口蜜腹剣(こうみつふくけん)
→ 口は上手いが腹黒い人。
口は上手いが腹黒い人という評価は、どこか負け惜しみのニュアンスが含まれていると感じてしまうのは私だけだろうか。
というのも、人である以上、どこかに下心はあるのが当然だということで、たまたまその部分が読み取れなかったり、理解できなかったことに対して、腹黒いと決めつけることで納得している気がするのだ。
逆に下心がないという人の方が私は危ない人だと思っていて、きちんと自分の下心を見せてくれた人の方がよっぽど信用できるというわけだ。
というのも、最近とてもお世話になっている経営者がいる。
その人との付き合いが始まったのは2022年に入ってからで、それこそ半年程度しかない。
けれども、この人とはずっと仕事をしたいと心から思わせてくれるものがある。
今回はそんな話をしようと思う。
初対面での衝撃
あなたは初対面の人に対して、どんな挨拶をするだろうか。
そのときにどれだけ自分のことを話すかということを想像して欲しい。
おそらくだが、少しでも良い印象を与えようとするため、ネガティブなことについては極力話さないようにするのではないだろうか。
例えば、失敗した話やコンプレックスをどこまで話すかは相手にもよるだろうが、ある程度抑えて話すという人が大半だと思う。
ところが、その人は違った。
初対面の私に対して、経営者として一度大きな失敗をしていると堂々と話をしてくれた。
ここまで書けば勘のいい人であれば、みなまで言うなとなると思うが、普通はそこまで話さないと思う。
では、なぜその人は堂々と話をしてくれたのだろうかと私なりに分析をしてみた。
まず、純粋に真っ直ぐな人なのだろうということは間違いないだろうと思った。
なぜなら、初対面の私にそんな恥部とも受け取れる部分を見せる必要など全くないからである。
そして、なによりも今が充実しているのだろうということを感じた。
過去に大きな失敗をしているのだけれども、今はここまで盛り返しているというか、次に向かって邁進している自信があるからこそ、過去の自分をしっかりと見つめることができているというわけだ。
何回か会うと、なぜそういうことを堂々と話せるのか理解したが、特定を避けるために割愛させてもらう。
私が言いたいことは、初対面でここまで曝け出すことのできるこの人が信用できないはずがないと思わせてくれたというわけである。
と同時に、ここまでバカ正直に話をしてくれる人に対しては、私も素直でいよう、決して嘘偽りを話してはいけないと強く感じたのである。
様々な経営者のタイプ
私は経営者というポジションに携わってから、15年以上は過ぎていると思う。
最初は25〜26歳くらいのときだったと思うが、雇われ社長のポジションからとはいえ、経営者というポジションに変わりはない。
そこから、実に様々な経営者に会ってきたという自負がある。
そして、これは別に経営者に限った話ではないが、実に様々なタイプの経営者がいることは、今でも改めて思う機会がある。
タイプ別にわけるのも難しいのだが、とにかくお金が好きなタイプの経営者もいれば、本当に経営者なのだろうかというくらい大人しい経営者もいる。
ただ、共通していえるのは、経営者ははみ出し者が多いということだ。
そもそも、組織の中で順応できるようなタイプであれば、自分で起業したりすることはないだろう。
自分でなにかをやるということは、少なからずリスクを背負わなければいけないということで、できればそんなことをせずに組織にいれば安定した生活を送れるかもしれないからである。
けれども、それができないから自分でやるしかなかったという経営者は多いはずだ。
1つのことをずっと続けることができなかったり、簡単にいうと私を含めてバカ者というか社会不適合者が多いのである。
だからこそ言えるのだが、誰だって経営者になれる。
もちろん、経営者として上手くいくかどうかは別として、ほとんどの成功している経営者は運が強かったといっていい。
いかにも優秀だったような顔をしている経営者もいるが、それはポジショントークで、大きくリスクを取っているように見せて競争相手を減らそうとしている側面があるように思う。
上述したとおり、一定のリスクを取ることは当然なのだが、実は致命的になるほどのリスクはあまりなかったりする。
信用関係が生まれた瞬間
話を戻そう。
あなたはどういう人だと信用できるだろうか。
また、信用が生まれた瞬間とはどういうものなのか、説明できるだろうか。
裸の付き合いという言葉があるが、まさにここなのだろうということを、先述したとある経営者が教えてくれたように思う。
それは物理的な裸の付き合いでなくてよくて、着飾ることのないありのままの自分をオープンにすることで、相手も自然と裸になるというスタンスだ。
簡単なことのように思えるが、恥ずかしさがあったり、関係が上手くいかないかもとネガティブに考えてしまうことで、このスタンスを貫くことは意外と難しいはずだ。
けれども、自然とこのスタンスを出せることで、信用が生まれる瞬間に立ち会えることを身を持って知った。
もちろん、これだけで全てを信用するわけではないが、一気に距離感は縮まるし、そもそも疑ってかかるという壁はなくなる。
信用は一気に積み重ねることもできるから、私も見習わないといけないと痛感したのである。
自分の価値の証明の仕方
この自分のマイナス面を躊躇なく曝け出すことができるというスタンスは、自分の価値を証明することもできている。
自分自身を俯瞰で見ることができなければ、プラス面かマイナス面かの判断ができないからである。
つまり、自分を客観的に分析することができていて、得意分野と苦手分野がハッキリとわかっていなければ、そもそもこのスタンスは取れないということだ。
となると、自分の価値がどこにあるのか、その証明ができるということと同義なのである。
私は常々、自分の価値を高めることを大切にするように主張している。
当然、自分自身にも言い聞かせているわけだが、マイナス面を隠して価値を出そうとするよりも、思い切ってマイナス面を曝け出す方が返って好感を得ることができるというわけだ。
確かに強い者にはファンはつきにくいが、弱い者にはファンがつきやすいという傾向がある。
弱い者には自然と応援したくなるというバイアスがかかるというわけだ。
おそらく、これを狙ってやっているようではダメで、自然とそれができていないといけない。
というか、仮に狙ってやったとしても、どこかで見抜かれてしまうだろう。
この自分の価値の証明の仕方は頭の片隅に置いておきたい。
まとめ
あなたの周りに、この人は信用できるという人はいるだろうか。
その人はなぜ信用できるのか、考えてみて欲しい。
その理由は、もしかしたらマイナス面を躊躇なく曝け出すことができる人だからではないだろうか。
なぜか、その人を応援する気持ちになったり、裏切るようなことはしないと勝手に思ってしまう傾向がないだろうか。
知らず識らずのうちに信用が生まれているのかもしれないが、信用とは時間をかけて積み上げていかなければ生まれないものなのだろうか。
明確に信用が生まれている瞬間を見逃しているだけなのかもしれない。
そして、その瞬間は実は初対面のときに生まれているのかもしれない。
そんなことを2022年のとあるタイミングで出会った経営者が未熟でバカ者で社会不適合者の私に投げかけてくれた。
これで私もまた1つ成長したというわけだ。
せっかくのこの出会いを大きなものに変えていこうと密かに誓っている。
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