試行錯誤(しこうさくご)
→ 試みと失敗をくり返しながら適切な方法を見つけること。
試行錯誤しながらという言葉はよく聞く。
指示を出す側も出される側も、非常に便利なワードなので、使い勝手がいいといったところだろうか。
具体的な指示を出さなくても、試行錯誤しながらやるようにという魔法の言葉で、話の収束が可能になるわけだ。
ただし、本当の試行錯誤するということをやっているのかという話になると、状況は全く異なるのが現実だろう。
安定という名の罠
世の中の大半の人は、安全な場所を好む。
かくいう私も、明らかに命の危険がある場所に飛び込むようなことはしないだろう。
できるだけ安全で平和な場所にいたいという心理は十分に理解することができる。
けれども、この安全と安定を混同しているのが、人間社会だと思っている。
つまり、安定を求めるていくと、その先に安全があると思っている人が多いということである。
結論から言うと、いくら安定を求めたところで、その先は安全ではない。
もっと言うと、安定という言葉の定義はとても曖昧だということだ。
多くの人にとっての安定は、大企業に入ること、公務員になること、資格を1つでも多く取ること、預貯金を増やすことといったところだろう。
ところが、この安定が幻想だということに気がついていないということを指摘している。
私は、stak, Inc. という広島に拠点を置く、ITをベースとした事業を展開しているスタートアップのCEOの植田 振一郎だ。
まあ、大半の人が誰やねんとなるだろうが、そんな小者にもハッキリ言えることがある。
ポジショントークの部分があることは否めないが、それでも主張しておきたいのは、安定を求めるならチャレンジし続けなければいけない。
その先に偶然見つかるのが安定であって、安全な場所なのである。
安定を求める人の思考
日本の教育という大きなジャンルに対して一石を投じる形になるのだが、このことについては再三指摘している。
それは、平均的な人間を生み出すことが根本にあるのが日本の教育だということだ。
できるだけ、レベルの低い人に合わせて寄り添うというスタンスが基本なのだが、いい加減そのやり方が現代社会にはミスマッチだということに気がつかなければならない。
いや、多くの人はおそらく気づいているのだが、それを変えようとしていないことが問題だ。
義務教育で育った人の多くは、高校に進学するというのが未だに王道だ。
でも、どんな高校に行くのかに対しては大して考えもなく、周りも行くから私も行くという人がほとんどだろう。
この傾向は大学進学においても同様のことがいえる。
なんとなく、大学に進学しようという人が大半だということだ。
その先にある、就職活動。
その場面においても、周りが就職活動を始めたから自分もやらないとということで、個性の全くないリクルートを身にまとい、集団で動き出す。
なぜ、こういった思考に対してなにも違和感を覚えない人が多いのか。
その理由は至ってシンプルで、安定を求めるように義務教育で洗脳されているからだ。
人と違うことをしてはいけないということを幼い頃から植えつけられると、そりゃそうなるだろう。
とどのつまり、安定を求めることは思考停止に繋がるというわけだ。
安定という幻想を捨てる勇気
日本の教育を否定的に捉えることが多い私だが、全てが悪いといっているわけではない点は勘違いしてほしくない。
というのも、今の時代にはミスマッチだということを主張している。
第二次世界大戦に敗戦したところから、今の日本の地位を築くまでには日本人の努力があることは素直に認める。
高度成長期という時代をリアルに過ごしていない私が、偉そうに上からいうことではないということも理解している。
けれども、だからこそ先人たちが築いてきたものを、さらに良くしていくことが今を活きている私たちに求められていることだと思っている。
安定を求める時代がかつてはあったし、それは社会を形成する上で十分に機能していたエコシステムだったが、2023年2月現在には当てはまらないということだ。
となると、どうすればいいのか。
その答えは至ってシンプルで、今までは安定を求めることで成り立っていたところが、崩壊しているということを改めて認識すべきだ。
