国歩艱難(こくほかんなん)
→ 国勢が振るわず、国の前途が危ういこと。
私は今、日本という国で生活をしている。
日本という国がいつからあるのかということに関しては諸説あるが、その歴史はそれなりに長いことは義務教育で日本史や世界史を学んでいるので知っていることだろう。
そして、世界最古の王家は日本の皇室という史実について、以前書いているので、興味のある人はこちらのブログも是非読んでもらいたい。
そして、時代の折々に幕府というものが存在し、2022年の現代には存在しない将軍というポジションの人がいたことも史実だ。
将軍という言葉を耳にして、最初に思い浮かべるのは、江戸時代に君臨した徳川幕府を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。
その最後の15代将軍となった徳川慶喜についても以前書いているので、興味のある人はこちらのブログも覗いてみて欲しい。
徳川慶喜のイメージとは違う意外な史実をしることができるはずだ。
国を築くということは、皇室や幕府などと密接に関わり、国勢が振るわず、国の前途が危うくなるのもそういった勢力が影響している。
ということで、今回は歴代の将軍というポジションについてスポットを当ててみよう。
日本史に登場する歴代将軍一覧
日本で最初の幕府となったのは鎌倉幕府だ。
その鎌倉幕府の時代は短く、3代くらいで終わったと記憶している人も多いのではないだろうか。
実は9代まで続いているという史実をお届けしよう。
鎌倉幕府
- 源 頼朝(みなもとのよりとも):1192〜1199年
- 源 頼家(みなもとのよりいえ):1202〜1203年
- 源 実朝(みなもとのさねとも):1203〜1219年
- 藤原 頼経(ふじわらのよりつね):1226〜1244年
- 藤原 頼嗣(ふじわらのよりつぐ):1244〜1252年
- 宗尊親王(むねたかしんのう):1252〜1266年
- 惟康親王(これやすしんのう):1266〜1289年
- 久明親王(ひさあきらしんのう):1289〜1308年
- 守邦親王(もりくにしんのう):1308〜1333年
これが鎌倉幕府の9代までの将軍だ。
そして、鎌倉時代が終わって次に幕府をつくったのが足利家だ。
室町幕府にいた将軍はどんな人物だったのか、列挙していこう。
室町幕府
- 足利 尊氏(あしかがたかうじ):1338〜1358年
- 足利 義詮(あしかがよしあきら):1358〜1367年
- 足利 義満(あしかがよしみつ):1368〜1394年
- 足利 義持(あしかがよしもち):1394〜1423年
- 足利 義量(あしかがよしかず):1423〜1425年
- 足利 義教(あしかがよしのり):1429〜1441年
- 足利 義勝(あしかがよしかつ):1442〜1443年
- 足利 義政(あしかがよしまさ):1449〜1473年
- 足利 義尚(あしかがよしひさ):1473〜1489年
- 足利 義稙(あしかがよしたね):1490〜1493年
- 足利 義澄(あしかがよしずみ):1494〜1508年
- 足利 義稙(あしかがよしたね):1508〜1521年
- 足利 義晴(あしかがよしはる):1521〜1546年
- 足利 義輝(あしかがよしてる):1546〜1565年
- 足利 義栄(あしかがよしひで):1568〜1568年
- 足利 義昭(あしかがよしあき):1568〜1573年
私の中では江戸時代を築いた徳川幕府が最長だと記憶していたのだが、室町幕府は第16代将軍まで続いていたのだと知ることができた。
そして、2つほど注目したところがある。
1つ目は、第10代将軍の足利 義稙(あしかがよしたね)だが、第12代にも同じ名前が連なっているということだ。
初めて聞いた将軍だが、少し調べてみると、第10代将軍の在職後、約13年半の逃亡生活を送っていたそうだ。
その後、第12代将軍として返り咲いているわけだが、これは鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府の中で唯一、将軍職を再任されているという経歴になる。
なぜ、こんな人物の名を日本史では全く聞くことがなかったのだろうか。
