山高水長(さんこうすいちょう)
→ 人の品性が高潔なことやそのような人の功績や名誉が長く伝えられること。
富と名声を手に入れるという表現がされることがある。
名声は功績や名誉に置き換えられる言葉だといってもいいだろう。
そんな名声、功績、名誉は語り継がれていくことで、尊敬できる人とか憧れの人になっていくというわけだ。
作詞家、エッセイストなど幅広い分野で活躍された永六輔氏の名言に、人間は二度死ぬという言葉がある。
一度目は医学的に死亡が確認されてたとき、そして二度目はその人の存在が忘れられたときだ。
モチベーションが上がる偉人たちの名言集
ということで、2022年の年の瀬に、1年の振り返り、2023年のモチベーションアップに向けて偉人たちの名言を紹介していこう。
もし私がある問題を解決するのに1時間を与えられ、しかもそれが解けるか解けないかで人生が変わるような大問題だとすると、そのうちの55分は自分が正しい問に答えようとしているのかどうかを確認することに費やすだろう。
これは、下記の功績を残した人物の名言だ。
- 特殊相対性理論および一般相対性理論
- 相対性宇宙論
- ブラウン運動の起源を説明する揺動散逸定理
- 光量子仮説による光の粒子と波動の二重性
- 固体比熱理論
- 零点エネルギー
- 半古典型のシュレディンガー方程式
これだけ列挙すればピンとくる人も多いだろうが、アルベルト・アインシュタインの名言だ。
彼は他にも、下記のような名言を残している。
どんな条件であれ、私には確信がある。神は絶対にサイコロを振らない。
失敗したことのない人間というのは、挑戦をしたことのない人間である。
成功者になろうとするな。価値のある者になるべきだ。
弱点は、いずれキャラクターになる。
私は賢いのではない。問題と長く付き合っているだけだ。
アルベルト・アインシュタインは、一度の浪人を経て入学したチューリッヒ連邦工科大学(現在のスイス連邦工科大学)を1900年に卒業した。
その後、家庭教師や臨時教員などで食い繋ぎながら、1902年に移り住んだベルンでスイス特許局技師となり、ようやく安定した職業とともに自分の研究に没頭できるようになる。
その3年後、1905年に彼が立て続けに発表した下記の3本の論文によって、現代物理学の道が開かれた。
- 光の量子論の提唱(1905年3月)
- ブラウン運動に関する発見(1905年5月)
- 特殊相対性理論の構築(1905年6月)
そして、1905年は奇跡の年として語り継がれている。
アインシュタインは生涯を通して世界に対して非常に純粋で強い好奇心を持ち続け、様々な発見と共に従来のものの見方を丸ごと塗りかえるような発見をした。
彼が生み出した理論や計算式は後に続く科学者によってさらに発展して、現代の高度な技術に応用されている。
一方で、女性関係について様々なトラブルが多かったとされるアインシュタインは興味深い人物ではないだろうか。
圧倒的な作品を世に残した画家
次に紹介したいのは、最も多作な美術家としてギネスブックにも記されている人物だ。
その数は、1万3,500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4,000点の挿絵、300点の彫刻と陶器と圧倒的だ。
死後に評価される画家が多い中、この画家は生前から高い評価を受けていたことでも有名だ。
ここまで書けばわかったという人もいると思うが、そう、パブロ・ピカソだ。
余談だが、ピカソの出生証明書の名前は、パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・チプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソだ。
昔、母は私にこう言った。お前が軍人になれば、将軍となるでしょう。修道士になれば、法王となるでしょう。そして私は画家となり、ピカソとなった。
これはピカソの名言の中でも考えさせられるものだ。
というのも、ピカソは言葉を覚えるより先に絵を描き始めたといわれている。
そして、画家であった父は10歳に満たない息子の静物画を見て自らの才能に見切りをつけ、以後は絵画教師として生きて行く決心をしたという。
14歳でバルセロナの美術学校を受験したときには、通常なら制作に1ヶ月はかかる写生や油彩の課題を1日で仕上げると、その完成度の高さとともに試験官を驚嘆させている。
16歳で古典様式に沿って描いた科学と慈愛が黒点とマラガの地方店で受賞。
その後、学校で美術を学ぶことの無意味さを悟り中退すると、美術館に通いベラスケスらの名画を模写することで自らの芸術の道を深めていった。
20歳前後にパリを何度か往来した後に移住といった人生の前半を過ごしている。
簡単にいうと天才なのだ。
つまり、画家になったことは選択したのではなく必然だったわけだが、母親の愛情があったことが伝わってくる、どこかピカソの懐の深さというか哀愁を感じるのである。
誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか。人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ。
すべてのものは、かぎられた量しかない。とくに幸福は。
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけだ。
太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる。
私は大金を持った貧乏人のように暮らしたい。
ピカソの残した名言を他にも列挙してみたが、彼の生き様から学べることも多い気がする。
世界一の企業の礎を築いた人物
その人物は、1955年にシリア人の父とアメリカ人の母の間に生まれるも母親側の親族が結婚を認めなかったため、生まれる前から養子に出されることが決まっていた。
結果、育ての親である父ポールと母クララに引き取られることになった。
6歳のとき、ヘアピンに本当に電気が通るか確かめるためにヘアピンをコンセントにつっこみ感電したり、授業中に花火をしたりと好奇心旺盛なヤンチャな少年だった。
そして、10歳の頃に教師の影響で勉強が好きになる。
16歳のとき、後に世界一の企業になる会社を共同設立することになる、とある人物に出会う。
2人で無料で不正に長距離電話をかけることができる装置をつくり販売する。
17際のとき、リード大学に入学するも半年で中退することになる。
ただ、このときのカリグラフィの授業がアイデアの元となり後につくる製品に大きな影響を与える。
ここまで書けばもうおわかりだろうが、そう、スティーブ・ジョブズだ。
Details matter, it’s worth waiting to get it right.
(細部にこだわる。それは時間をかけてもこだわる価値のあるものだ。)
この概念は2022年現在の時価総額が世界一の企業であるApple(アップル)の根底にあるものだ。
そんなこだわりを追求したアップルの商品に魅了されたファンは世界中にいる。
心の底から満足する唯一の方法は、素晴らしいと信じる仕事をすること。
だから、見つかるまで探すことをやめてはいけない。
「もし今日が人生最後の日だったら、今日やることは本当にしたいことなのか?」この問いに「NO」の日が続くのなら、なにかを変えなくてはならない。
OK、誰も助けてくれないなら自分たちでやるまでだ。
どんなマーケティングでも、駄作をヒットさせることはできない。
スティーブ・ジョブズの名言は他にもいくらでも出てくる。
死して人生が完成するという言葉があるとおり、スティーブ・ジョブズの人生は完成された。
そして、多くの優秀な人たちが、スティーブ・ジョブズの信念を引き継いでいるのである。
まとめ
独断と偏見で私の好きな偉人をピックアップし、その中からランダムに名言を列挙してみたが、いかがだろうか。
アインシュタイン、ピカソ、ジョブズのいずれにも共通しているのは、今もなお根強いファンが世界中にたくさんいて、その価値が上がり続けているという点だろう。
こうなると、彼らの絶対的な地位は半永久的に継続されることになるわけで、二度死ぬことはないといっても過言ではないだろう。
一度しかない人生をどう過ごしていくのかを考えたときに、どうせなら二度死ぬタイミングができるだけ後の方がいいと思うのは私だけだろうか。
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