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2022年7月25日 投稿:swing16o

小学校にあった二宮金次郎の銅像について

懸頭刺股(けんとうしこ)
→ 苦労して学問に励むことで、頭(こうべ)を懸け股(もも)を刺すと読む。

苦労して学問に励むというのは、なんとなく美学とされているが、私は否定的な立場だ。

というのも、日本人は本当に我慢をするとか根性論的なものを自然と受け入れている傾向が未だにある。

理にかなっていないことが明らかであっても、いわれたからという思考停止した状態で受け入れてしまっている人が多い。

その根本にあるのが、やはり教育だと思っている。

二宮金次郎の銅像

これを書くと世代によって感覚がズレてしまうのかもしれないが、40歳前後の私たちの世代だとわかってもらえると思う。

それは、小学校に二宮金次郎の銅像があったということだ。

最近の小学校からは少しずつなくなっているということも聞くが、小学校に銅像を置くということは、教育に繋がるなにかしらのメッセージだということはわかると思う。

二宮金次郎の銅像を見たことがある人はイメージできると思うが、薪を背負った少年が本を読みながら歩いている。

まあ、この銅像の姿を見れば勘のいい人はピンとくると思うが、まあ苦労しながら勉強している姿からなにかしら学ばせようとする意図があるのだろう。

正直、当時から全く私には理解ができなかったが、二宮金次郎という人物を改めて調べるとこんな感じだ。

二宮金次郎は、1787年(天明七年)に小田原市栢山に生まれ、1856年に栃木県今市で亡くなった。

二宮金次郎はが生まれたのは小田原市の裕福な農家だった。

生まれた頃は裕福だったのだが、川の氾濫で田畑を失い、父親を金次郎が14歳のとき、母親を16歳のときに亡くしている。

そこで叔父さんに預けられるのだが、ある夜に明かりを灯して本を読んでいると叔父さんに怒られてしまう。

お前は誰のおかげで飯が食えているのかと叱責され、油がもったいないと言われてしまう。

そんなことがあった二宮金次郎は、空き地に菜種を植え、できた菜種と油を交換して本を読むことにした。

ところが、また叔父さんに叱られてしまう。

今度は、お前の時間は俺の時間で、百姓に学問はいらないと叔父さんは叱責するのである。

そんなことがあってからというもの、二宮金次郎は薪を背負い、歩きながら本を読むようになったという。

この姿がまさに銅像になっているというわけだ。

二宮金次郎のその後と根本にある教え

やがて、金次郎は叔父さんの家から独立し実家の再興を行うと、その勤勉さと倹約な姿勢が功を奏し、24歳のときに以前のような裕福な家にすることを成し遂げる。

そんな噂を聞きつけた小田原藩士の服部家に財政の建て直しを頼まれると、これも見事に成功させる。

さらにその噂が広まると、今度は小田原藩の分家にあたる桜町領(現在の栃木県二宮町)の再興を頼まれるなど、生涯に615もの村々を立て直しに貢献したという。

また、二宮金次郎は桜町領を再興するときに、武士の位を授けられ二宮尊徳となる。

まあ、現代でいうところの経営コンサルタントといったところだろうか。

二宮金次郎の教えは、勤労、分度(倹)、推譲を人々に勧めることが根本にある。

  • 勤労:徳に報いるために働くこと
  • 分度(倹):収入の範囲内で支出を定めること
  • 推譲:勤労および分度をして貯まったモノを将来のために残したり人に及ぼすこと

また、積小為大と五常講を人々に説いている。

積小為大とは、小を積んで大と為すということで、小さな努力の積み重ねがやがて大きな収穫や発展に繋がるという意味だ。

それから、五常講というのは、お金の貸し借りの旋回の過程を指している。

仁の心を以てそれぞれの分度を守り、多少余裕のある人から困っている人にお金を推譲し借りた方は、義の心を以て正しく返済するという仁義が根底にある。

そして、礼の心を以て、恩に報いるために冥加金を差し出すなど心を配って人に接し、智の心を以て借りた金を運転し、信の心を以て約束を守るという心構えに繋ぐという考え方だ。

とどのつまり、仁義礼智信の人倫五常の道を守ろうという教えが、二宮金次郎の基本的な考え方なのである。

二宮金次郎の銅像が撤去され始めた現代

そんな私たちの世代が小学生だった頃には当たり前のように校内にあった、二宮金次郎像が撤去され始めているという。

なぜなら、下記のような理由があるからだそうだ。

  • 児童の教育方針にそぐわない
  • 子どもが働く姿を勧めることはできない
  • 戦時教育の名残という指摘
  • 歩いて本を読むのは危険
  • ながらスマホを助長している

これを聞くと、なんだか全てがズレてしまっているように思ってしまうのである。

そもそもの二宮金次郎という人物が、どういう人物かも知られていないことが問題なのであって、上述した彼の生涯を知ることで少なからず、教育の一環として現代でも通ずる部分はあるように思う。

