光風霽月(こうふうせいげつ)
→ 心が清らかでわだかまりがないこと。
心が清らかでわだかまりがないということは、心が整っているという状態だろう。
この整うという言葉がすっかり定着した感じがある。
その言葉が使われる際に、必ずセットで出てくるのがサウナだ。
全国のサウナの名店を巡礼する熱狂的な愛好家をサウナーと呼ぶことも定着しつつある。
ということで、私自身は全くといっていいほど興味のないサウナについて調べてみることで考え方が変わるのか確かめてみよう。
サウナの起源と発祥の地
タイトルにもしてあるが、サウナの起源は2000年以上前に遡る。
そんなサウナの発祥の地は北欧の国である、フィンランドのカレリア地方だといわれている。
フィンランドでは昔からサウナは神聖な場所として使われてきたという経緯がある。
というのも、もともとサウナは食料を貯蔵したり、スモークするための小屋だったということに由来している。
それが、いつの間にか、沐浴をする場所へと変遷していったのである。
とはいえ、フィンランドには日本のようにお風呂に入る習慣はないので、そのあたりは日本のサウナのイメージとは少々異なるものだと思った方がいいだろう。
いずれにせよ、フィンランドの白夜の夏と厳しい冬の風土の中で、人々の健康に欠かせないカルチャーといて進化したしたのがサウナなのである。
そして、現在のフィンランドには、200万ものサウナが存在するといわれている。
200万のサウナが戸建て住宅、マンション、会社、役所、プール、夏の別荘、ヨット、BARなどなど、ありとあらゆる場所に設置されており、なんと国会議事堂の中にもあるという。
現代のサウナのほとんどが電気式のサウナだが、旧式のスモークサウナ、110度の高熱のサウナ、移動式サウナなど様々なタイプのサウナがあるのも特徴だ。
伝統的なサウナの方法
サウナーには釈迦に説法だが、ロウリュという伝統的なサウナの方法がある。
熱く焼けた石の上に水をかけて蒸気を発生させる方法をロウリュというのだが、この方法もフィンランドが発祥だとされている。
そんなロウリュは、一般的に入浴者自身がヒーターに水を掛けることを意味しており、入浴者は湿気をつくり、経験する熱を増やすためにというわけだ。
また、ロウリュには精神的な意味合いもあるといわれている。
まるで石に話しかけるように水をかける行為から蒸気が立ち上がると、石が入浴者たちになにかを訴えかけているように錯覚する。
入浴者たちはそれを自然と聞き入れ、そして熱に身を任せる。
この一連の流れがまるでマッサージを受けているようで、自身がリラックスするというわけだ。
決して戦っているわけではなく、どこか日本の茶道や柔道のように心を整える、これをサウナーたちは、ロウリュ道と呼ぶのである。
日本の茶道では、おもてなしの精神やわびさびを大切にし、茶道具との交流などの精神性が必要だといわれている。
そのマインドと同様に、フィンランドのロウリュも道具に対する時の心構えや精神性が重要視されているというわけだ。
日本のサウナの歴史
それでは、日本においてのサウナの歴史はどうなのか。
サウナの発祥地はフィンランドだと上述したが、実はこれは狭義のサウナを指すという言い方もできる。
広義のサウナは、蒸気浴全般を指し、日本にも長い蒸気浴の歴史がある。
長いだけでなく、日本人の入浴の歴史は蒸気浴が中心で、昨今のサウナがブームが起きているのも、その下地は古代から日本人のDNAに刻み込まれているのかもしれない。
蒸気浴といっても、いまいちピンとこないかもしれないので、その種類を整理していこう。
- 沐浴:沐が髪を洗うこと、浴が身体を洗うことで髪と身体を洗うこと
- 蒸気浴:蒸し風呂など、蒸気を使った入浴法
- 温湯浴:湯舟に満たした温かい湯に入る入浴法。
- 風呂:自然にできた洞窟や人間が掘削した洞窟を意味する、室(ムロ)に由来
- 湯:温湯浴する施設のこと
日本のカルチャーとして定着している風呂は、もともと蒸し風呂などの蒸気浴するところを指す言葉だった。
そして、古代から温泉に入る温泉浴や水浴びは行われていた。
一方で、人が手を加えた入浴方法は蒸気浴を中心に発展していき、近世前半が蒸気浴(蒸し風呂)から温湯浴(湯風呂)への移行期といえる。