と思って多少ググってみたが、確かに特筆すべき事項はあまりないのかなということに落ち着いた。
とはいえ、唯一無二の将軍職を再任された人物だということなので、なにかあるかもしれない。
こちらは、時間のあるときにもう少し深堀りしてみようと思う。
室町幕府を見ていて、もう1つ気になったところは、第2代将軍の足利 義詮(あしかがよしあきら)以降、ずっと「義」の字が名前の上についているということだ。
まあ、漢字の組み合わせなど千変万化なので無数に生み出すことができるとはいえ、なかなかのボリームだ。
そして、第16代まで将軍職が続いたという意味では、3つの幕府の中で最も将軍職が長く続いたという見方ができるが、足利 義稙が2回将軍になっていることから、人数は同数の15人となることも覚えておきたい。
江戸幕府
最後に紹介するのが、最も多くの人に認知されているであろう徳川家についてだ。
江戸幕府で将軍に就いた人物を挙げるようにいわれたとして、多くの人が数人は列挙できるのではないだろうか。
ということで、第15代まで続いた徳川幕府について書いていこう。
- 徳川 家康(とくがわいえやす):1603〜1605年
- 徳川 秀忠(とくがわひでただ):1605〜1623年
- 徳川 家光(とくがわいえみつ):1623〜1651年
- 徳川 家綱(とくがわいえつな):1651〜1680年
- 徳川 綱吉(とくがわつなよし):1680〜1709年
- 徳川 家宣(とくがわいえのぶ):1709〜1712年
- 徳川 家継(とくがわいえつぐ):1713〜1716年
- 徳川 吉宗(とくがわよしむね):1716〜1745年
- 徳川 家重(とくがわいえしげ):1745〜1760年
- 徳川 家治(とくがわいえはる):1760〜1786年
- 徳川 家斉(とくがわいえなり):1787〜1837年
- 徳川 家慶(とくがわいえよし):1837〜1853年
- 徳川 家定(とくがわいえさだ):1853〜1858年
- 徳川 家茂(とくがわいえもち):1858〜1866年
- 徳川 慶喜(とくがわよしのぶ):1866〜1867年
こうやって徳川幕府の将軍たちを書き出していくと、鎌倉幕府、室町幕府と大きく異なる点が見えてくる。
それは、ほぼ間が空くことなく次の将軍に世代交代がなされているということだ。
世襲していくということは、当然子孫を残していかなければいけないわけで、血統にこだわりが生まれるのは必然だろう。
そこをここまでキレイに紡いでいくことができるあたりも江戸幕府がいかに強固な体制で成り立っていたかがわかるのではないだろうか。
そして、関ヶ原の戦いで勝利して江戸幕府を開いた徳川家康だが、実は2年という短い間しか将軍として君臨していなかったということも、どこか世の無常を感じてしまうのは私だけだろうか。
まとめ
余談だが、広島には徳川家の徳川の名字を取った、徳川というお好み焼きのチェーン店がある。
もう随分と訪れていないが、お好み焼きなら徳川へというTVCMは広島人であれば、一度は目にしたことがあり、耳に残っているCMだと思う。
メニューが将軍の名前になっていて、それぞれトッピングが異なり自分で焼くというスタンスのお店なのだが、広島に住んでいる人なら訪れたことがある飲食店だろう。
幼心に広島と全く縁のない徳川家を使っているのか理解できなかったが、それは今でも変わらない。
広島が推すとすれば、毛利家だろうという気持ちが今でもある。
まあ、そんなことはどうでもいいが、世襲で国を仕切るということは15代くらいが限界だということが、歴史が証明しているということだろう。
そして、もう1つ蛇足だが、その昔、徳川家の将軍の名前を暗記している友人がいた。
その友人の覚え方は、かたつむりの歌に合わせて暗記していくというものだった。
で〜んでん む〜しむし か〜たつむり〜のメロディに合わせていけば覚えられるという感じだったが、いまいち思い出せない。
そんな遠い記憶も歴代将軍を調べたことでフラッシュバックしたことも添えておこう。
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