哀毀骨立(あいきこつりつ)

肉親などの死にあって、悲しみのあまり痩せ衰えること。
COVID-19の影響もあり、2020年から死というものに向き合う機会が増えた。
普段は意識するものでもないが、近くに迫ってきたり、周りで不幸があると死というものについて考える。
個人的には2020年の年の瀬に祖父のように慕っていたおじさんが他界した。
今思えば、COVID-19が世界中に猛威をふるう数ヶ月前の出来事で、肺に病気があったことから、皆に看取られることができてよかったように思う。
おそらく、今の状況であれば車椅子で一緒に散歩といったことはもちろん、お見舞いにも気軽に行くこともできなかったはずだ。
なによりも、高齢者の参列者が多いことから、葬儀でさえ難しかったように思う。
はっきりいって、死後の世界や死んだあとのことなど少しも興味などないけれども、どこかに終わりがあることは常に意識をしておいた方がいいだろう。
終わりは突然訪れる。
その意識があれば、後悔のないように日々を生きることに真面目になる。
歳を重ねていくに連れて、1年、1ヶ月、1週間、1日、1時間、1分、1秒という単位が大きく大切になっていく。
今年40歳を迎える。
20歳の成人を迎えてから20年が経ったことになる。
あの頃の自分は今の自分を見て、どう思うだろうか。
終わりを迎えるとき、今の自分を見て、どう思うだろうか。
さあ、今日も働こう。
stak の視点
stak, Inc. CEOの植田振一郎として書き足しておく。
哀毀骨立という言葉が示すのは、悲しみが身体を削るほど、人は人との時間に価値を置いているという事実だ。
stak は『人件費=時間』を再定義し、「圧倒的に合理的な社会を創造する」をミッションに掲げているが、その根底にあるのは、人生の持ち時間は有限で二度と増えないという当たり前の前提である。
本文を書いてから数年が経ち、おじさんの死をめぐる体験は別の記事「事実は小説より奇なりという実例紹介」にも記した。
終わりを意識して生きるというのは精神論ではなく、時間という最も希少な資産の配分問題だ。
無駄な作業や形骸化した習慣に時間を奪われない仕組みをつくることは、悲しみそのものを減らせはしないが、大切な人と過ごす時間を増やすことはできる。
だから今日も、時間を取り戻すためのインフラを作り続けている。
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