日本の沐浴史
ということで、沐浴史をもう少し深堀りしてみよう。
古代(~奈良時代)
自然の洞窟などを利用した蒸気浴は古くから行われており、次第に設備として蒸し風呂が作られるようになった。
寺院に作られた浴堂が記録に残っているものとしてもある。
寺院の資料に、温室や温室院という言葉があり、当時使われていた釜の記録などが残っているところもある。
その温室や温室院という言葉からは蒸気浴などの発汗浴であったと推察されていまる。
また、この時代は、お湯をたっぷりはって浸かっていたとは考えにくく、取り湯式という掛け湯のような入浴方法か、釜の中で焼き石などに水をかける蒸気浴であったとされている。
中古(平安時代)
平安時代には、御湯舎や湯屋という言葉が文献に登場している。
これらがどのような形式のものだったか明記されていないのだが、湯がつくといっても、この時代に現代のように湯をためていたとは考えにくく、蒸気浴の可能性が高いとされている。
平安時代末期には、風炉という言葉が文献に見られるようになり、この風炉は蒸し風呂形式だったと考えられている。
風炉という言葉が出てくる文献から、屋形を構えた蒸気浴施設がこの頃から登場してきたと推察されている。
中世(鎌倉時代 ~ 室町時代)
中世になると、貴族の日記や寺院の記録や絵巻物の絵からも人々が蒸気浴をしていたことがわかる。
貴族の日記から、町に風呂屋があったことも読み取れる。
また、寺院の浴堂は、浴室に置いた釜の中で蒸気を立てる形式ではなく、外の釜から浴室に蒸気を送り込む形であったことが絵巻物の絵などからわかる。
病人や貧しい人に浴堂を解放する、施浴も盛んになり、庶民も寺院で蒸気浴する習慣が生まれたともされている。
近世前半(安土桃山時代 ~ 江戸時代前期)
近世前半は、蒸し風呂から湯風呂への移行期だといえる。
日本の入浴文化の構図は、西日本が蒸気浴優勢、東日本が温泉浴優勢となっていた。
この時期、政治権力が西から東へと移るにつれて蒸気浴が衰え、湯風呂の温湯浴が広がって行ったと考えられている。
板風呂、戸棚風呂、石榴風呂などの蒸気浴浴室、半蒸気浴浴室が登場して利用される一方で、据え風呂という温湯浴用の移動式風呂桶も登場している。
近世後半(江戸時代中期 ~ 後期)
江戸時代中期から後期になると、石榴風呂も変わっていく。
蒸気を立てるためにはっていた湯の量が次第に増えていき、最終的には入口の板の奥に湯舟が置かれるようになる。
据え風呂も、鉄砲風呂や五右衛門風呂に変わっていくと、いよいよ温湯浴が主流になっていく。
近代(明治 ~ 現代)
近代になると、石榴風呂が衛生上および風紀上の理由から禁止され、改良風呂という今の銭湯の先駆けの風呂が登場する。
ここで完全に蒸気浴とは決別し、入浴は基本的に温湯浴になり、蒸気浴は例外的な入浴法になっていくのである。
まとめ
このように、日本の沐浴の歴史は長い間蒸気浴が中心だった。
そして、半分蒸気浴、半分温湯浴の時代を経て、現代の温湯浴中心の習慣になったのである。
日本人にとっての沐浴は長い間蒸気浴、つまり広義のサウナだったといえる。
ちなみに、現代のイメージするサウナが日本に最初にできたのは、1957年(昭和32年)だといわれている。
1957年に銀座にある、東京温泉という温浴施設の中に、日本式のサウナ風呂が設置された。
温度は80度前後で、壁だけでなく床にも配管が通っているため、熱すぎて裸足で歩くのは難しかったといわれている。
その後、1964年の東京オリンピック後に第1次サウナブームが訪れ、1990年代の温浴業界は健康センター、スーパー銭湯ブームで、ここが第2次サウナブームとされている。
2000年代には銭湯のリニューアルオープンが相次ぎ、2022年現在、第3次サウナブームが到来しているといったところだ。
日本全国で様々なサウナ施設が登場していて、この第3次サウナブームがいつまで続くかは不明だが、日本人にとって風呂と密接にあるサウナの歴史は途絶えることはないだろう。
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