それを今の時代にそぐわないという、いかにも上辺だけの理由で銅像を撤去するというのが、教育レベルの低さを象徴している。

学校とはテストの成績を上げる場ではなく、本来は教養を身につける場なのに、芯がないというか薄っぺらい場所だと改めて思ってしまう。

言葉を選ばずにいえば、教員のレベルが低すぎるし、教員の集まりのレベルもまたしかりだということだ。

教育レベルを上げていく方法

否定的な意見だけを述べるのでは誰でもできるし、そこらじゅうにいる人と変わらない。

具体的にどういった方法を取ればいいのかを最低限述べなければ、否定する資格すらない。

私がどこかの小学校の校長や教育委員会のお偉いさんだったとして、二宮金次郎像を撤去するか否かの選択を迫られたとしたら、どういう判断を下すか。

まず、撤去するにも時間と費用がかかるので残す。

というよりも、そもそも誰も二宮金次郎のことなど知らないことが問題だということに議論を持っていく。

そして、現代にも通ずるであろう、彼の功績をきちんと授業で話すという時間を取るだろう。

そのときに大切なことは、時代が今とは全く違うので、おそらく現代の小学生たちには彼の生涯など刺さるはずがないという大前提をつくることだ。

油を使って明かりを灯していたなどといっても、現代の文明から誰がそんなことを想像できるだろうか。

40歳前後の私であっても、そんな時代は過ごしたこともないので、イメージしろといわれても難しい。

自分が経験したことでなければ、よっぽど説明が上手くなければ正確に伝えることなどできないのが、人というものだ。

それを教員に説明させても意味がないので、現代に当てはめて上手く説明することが重要だということだ。

上述した、二宮金次郎の教えの根本にある、勤労、分度(倹)、推譲の3つは、現代にも十分に通用することだし、教養に繋がる大きな部分だ。

これをどうやって子どもたちに伝えていくのかは、教える側のセンスということになる。

上述した時代にそぐわないから撤去した方がいいという理由に賛同する人や、それをはいわかりましたとなんの違和感も覚えずに鵜呑みにするような人は、まさにセンスがないということだ。

教養のない、事なかれ主義の中心にいる人たちで、おそらくそんなことにすら気づいていない人たちだ。

まさに、こういう人たちを生み出さないようにするためにも、二宮金次郎像は残しても面白いと思っている。

教育者という立場にある先生とは?

教員になりたいという人が年々減っているという。

そりゃそうだと思うし、なぜそうなっているかの説明もできる。

私の両親はいずれも教育者という立場だったため、教員という人たちの見方が少々異なって見えた。

自分自身が小学生や中学生に成り立ての頃は、そのことにあまり気づいていなかったというか、教員という職業に違和感はあったのだが、その理由がわからなかった。

少しずつ明確になっていくわけだが、きっかけは中学3年生くらいからだろう。

進路相談といった時期になってくるわけだが、担任の言っていることに全く納得できなかった。

なぜ、この人は先生しかやったことがないのに、その人の人生の大きな岐路である進路相談ができる立場なのだろうかという小さな違和感に端を発している。

高校生になったときにも文系理系とわかれていく時代を過ごしたわけだが、なぜ私が文系なのか理系なのか判断できるのか、そのロジックに全く納得できなかった。

もちろん、最後は自分の判断で決めていくことなので、先生のせいにするつもりなど毛頭ないが、人生経験が浅い学生を導くには師というのは非常に大きな存在になる。

つまり、先生というのは適当だということをしっかり理解しておかなければ、教養など身につけることなどできないというわけだ。

まとめ

中には親身になって聞いてくれる先生もいるだろうが、先生というのは万能ではない。

少し考えればわかると思うが、あなたが学生だった頃、全ての科目が得意だっただろうか。

そんな人も稀にいるだろうが、ほとんどの人は得意な科目、苦手な科目があったはずだ。

それは先生という立場になった人であっても同じであることに気づけないようであればマズいのである。

未だに公立の小学校の現場では一部の専門教科を除いて、全教科を1人の先生が教えている現状がある。

それも何十人という生徒を見なければいけないとなると、上手く回るはずがないことくらい気づくはずだ。

ましてや、給与が高いわけでも休みが多いわけでもなければ、誰が先生という立場になどなろうと思うだろうか。

誰もがそんなことは気づいているにも関わらず、何十年も変えずにいる教育の現場になにを期待しているというのであろうか。

教養とは誰からどのように学ぶかが非常に重要で、教養を身に着けていく方法が教育なのである。

30代の後半あたりから40歳を超えた今、教育をしていくということに重きを置き始めている自分がいる。

stak, Inc.という会社は、そんな場所でもありたいと思っている。

 

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植田 振一郎 Twitter

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