離滅裂は表裏一体であり、見方一つで解釈が変わると主張している。
ピボットの重要性
私自身、stak, Inc.のCEOとして、いやそれ以前にも何度もピボットを経験してきた。
当初考えていた事業計画が上手くいかなかったときなんていくらでもあるというか、そういうものだ。
そんなときは、必ず新たな情報や経験をもとに方向転換をすることになる。
そんな方向転換をたくさん経験していると、初めはばらばらに見えた点と点が、振り返ってみると繋がっていることに気がつく瞬間がある。
上述したスティーブ・ジョブズの言葉のこの部分だ。
点と点を、前を見て繋げることはできません。
それらは振り返って初めて繋がるのです。
だから、どうにか未来で点と点がつながると信じるしかないのです。
この言葉はまさに、ピボットという行為そのものを表している。
そう考えれば、支離滅裂と思われる行動も、実は方向転換としてのピボットであり、それが成功へと導く未来の「点」と「点」を繋げる1つの経験であると捉えることができる。
くり返しになるが、私が起業してからの道のりは決して一直線ではなく、その過程で何度もピボットを経験した。
私の場合、いきなり上手くいくことなどないだろうという思考がどこかにあったので、その都度、新たな視点を得て、新たな方向性を見つけてきた。
周りの人からすると一見支離滅裂に見える行動も、後から見れば必要な経験だったと自分が気づく瞬間が生まれる。
その経験こそが、未来の「点」と「点」を繋げる糸だったということが明確になるのだ。
そして、その経験こそが私自身を形成している。
ピボットにおいて重要なマインド
ここまで書いていくと、私自身は支離滅裂なことを言っていないと言い訳しているようにも聞こえる。
なにが言いたいのかというと、私と関わった人の中には、当然あいつは支離滅裂だと思った人もいるわけで、そういった人たちにそうではないと弁明しているように聞こえるということだ。
そこで重要になるのは、そういった人がやり遂げたいと強く願っていることがあって、その目標や目的を達成するために動き続けている人なのかということだ。
おそらく、支離滅裂だと切り捨ててしまう人は、目標や目的が明確ではなかったり、目先のことしか見えていない人の場合が多いはずだ。
つまり、なんとなく日々を過ごしているだけの人が圧倒的に多い。
私の周りにもそういう人たちは少なからずいる。
会社や組織に属している人であっても、フリーランスで起業したからといって、その人に強い信念があるとは限らない。
簡単な指標は、何年も同じことをやっているという人だ。
そして、その割にはなにも成長していないという人はゴロゴロいる。
そういった人たちに支離滅裂とピボットの差を説いたとしても、きっと刺さることはないだろうということを述べている。
もっと言うと、そういう人たちは自然と離れていくか、私自身が付き合わないようになる。
私からすると、そういった人たちの方こそが支離滅裂だというわけだ。
まとめ
何度も同じことを書くが、ピボットとは支離滅裂とは違い、方向転換を意味する。
そして、その方向転換は、必ずしも1つの失敗を意味するものではなく、新たな道へと進む勇気ともいえる。
自分を信じてその道を歩むことで、初めて「点」が「線」に繋がる。
だから、ピボットを恐れてはいけないというよりも、積極的にピボットすればいい。
自分が進むべき道を照らす「点」を探し、それらを信じて前に進むことが大切だということだ。
そして、そのピボットが結果としてなにをもたらすのかは、ピボットした時点では誰にもわからない。
ただ、スティーブ・ジョブズの言葉にあるように、その点と点が後から見て初めて繋がる。
私はstak, Inc.のCEOとして、これからも最善の判断を瞬時に下し、必要とあらば方向転換を恐れずに進んでいくだろう。
時にはそれが外から見て支離滅裂に見えるかもしれない。
でも、私はその過程で得た経験が、後から見て初めて繋がる「点」であると信じている。
この視点を持つことで、私は新たな挑戦に臆することなく取り組むことができるし、その結果として新たな可能性を見つけることができる。
ピボット幾度も経験していると、線になるんだという瞬間に出会うのだが、こればかりは時間が経たないとわからない感覚かもしれない。
とはいえ、その経験を通じて得られる新たな視点、新たな方向性は、自分自身が成長し続けるために不可欠だと思っている。
まとまりのない、ばらばらな点と点が繋がり、新たな形を造り上げる。
それこそが、クリエイティブなことをしていく上で、エンタメに繋げていこうとするのであれば重要な礎だということだ。
世の中の変化のスピードは本当にはやい。
次々に新たなテクノロジーやサービスが生まれては消えていく。
その流れは、AIの台頭で更に加速する。
となれば、それだけピボットする機会も増えるということを理解し、アドリブ力を磨くことにプライオリティを置く人が少しでも増えることを願っている。
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