残忍酷薄(ざんにんこくはく)
→ 無慈悲で他者に対する思いやりが全くない人。
思いやりとは一体なんなのだろうか。
日本人の特性として、空気を読むことを長所として挙げることはしばしばある。
ただ、その空気を読むという行為は、行き過ぎると忖度という言葉に置き換わる。
そして、この忖度という言葉は安倍晋三元首相が、現役の首相だった時代に国民に浸透した言葉ではないだろうか。
思いやりを持つことは大切で、物事を円滑に進める上で需要な概念だが、出し方と使い方は要注意だ。
なによりも、思いやりという概念は個々によって感覚に依存し大きく異なるため、根本を間違えないようにしたい。
その根本とは、相手の意図を最大限織り込んで実行することが思いやりで、押しつけや思い違いは逆に損失を生むということだ。
ということで、私の考える思いやりについて書いていこう。
優しさと思いやりの違い
優しさと思いやりを混同している人がいる。
この2つの概念は、似て非なるものであるということをしっかりと主張しておきたい。
意味を調べたら、そこにはいろいろと出てくるが、簡単にまとめると下記のとおりだ。
まず、優しさとは、その人が生まれ持った感情や育った環境に依存するものだ。
そして、思いやりとは、誰かになにかをしようとしたときに生まれる感情に依存するものだ。
つまり、優しさは相手がいなくても成立するものであるのに対して、思いやりは相手がいないと成立しないものということになる。
裏を返せば、相手の人のことをしっかり考えること、考えようとすることが思いやりなので、優しさが備わっていなくても、思いやりは成立するということだ。
とどのつまり、優しさが根本にある上で、思いやりがあるのが最上ということになるわけだ。
ということで、優しさと思いやりをより因数分解したときのメリットとデメリットを書いてみよう。
優しさのメリットとデメリット
まず、優しさについてだが、上述したように、優しさは生まれ持った感情や育った環境に依存するものだ。
ということは、優しい人は相手の事を否定せずに肯定し続けるため、相手の人からは共感されやすくなる。
その結果、どんな相手とも距離を縮めるには効果的で、自分自身の価値も自ずと上がっていくので、いわゆる好感度が高い人となる傾向が強い。
一方で、優しさには具体性がない場合も多い。
つまり、共感はできても、具体的な対応策や提案ができないため、相手に対してのアドバイスのようなことはできないことが多い。
思いやりのメリットとデメリット
それから、思いやりについてだが、優しさのデメリットがメリットになる。
なにが言いたいのかというと、相手の人のためになる言動ができるので、具体的にどうすればいいのか提案ができる。
相手のことを考えての提案なので、そこには当然、良いことも悪いことも含まれていることになる。
ということは、その提案が相手に刺されば、自分自身の信用や信頼という価値が上がっていくのである。
ただし、この提案が諸刃の剣であることがデメリットになる。
相手に上手く受け入れてもらえればいいが、全く刺さらないということもあるだろう。
優しさよりも思いやりのある人の価値
ここまでで優しさと思いやりについては理解してもらえたと思う。
そして、ここからはさらに私の持論を展開していこう。
極論をいうと、優しさは要らない。
というか、人生経験が浅いうちや自分自身に余裕がないうちには、優しさというものを意識しても意味がない。
何度もくり返しになるが、優しさはその人が生まれ持った感情や育った環境に依存するものだ。
ということは、優しさは意識して生まれるものではなく、自然と身につくものという感覚だ。
一方で、思いやりはコントロールすることができる。
なぜなら、優しさは普遍的なものに対して、思いやりは個別な対象があるからである。
それから、優しさは一定のものだが、思いやりは姿かたちを変えることができる。
それは例え同じ人が対象だったとしても、状況に応じて変化させることができるということがポイントで、思いやりを巧みに操れる人にこそ価値があるというわけだ。
良いことばかりではない思いやり
使い回された言い方になってしまうが、思いやりは良いことばかりを言うことではないし、良いことばかり立ち振る舞うことでもない。
相手が求めていることを瞬時に理解して、その結果を導くために言動を行うことが思いやりの本質である。
となると、瞬間的には相手にとって求めていない行いになってしまうことも往々にしてあるということを理解しておく必要がある。
なんでも受け入れて、その人の言いなりになっていたのではただの八方美人だし、そういう人は最初は近くに置かれたとしても長続きはしない。
結局、その人には中身がなにもない人だという判断をされてしまうからである。
本当にその人のことを思うのであれば、いや想うのであれば、ときには厳しいことも辛辣なこともできる人でなければいけない。
それが本当の思いやりであり、生涯続く関係となる礎になる。
裏を返せば、耳の痛いことを言ってくれたり、厳しい態度をとってくれる人を簡単に拒絶してはいけない。
もちろん、なにも考えずに感情のままにそういう態度を取る人もいるので、そういった人は後から避けていけばいい。
ただ、熱量を持って接してくれている人まで離してしまっては、もったいないということだ。
短い人生において、熱量を持って接してくれる人の数は限られると思った方がいい。
そんな貴重な人をみすみす逃してはいけない。
そのためには、自分自身が思いやりを使いこなせる人にならなければいけないということだ。
思いやりのある人になるために鍛えるべき能力
それでは、思いやりを上手く操ることができる人になるためにはどうすればいいのか。
答えは簡単で、アドリブ力を鍛えることだ。
このアドリブ力というのは、営業能力、コミュニケーション能力、プレゼン能力、PR能力、恋愛能力などなど、様々な能力の総括として私が勝手に使っている言葉だ。
アドリブ力とは、いついかなるときにどんな場面に放り出されても、その場を上手く切り抜ける能力といったところだろうか。
その力をとにかく鍛えることが重要で、それは思いやりにも結びつくと断言できる。
そして、そんなアドリブ力を鍛えていくためには、とにかく場数を踏むことが重要だと考えている。
そのために重要なことはノリの良さで、やったことがないことでも積極的にとにかくやってみることだ。
そんな中で自分の得意な分野と苦手な分野が明確になっていく。
ここで大切なことは、苦手分野を克服する時間があったら、得意分野を伸ばすことに時間とお金を費やすということだ。
自分にとっては苦手分野であっても、他の人からすると得意分野となることが世の常だ。
であれば、自分の得意分野をとにかく伸ばすことで価値を生んだ方がいいというわけだ。
それから、その得意分野を軸としてアドリブ力を構成していくことが実に効率的だということである。
どんな分野においても勝てるという人などこの世にいない。
となると、自分が圧倒して勝てる分野で勝っていくことが重要なのである。
そのときの鍵になるのが、得意分野を軸としたアドリブ力であることを改めて主張しておきたい。
まとめ
優しさと思いやりについて書いてきたが、いかがだろうか。
少しでも私の意見に同感してくれるのであれば、是非アドリブ力を磨くことを心がけて欲しいと思う。
ひいては、それが思いやりに繋がるという持論を持っており、思いやりとは相手の気持ちが理解できなければ発動されない。
そして、空振ることも往々にしてある。
でも、そんな思いやりだからこそ、その人の個性が重要視され、多様性にも順応することができ、何度も関係値を築き上げることができるものでもある。
そこに優しさを兼ね揃えることができるようになれば、最強だということも上述したとおりだ。
あなたにとっての思いやりという価値、アドリブ力というものをしっかりと育ててもらいたいと心から願っている。
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