気が合ったり合わなかったりするのは仏教でいう因縁による。
第一印象を変えることはなかなか難しいとか、見た目が重要ということをいわれてきたし、いまだに同様のことをいう人も多い。
確かに清潔感を保つことや不快感を与えないようにすることは大切だと思う。
ただ、持論がある。
いい人というカテゴライズをされると、ずっといい人というカテゴリでいなければいけない。
少し機嫌が悪かったり、ちょっと語気を強めるだけで、その人の印象が一気に変わってしまう。
一方で、ぶっきらぼうだったり、話しかけにくいなと思っていた人に勇気を出して話しかけてみると、実はとても優しかったという印象を持つことがある。
勝手にその人の雰囲気から、自分には合わないと決めつけていただけに、ギャップから一気にいい人へ昇格する。
つまり、前者は減点方式、後者は加点方式なのだ。
一長一短だが、後者の方が上手くいくことが多い気がする。
そして、気の合う、気の合わないはジャンルによって全く異なるということだ。
ゲームは一緒にしても、キャンプは一緒に行かない。
好きなことは人それぞれなので、そんなことは当たり前なのに全部共通しないと気が合うというカテゴリに入れない人が多い。
ひどいときは少しでも自分と違うことに興味を持つと、悪態をつく場合もある。
議論ができない人の特徴はまさにここだ。
自分にとって耳が痛いことをいってくれる人は気が合うというカテゴリに入れた方がいい。
なぜなら、意見をすることはとてもエネルギーを使うことで、その人のためを思ってくれているからだ。
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