そして、安定とは幻想だということをしっかりと把握した上で、なにをしていくことが成長なのか見極めることだ。
私はこの安定という概念を捨て去ることを勇気だと表現する。
安定を捨てた先にある試行錯誤
上述してきた安定を捨てると、ようやく試行錯誤というフェーズが見えてくる。
というのも、安定を求めるためにやるべきことは、前例がたくさんあるからだ。
くり返しになるが、大企業に入ること、公務員になること、資格を1つでも多く取ること、預貯金を増やすことといった発想が安定の中にあるものだ。
そして、これらは家族、親族、先輩といった人たちが強制をしていないように見えて、実は強いているという環境を生み出している場合が多い。
となると、そこに抗おうとすることすら考えないので、思考するということができない人が多い。
つまり、決められたこと、やるべきことが明確になくなると、なにをしていいのかわからなくなるというわけだ。
そこで、やらないといけなくなるのが、思考すること、つまり試行錯誤していかなければならないのである。
試行錯誤するために最適な場所
優秀なアスリートには、考え尽くされたトレーニングメニューがあるものだ。
テクノロジーの進歩によって、より科学的根拠があるものをメニューに取り込んでいくわけだが、メニューをこなす側とつくる側だと、どちらが難しいかを考えて欲しい。
考えるまでもないかもしれないが、圧倒的に後者だということは理解できるだろう。
実践するよりもメニューをつくる方が思考が必要になる。
そして、その思考にもアップデートが重要だ。
テクノロジーの進歩が著しい中で、10年前のトレーニング方法を現代で実践したとして結果が出るだろうか。
それから、このロジックはなにもアスリートのトレーニングメニューだけが当てはまるわけではない。
ゼロから生み出すという点で共通している場所がある。
それが、スタートアップだ。
聞き慣れないという人には、ベンチャーだと言い換えればピンとくるかもしれない。
そこはまだルールが整っていない場合も多く、見方によっては無法地帯に映るという人もいるかもしれない。
けれども、そこが天国だと感じることができる人もいる。
自分たちが考えたものを着実に形にしていく喜びがそこにはある。
小さな成功体験を積み重ねた先に、チープな言葉では表現できない中毒性のある高揚感がある。
そんな一握りの人にしか経験できない場にたどり着くためには、試行錯誤がいるというわけだ。
逃げ道をつくるのは最期でいいという覚悟
イヤなことがあれば、その場から離れることに関して、私は否定するつもりは毛頭ない。
むしろ、自分が向いていないところでジタバタと無駄な時間を過ごすくらいなら、思い切って環境を変えた方がいいと思っている。
それを逃げだとは思わないし、仮に逃げたとしてもそれも戦略の1つとして理解できる。
ただ、誤解して欲しくないのだが、重要なのはそのタイミングだ。
瞬間の感情で流されていないか、周りの無意味な協調に同調しただけではないか、なによりもやり切った先の結論なのか、逃げ出す前に一度自分に問うて欲しいのである。
そこで、やり切ったと言い切ることができないのであれば、それはただの言い訳だ。
別に言い訳をすること自体が悪いことだとは思わないが、簡単に言い訳をして逃げ道をつくっていくことを当然のスタンスにしてしまうと、ずっと逃げ回る人生を送るようになる。
そういう人は逃げるときも中途半端だ。
本来は、逃げるときも徹底してとことん逃げ切るまで逃げなければならない。
中途半端にしかやり切れない人は、逃げることすらできないということを主張している。
まとめ
人それぞれの考え方があり、私のしてきた主張が聞き入れられないという人もいくらでもいることだろう。
でも、もし共感してくれて、私と一緒に仕事がしてみたいという人がいたら、いつでも連絡をもらいたい。
stak, Inc. ではそういう人と一緒に高みを目指し続けていく。
CEOである私、植田 振一郎の責務の1つは、1人でも多くの人にかけがえのない達成感を味わえる場を生み出すことだ。
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