君側之悪(くんそくのあく)
→ 君主の側にいる悪人。
虎の威を借る狐という似たような言葉がある。
権力や権勢のある人の力に頼って威張る小人の例えである。
虎の威を借る狐の出典は、中国の戦国策(楚策)で、下記の故事に由来する。
トラに捕らえられたキツネはこう言った。
私は神様から百獣の長になるよう命ぜられたから、食べたら罰が当たるぞ。
嘘だと思うならついてきなさいと。
トラがキツネの後ろについて行くと、他の動物たちはキツネの後ろにいるトラを見て、次から次へと逃げ出した。
それを見たトラは、動物たちがキツネを恐れて逃げたのだと思い込み、キツネの話を信じたという。
この故事から、権力や権威のある人に頼って威張る人を、虎の威を借る狐というようになったというわけだ。
虎の威を借る狐は悪なのかについて考える
では、この虎の威を借る狐は悪なのだろうか。
おそらくだが、多くの人はキツネに対してネガティブな印象を持っていると思う。
強者の力を利用した小狡い、卑怯だという目でキツネを見てしまう人が大半なのではないだろうか。
かくいう私も、かつてはそういう印象を持っていた。
ただ、社会人になってからこの印象は大きく変わった。
あえて名前は伏せさせてもらうが、とある出来事がそうさせている。
それは、とある交渉の場面で一緒にいた人の言動だった。
誤解なきように書いておくが、その人はとても仕事ができる。
といっても、そのことを理解するまでは、少々時間がかかった。
というのも、どの交渉の場面でも、非常に謙遜して興味を持ってもらっていざ契約という場面が近づくにつれても、その態度は一貫しているのだ。
もちろん、自分たちは契約してもらう立場なので、ある程度は不利な条件を飲まざるを得ない場面はある。
それは理解できるのだが、正直その人のあからさまな謙る態度や言動が、格好悪いとすら思っていた。
大きな力に対していつも屈して、頭をペコペコ下げているだけじゃないかと、若かりし頃の私はどこかで感じていたように思う。
そんなことを感じながら、その人とは結構な数の交渉の場を共にした。
交渉の場を重ねることで気づいたこと
もちろん、全ての交渉の場で同じ言動を行うことはないのだが、基本的な形があった。
その根本にあるものは、1円でもいいので協力をお願いしますというスタンスだ。
実際はお金のことではないことも多く、ほんの少しでもいいから、協力をしていただけないかということである。
くり返しになるが、この交渉が始まると、また始まったと思う私がいた。
それも、一緒にいるとケチ臭くてイヤだという感情があったことは素直に認めておこう。
もっとズバッと強気で交渉ばかりすればいいのにという感情があった。
ただ、この考え方は少しずつ変わっていくことになる。
それは、私が交渉しても成立しないという案件がいくつか続いたときのことだった。
そんなとき、どうしても決めたい案件があって、その契約が上手く進んでいなかったときのことだ。
自身をなくしていた私は、恥ずかしながら私の力ではどうにもならないと、その人に相談することにした。
すると、その人は快く交渉の場に同行してもらうことを引き受けてくれた。
そして、数往復のやり取りを経て、契約をfixまで持っていってくれた。
こんな場面を目の当たりにして、この違いはなんなのだろうかと、考えない人はいないだろう。
自分よりもその人の方が交渉力があることは明確なわけで、私自身の完敗なわけだ。
大きな力に対する考え方
私は契約を成立してもらったその交渉で、その人が行ったことを分析することにした。
その結果、やはりいつもと同様に基本的には謙遜して、下から下から入っていったということは明らかで、少しずつ少しずつ距離を詰めていったことに気づいた。
ただ、なにが決定的に違うのかがわからず、食事に誘うことにした。
私は正直に、なぜ自分では交渉成立までもっていけなかったのか、やり方がとても上手だとは思えず、むしろ格好悪いとすら思うことも多々あることを打ち明けた。
その人は、笑いながら答えてくれた。
めちゃめちゃ上手くいってて、富も権力もある人を助けようと思うか?と。
私には力がないから、ほんの少しでも協力してくださいと言われ続けたら、ちょっとは協力してあげようと思ってしまうだろうというのだ。
この、あげようという気持ちを持たせることが重要なのだという。
協力した側の人間は、力を貸したという優越感や達成感を得られることが、単純に気持ちよくなる。
一方で、力を貸してもらった側は、自分の進みたい方向のものを手に入れたわけで、それがいくら小さくても積み重ねていけば大きくなる。
そして、気づけばその力が強大になっているというわけだ。
イーブン・ア・ペニー・テクニック
後々知ることになるのだが、この交渉術をイーブン・ア・ペニー・テクニックという。
誰にでもできる小さな願いごとをすることで、要求を通すというテクニックのことである。
例えば、募金をお願いする際に、1円でもいいのでご協力をとお願いする。
このテクニックの魅力は、自分でも協力してあげれらると関心を持ってもらえること、もう少し協力してあげたいと思わせられることの2つだ。
先ほどの募金の例だと、実際に1円だけ寄付する人は少なく、要求以上の額を寄付する方が大半になるわけだ。
この交渉はなにも金銭面の部分だけではない。
1分ほどお時間いただけませんか?とか、1つだけいただけませんか?といった日常生活内にも使用できるシーンは多数ある。
この派生を上手く使えば、気がつけば自分優位な状況に立っているということになるのだ。
様々な交渉術
その人からは他にも様々な交渉術、細かいテクニックを教わった。
ドア・イン・ザ・フェイスという交渉術は未だに頻繁に使うテクニックだ。
本来自分が希望している水準よりも、大幅に低い、あるいは高い水準から話を切り出すというものだ。
例えば、なにかを購入するときの値引き交渉で値引きしてもらいたい場合に、値引きしてもらいたい額の何倍もの値引きをまずぶつける。
要求が膨大すぎて当然拒否されることがほとんどだが、そこから少しずつ要求水準を下げていくことで、目標とする水準を勝ち取ることができるというものだ。
感の鋭い人ならいくらでも他の事例が出てくると思うが、これも当然購入するとき以外にも様々な場面で使えるテクニックである。
それ以外にも多くのテクニックがあるので、少しずつ紹介していくとしよう。
まとめ
本題に戻ろう。
虎の威を借る狐のキツネは本当に小賢しく、力がないのだろうか。
確かに本当になにも考えずに力のある人についていっているだけという人もいるので、全てのキツネが当てはまるとはいえない。
けれども、演じているキツネはむしろ優秀だという話だ。
その見方も立場によって大きく変わってくるということだ。
なにも考えていない人からみたキツネは、ただただ強者に媚びを売っているだけだと思ってしまうということである。
若かりし頃の私がまさにそれで、そんなキツネになりたくはないとすら思っていたわけだ。
ただ、自分の力がないことを素直に認めたときに、キツネの裏側を知ることができるのである。
最後に最も重要なことを書いておくとしよう。
キツネになるためには、小さなプライドを捨て去ることだ。
交渉が上手くいかない、コミュニケーションが上手く取れないという人がいたとしたら、それはあなたに小さなプライドがあるからだ。
そのプライドには、失敗したらどうしようとか、相手にされなかったら恥ずかしいとかそういったものも含んでいる。
どうせあなたのことなど誰も気にしていないし、なにかあってもすぐに忘れ去られる。
小さなプライドを捨てると見える世界が変わってくる。
少なからず、私はその経験をしていて、違う世界を見れたことを誇りに思う。
【Twitterのフォローをお願いします】